9 六階分析室 少女記録分析 とある組織の不思議な会話

9 六階分析室 少女記録分析 とある組織の不思議な会話

 ここは東京都千代田区永田町のとある建物である。その建物は国会議事堂の中央塔よりもわずかに低く設計されていた。

 その建物は左右対称で端正な矩形の輪郭だった。正面に走る太い垂直の柱が整然と連なっていた。ひさしはりの水平線が濃淡を描き出していた。堂々とした威厳と機能美を両立させていた。建物の入り口は複数の警備員により厳重に守られていた。


 ヒュウ


 永田町に春の風が吹いた。その建物の石垣脇には桜が植えられていた。たくさんのピンク色の蕾が見えた。いくつかはそっとほころびはじめていた。薄いピンクの花びらが見えた。桜の木が風に揺れていた。


 中川理沙は風に吹かれた髪を押さえた。中川は国家公務員上級試験に合格したキャリア組である。総合職上級試験合格後、警察庁に採用された。

 彼女は警視庁にも出向して現場経験を積んだ。彼女は警察庁で順調にキャリアを積み重ねた。近年は警察庁公安サイバー対策室に配属され、その有能ぶりを発揮していた。職務階級は警部級である。

 中川理沙は捜査経験と高度な情報処理能力を持つ有能な三十八歳の女性警察官である。


 彼女は春風に吹かれて歩きながら突然の出向命令を思い出していた。


 

 ――剣奈元年冬 十二月十八日


 その朝、彼女はいつものように霞が関のオフィスに出勤していた。午前九時過ぎ、彼女の直属の上司である公安サイバー対策室 室長が中川を呼んだ。


「中川警部、ちょっと人事課まで来てもらえるかな」


 中川は本庁舎七階の警察庁 警務局 人事課長室に出向いた。


「着席したまえ」

「はっ!」


 室長、そして人事課長が中川をじろりとにらんだ。仰々しい雰囲気だった。


「内閣情報調査室 第二分析室 サイバー連絡官として出向を命ずる。着任日は翌一月四日である」と正式な内示が伝えられた。


 人事課長が辞令原稿に目を通しながら言った。上司からも慰労と期待の言葉が添えられた。

 

 彼女はデスクに戻った。そして渡された報告書を読んだ。

 

 その業務は……とある女の子を護衛、監視するというものだった。彼女はいぶかしんだ。そして渡された報告書を読み進めるうち頭が混乱してきた。

 その報告書は昨年夏に発生した「淡路島南部大震災」についての記載からはじまっていた。

 

 中川は思い出していた。あの「大震災」はすべてが異常だった。なんの前触れもなく突然緊急地震速報が鳴り、厳戒態勢がとられた。

 確かに大きな揺れは観測された。しかしほんのわずかな時間だけでその地震はおさまった。

 世間では「誤報地震」とも「空振り地震警報」とも揶揄された。一方、「金狐様降臨」「GoldenFox」などが当時世界中のSNSで席巻されていた。

 

 報告書の内容は信じられないものばかりだった。その騒動を収めたのが僅か小学校三年生の女の子とされたとの記載があった。関係者欄には当該児童が出生時は男児と判別されていた旨の備考が添えられていた。

 報告書の記載は常識の理解を大きく超えていた。中川は報告書を読み進めるにつれ、どんどん頭が混乱していった。

 

 荒唐無稽であった。おとぎ話であった。中川は報告書を読みながら頭を抱え込んだ。思わず室内の隠しカメラを探し回った。質の悪い民放テレビの特番に売られたのだと思ったのである。三十代後半のキャリア女性をからかう。確かに画になりそうである。


 隠しカメラはなかった……


 ――――――


 パパー


 自動車のクラクションが鳴った。中川は現実に引き戻された。


 その日、中川は霞が関の警察庁国家公安委員会庁舎で会議を終えたばかりだった。その女の子の案件だった。いい年をしたおじさんたちが小学生のいじめ問題を大真面目に語り合っていた。頭が痛かった。

 確かに……そのいじめは陰湿だった。その女の子が気の毒だった。しかしいじめは民事である。学校や地方教育委員会がその責務に基づき対応すべき教育行政上の課題である。

 暴行、傷害、脅迫などの刑事事件への発展、身体に重大な危害が及ぼされる危惧がない限り警察が介入すべき案件ではない。いや、そもそもこんないじめは日本中で繰り広げられている。

 

 その女の子は気の毒である。しかし……警察庁のキャリア組の高官たちが頭を寄せ合って語り合う案件にはとても思えなかった。

 そんなに気になるならさっさと文部科学省に連絡すればいいではないか。市の教育委員会からその学校に通達すればいい。

 そうすればいじめをしている女の子グループに注意が入る。調査、注意指導、被害児童へのケア。時間は多少必要である。しかし、解決へのプロセスは難しいものではない。再発防止についても教育委員会に厳重に指示すればいい。

 ただしその女の子だけ特別扱いにするのは公平性の観点から釈然としない。そもそも警察庁で話し合うべきではない。


 中川はモヤモヤした思いを抱えたまま警察庁を出た。そして十分ほど歩いて自らの所属する組織に帰ってきたのだった。時間は午後十七時を過ぎていた。

 

