第4話 不本意な才能(剣術編)
ナハガルト家の嫡男として、ライには日々の鍛錬が義務付けられていた。剣術、魔法、そして座学。
どれも、前の人生では己の圧倒的な才能を周囲に見せつける格好の機会であり、ライはむしろ好んで行っていた。
しかし、今の彼にとって、それは地獄の責め苦に等しい苦痛でしかなかった。
「ジョンソン、今日の訓練だが…少し、体調が優れなくてな…」
特に、対人で行う剣術の訓練は、相手に恨みを買うリスクが最も高い。
何とか理由をつけてサボろうと試みるが、老執事は静かに首を横に振った。
「ライ様。旦那様と奥様も、ライ様の健やかなるご成長を、きっと天から見守っておられますぞ」
亡き両親の名前を出されては、ライも引き下がるしかなかった。
「…うっ、わかった」
重い足取りで訓練場に向かう。
そこには、岩のような筋肉を全身に纏った大男、剣術指南役のガリオンが仁王立ちで待っていた。
(で、出た…筋肉ダルマ…!)
前世のライは、このガリオンを「才能のない筋肉馬鹿」と公然と見下し、模擬戦のたびに完膚なきまでに叩きのめしては嘲笑っていた。
その記憶から、ライはガリオンが自分に煮え繰り返るほどの恨みを抱いていると確信していた。
「お待ちしておりました、ライ様! さあ、今日もビシバシ参りましょう!」
ガリオンの屈託のない笑顔と、やる気に満ちた声が、ライには処刑執行人の号令のように聞こえた。
訓練が始まる。
ライが掲げた本日の目標は、ただ一つ。
(絶対に勝たない! 何なら一撃で負けて、こいつの自尊心を満たしてやる…!)
それが、恨みを買わないための最善手だと信じていた。
「ライ様、参ります!」
ガリオンが宣言し、太い丸太のような木剣を構える。その気迫に、ライは完全に気圧され、腰が引けていた。
「おおおおっ!」
ガリオンが雄叫びと共に、大上段から木剣を振り下ろす。単純で大振り、力任せの一撃。
前の人生のライならば、あくびをしながらでも余裕で避けられただろう。
今のライの目にも、その軌道はまるでスローモーションのように見えている。
身体が、完璧にその後の動きを予測している。
しかし、彼はわざと負けるために、その場から一歩も動かない、という選択をした。
(よし、来い! これで一発KOだ!)
目を固く閉じ、頭部に走るであろう衝撃に備える。
だが、ライは知らなかった。死に戻ってからというもの、彼の身体は処刑台で味わった死のトラウマによって、生存本能が極限まで高められているということを。
死に繋がると身体が勝手に判断した攻撃に対し、彼の意識とは全く無関係に、身体が反応してしまうようになっていたのだ。
木剣がライの頭上に振り下ろされる、まさにその寸前。
彼の身体が、意思に反して勝手に動いた。
スッ、と最小限の動きで半身になり、風を切る木剣の攻撃を紙一重で回避。
そのまま水が流れるような動きでガリオンの懐に滑り込むと、木剣を持つ彼の右の手首を、下から軽くコン、と打ち据えていた。
カラン。
静かな訓練場に、木剣が地面に落ちる乾いた音が響く。
一瞬の出来事だった。
「…え?」
ガリオンは何が起きたのか全く分からず、自分の空っぽの手と、足元に転がる木剣を交互に見ている。
それは、ライ自身も同じだった。
(な…なんで…?)
自分の身体が勝手に動いたことに驚き、パニックに陥る。
(し、しまった! やりすぎてしまった! 手加減するどころか、瞬殺しちまったじゃないか!)
彼の脳裏に、屈辱に顔を歪ませ、憎悪の炎を燃やすガリオンの姿が幻視された。
(殺される! 今度こそ殺される!)
恐怖に駆られたライは、まだ状況が飲み込めていないガリオンに向かって絶叫した。
「い、今の! 今のはまぐれだ! そう、完全にまぐれ! たまたまだ!」
「ら、ライ様…?」
「だいたい、お前が油断するからだ! そうだ、油断したお前が悪い! 俺は悪くない!」
ライは一方的にそう言い放つと、その場から脱兎のごとく逃げ出してしまった。
「ああ、お待ちください、ライ様ー!」
一人、訓練場に残されたガリオンは、しばらく呆然としていた。
だが、やがてその厳つい顔に、じわじわと歓喜の表情が広がっていった。
(今のは…なんという動きだ…)
大上段からの振り下ろしを、最小限の動きで躱し、懐へ。そして寸分の狂いもなく手首の腱を打つ。一切の無駄を削ぎ落とした、あまりにも完成された一連の動き。
それは、彼が長年追い求めてきた「剣の極致」そのものだった。
打ち負かされたことへの屈辱など、微塵も感じていなかった。
むしろ、自分の弟子が、これほどの神域にまで達していたことに、師として最高の喜びを感じていたのだ。
「ライ様…! あれほどの御技を、すでに体得されていたとは!」
ガリオンは天を仰ぎ、感動の涙をその頬に伝わせた。
「俺は、俺はとんでもない天才を育てていたのだ! うおおおおおん!」
* * *
一方、自室に逃げ帰ったライは、ベッドに突っ伏してガタガタと震えていた。
「終わった…完全に恨まれた…明日には寝込みを襲われて、あの丸太みたいな腕で首を絞められるかもしれない…」
そこへ、ライの悲鳴を聞きつけたメリナが駆け込んできた。
「ライ様! いかがなさいましたか!」
「メリナ…俺はもう終わりだ…」
「まあ、大変! きっとお疲れなのですね。さあ、お布団をかけて差し上げますから」
メリナに優しく布団を頭までかけられ、ライは子供のように震えているのだった。
彼の恐怖は、師匠の感動とは全く噛み合っていなかった。
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