第10話 酒場に現れた聖女と老婆
勇者が遠征に出ているあいだは少し静かになるけれど、代わりに旅人や転生者が愚痴を吐き出しに集まる。
僕はいつものように皿を洗い、時々客の愚痴を拾い聞きし、モブらしく舞台袖に身を置いていた。
――そのとき。
扉がきいと開き、冷たい風とともに二人の女性が入ってきた。
ひとりは白いローブに金の刺繍、髪は淡い金色で、笑顔はまぶしいほど整っている。
聖女。前に見た、命を削って祈る彼女だった。
もうひとりは、背の曲がった老婆。杖をつき、深い皺を刻んだ顔には、しかしどこか澄んだ光が宿っていた。
◇ ◇ ◇
「……聖女様だ!」
「本物の奇跡をこの目で!」
酒場中がざわついた。
客は次々に立ち上がり、頭を下げる。
聖女は微笑んで応え、老婆の手を優しく支えながら席に導いた。
「皆さん、どうかこの人を温かく迎えてください。この方は、私の育ての親です」
歓声がどよめきに変わった。
老婆は静かに会釈し、聖女に促されるまま席についた。
……育ての親。
聖女にそんな存在がいることを、誰も知らなかった。
◇ ◇ ◇
「祈り続けるあなたの姿を、昔から見てきた。
でもあんたはあまりに無理をする。
命を削るような祈りは、もうやめてほしい」
老婆の声は震えていた。
でもその目は強かった。
聖女は少しだけ視線を伏せ、そして小さく微笑んだ。
「私は人々を救いたいのです。たとえ、少しずつ命を削ることになっても」
「……救った先に、あんた自身がいなくなったら、誰が泣くと思う?」
老婆の問いに、酒場の空気が静まり返った。
転生者も冒険者も口を挟めない。
それは英雄譚ではなく、ひとりの娘と母のやり取りだったからだ。
◇ ◇ ◇
僕は皿を洗う手を止めていた。
その会話は、なぜか僕の胸にも突き刺さってきた。
モブとして舞台袖にいる僕。
でも、舞台に立つ彼女を支えているのは、この老婆みたいな“無名の存在”じゃないか。
モブの視点で見る世界は、英雄の陰に寄り添う者たちであふれている。
それがなければ、物語は続かない。
◇ ◇ ◇
聖女は老婆の手を取って言った。
「私はまだ祈ります。でも、あなたの言葉は忘れません。
いつか祈りが終わるとき、そのとき私は――」
彼女は言葉を切り、笑顔をつくった。
それは聖女の笑顔であり、娘の笑顔でもあった。
老婆は深くため息をつき、それ以上は言わなかった。
ただ、聖女の肩にそっと手を置いた。
その手は、全てを赦すように優しかった。
◇ ◇ ◇
夜更け。
片付けをしていると、魔導書少女がいつものように現れた。
「観察しましたね」
「……うん」
「英雄譚の表には出ない。でも、聖女を支える老婆が確かにいる。
あなたの言う“モブ”は、そういう存在のことかもしれません」
彼女の言葉に、僕は思わず笑った。
「だったら、僕も少しは役に立てるかな」
「……さあ、それはまだ観測中です」
彼女はそう言って、また本に何かを書き込んだ。
◇ ◇ ◇
次回、「転生者の二周目組」
お楽しみに。
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