第9話 魔王軍の内情をモブが覗く
魔王軍と聞くと、普通の人は「恐怖」とか「絶望」とか、そういうイメージを抱くだろう。
世界を滅ぼす軍勢。
無数の怪物たち。
勇者たちの宿敵。
――でも、モブの視点から覗いた魔王軍は、ちょっと違った。
◇ ◇ ◇
きっかけは市場の裏通り。
荷物運びの帰り、妙に落ち着きのない青年に呼び止められた。
彼は灰色のローブを着て、耳の先が尖っている。
「……人間さん、余ったパンはありませんか?」
そう言われて袋をのぞくと、確かに売れ残りのパンが二つ。
あげても困らない。
差し出すと、青年は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。……実は、私、魔王軍の兵士でして」
「はい!?」
僕は思わず後ずさった。
市場のど真ん中で「魔王軍兵士です」なんて自己紹介、命知らずにもほどがある。
◇ ◇ ◇
青年は名を「リド」と名乗った。
魔王軍の雑兵――以前出会った角持ちの兵士と同じく、行き場を失った者のひとりらしい。
「魔王軍といっても、全員が戦いたいわけじゃないんです。
食べるため、居場所のために入った者が多いんです」
そう言ってリドは苦笑した。
「でも、上からは“人間を憎め”と命じられる。憎んでもいないのに」
彼の目は疲れ切っていた。
命令と本心の狭間で揺れる、ただの青年の目だった。
◇ ◇ ◇
さらに彼は口を滑らせた。
「実は今夜、この町の外れで集会があるんです。……もし興味があれば、来てもいいですよ」
モブの観察精神がうずいた。
行っちゃダメだと思いつつ――気付けば、僕は夜の町を抜け出していた。
◇ ◇ ◇
丘の下。
焚き火を囲んで、十数人の魔王軍兵士が集まっていた。
甲冑もまちまちで、武器を持っている者も少ない。
みんな、ただの村人にしか見えなかった。
「今日も仲間が一人、勇者に討たれた……」
「俺は剣を振るったこともないのに、前線に送られた」
「家族に仕送りしたくても、給金は雀の涙だ」
聞こえてきたのは、愚痴と嘆きばかりだった。
それは先日の“転生者の愚痴大会”と驚くほど似ていた。
勇者と魔王。
立場は違えど、人の悩みは同じなのかもしれない。
◇ ◇ ◇
だが、その場の空気が一変した。
焚き火の向こうに現れたのは、黒いマントを羽織った大柄な男。
鋭い牙をむき出し、赤い瞳がぎらついている。
「……下らぬ泣き言を」
場が凍り付く。
彼は魔王軍の中隊長らしい。
雑兵たちは一斉に膝をついた。
「人間を滅ぼすために集ったのだ。弱音など許されん」
威圧的な声が夜に響いた。
リドが僕に目配せをし、「逃げろ」と唇を動かす。
……けど、逃げられるか?
僕の足はすでに竦んでいた。
◇ ◇ ◇
そのときだった。
黒いマントの男が突然、咳き込み、膝をついた。
「ぐっ……また、魔力の逆流か……」
雑兵たちが一斉に駆け寄る。
誰も彼を恐れていなかった。
むしろ必死に支えていた。
「隊長! 無理に魔力を使うから……!」
「薬草を! 早く!」
……あれ?
勇者や冒険譚で語られる「魔王軍の恐怖」とは、ずいぶん違う光景だ。
ここにはただ、弱さを抱えた人間――いや、魔族たちがいるだけじゃないか。
◇ ◇ ◇
結局、僕は最後まで見届けるしかなかった。
彼らは恐ろしい敵ではなく、ただの“生活者”だった。
家族を想い、明日を不安に思う、僕と同じ。
――これが魔王軍の内情。
僕の胸の奥に、重く、そして消えないものが残った。
きっとこの夜の光景は、勇者の武勇伝には語られない。
だからこそ、モブである僕が覚えておかなければならない。
◇ ◇ ◇
次回、「酒場に現れた聖女と老婆」
お楽しみに。
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