 彼女は出向先の組織のビルに帰ってきた。入り口で警備員に身分証を示して建物の中に入った。天井は高く広かった。木製の細い梁がたくさん使われていた。無機質な中にも和のテイストが溢れていた。

 中川は入場ゲートに身分証をかざした。ゲートのドアが開いた。そして彼女は出向先の組織に向かってエレベーターに乗り込んだ。


 チン


 六階にエレベーターが着いた。中川は担当の部屋に向かって廊下を歩きはじめた。


 ザワザワザワ


 その部屋からざわめいた声が漏れていた……

 

――少し前

 

 六階、とある部屋で電子音が室内に響いた。技術対策試験官の伊藤修平(二十九歳)が声をあげた。


 ピロン


「主任、三者通話セッション終了です。監視対象、コードネーム「シラユキ」の通信です。通信相手は「チシツ」、「レキシ」。ファイナルパケット17:29:44です。全映像・音声フルログ取得しました。自動バックアップも完了しました」


 ビデオ監視分析主幹・分析室主任の柴崎敏文(四十五歳)が即座に分析スクリーンを切り替えた。


「よし。まずはAI要約を行え。全音声テキスト化プログラムを走らせろ。人物会話分離を優先しろ」


 カチャ


「中川、戻りました」

「おお。お疲れさん。あっちはどうだった?」柴崎が尋ねた、

「どうもこうも。おかしいですよ!小学校三年生の女の子のいじめですよ?お偉いさん方が頭を寄せ合ってどうすべきか考え込んでるなんて。異常です。いえ、正直に言うとキモイです」

「うーん。あのいじめなぁ。何とかしないと……。しかし民事不介入原則だから。下手に介入するとマスコミが騒ぐんじゃないか?いや、あるいはいじめがもっと目に見えないところで陰湿化するとか……」

「えー。主任までそんなことを?いったい何だっていうんです?」

「え?君は報告書を読んでないのか?」

「いえ、もちろん読みましたよ。あのおとぎ話でしょ?」


 バシン!


 机をたたく音が聞こえた。中川はびくっとした。


「主任、それ、コンプラ(コンプライアンス)案件ですよ?パワハラですよ?どこかの市長だか知事だかがそれをやって大騒ぎになったのご存じありません?」


 中川がたしなめた。しかし柴崎の顔は険しいままだった。そして重々しく口を開いた。


「おとぎ話。荒唐無稽。事実を正確に受け入れられない。警察官としての適性がないな。君は職を辞した方がいい」

「ええええええ?」中川があまりに真面目な様子の柴崎に戸惑い、声をあげた。

「中川さん、いいから手伝って」伊藤が声をあげた。

「は、はい」


 中川がモニターの前に座った。AI自動判読画面が立ち上がっていた。文字が打ち出されていた。


《主要会話キーワード:日原鍾乳洞/目的/危険チェック/装備・移動計画/緊急連絡体制/参加者同意/時間指定・集合地……》

 

《警告:潜在的自発行動高リスク/非適任監督者付き移動の可能性/心理負担兆候弱→警戒度C→Bに自動昇格要請》


「中川。鍾乳洞現地管轄・派出所、および児童来訪通報対応要請を出せ。該当団体のガイド付き行動を装う私服警察官を配置するように。現地関係諸機関に連絡せよ」柴崎が指示を出した。

「は、はい。了解しました」中川が声をあげた。

「通話映像の三十分目以降、緊急時は「チハ」携帯へ連絡と明言有り。全発言分析で事故想定下の行動予測も抽出。……主任報告用フォーマットに警戒フラグ盛り込んで整理しろ」柴崎が伊藤に顔を向けていった。


「了解です。懸念ワードとして「結界」、「篠の道」、「穴に落ち」、「玲奈」などが検出されました。リスク管理チームへも転送中――AI心理分析だと対象コード「シラユキ」、不安と高揚の混在パターンとのことです」


 了解した。上席報告官の鈴村雅彦(五十歳)が口を開いた。

 

「十八時をメドに官邸ブリーフィングメモにつけよう。柴崎君、現段階で物理的危険が切迫した証拠はない。しかし明朝以降、現地アクションへのリアルタイム張り付き体制を開始する。対象の鍾乳洞への出入りが終了するまでだ。いいな?」

「了解しました」柴崎が答えた。

「あと……中川君は確かにここでは君の部下。現場では上司が優先なのは当然だ。厳しい指示もいいだろう。しかしパワハラはどうかな?言いたくはないが中川君の階級は警部だぞ?警部補級の君より階級は上だ。現場優先はもっともだ。しかしそこら辺の配慮があってもいいかと思うぞ」先ほどのパワハラを見ていた鈴村が釘を刺した。

 

「……と、とんでもありません。柴崎主任の発言は適正でした。常識に縛られた私が愚かでした」


 ノンキャリ・キャリア組の対立を表面化させそうな鈴村の言葉に中川が慌てて言葉を発した。

 

「ははは。いやいや。言い過ぎたよ。お嬢さん。いや、キャリアのエリート様」


 ノンキャリの柴崎はおどけたように答えた。

  

 

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