第17話 エレレ村の囲炉裏

今、僕たちはシュンヘイ君の家にいた。

イモリスちゃんと会った場所から、それほど離れていないところに家はあった。


僕はジト目でイモリスちゃんを見ながら、最初からここに案内してくれれば……と、さらにジト目になる。


シュンヘイ君の取材の件と、泊まれる場所はないかと尋ねたところ、祖母のヘルガが「ここさ泊まっていぎなさい」と言ってくれた。

そのご好意に、ガイルが代表して礼を述べた。


ヘルガは魔道具技師で、家の裏にある工房で今も製作を続けているという。

シュンヘイ君は、その祖母と二人暮らしだ。


その話を、囲炉裏を囲んで聞いた。

家は西洋風の三角屋根――前世で言うなら切妻屋根。

だが内部には囲炉裏があり、僕以外は特に気にしていないようだ。

このあたりは雪が多く降る土地らしい。


「魔物なんか珍しいな! シュンちゃんが全部取り尽くしたと思ってたから。

おらびっくりした」

イモリスちゃんが、驚いたように言う。


「取り尽くしたって……ははは」

僕は乾いた笑いを漏らす。

まるでカブトムシやクワガタを取りすぎて山から消えちゃつた、みたいな感覚だ。


「信じ難い話だが……」

ガイルが腕を組み、渋い顔をする。


「ここ来るまで魔物に会わなかったし、本当かもね」

ミナが冷静に付け加えた。


「腹減った……」

バルクがふらつきながら訴える。


「わたしたち、お昼食べてないですぅ~」

フローラも同調。


バルクはすでに三割ほどしぼんでいる感じで……言うなれば“干しナマコ”だ。


「んだば、作ってくるかね。イモリス、悪いがちょっと手伝ってけれ」

ヘルガが立ち上がり、イモリスを台所へ呼ぶ。


「わたしも手伝います」

「わたしもぉ~」

ミナとフローラも名乗りを上げる。


まずい、このままでは――男は何もしないで! と前世ならネットで炎上案件だ。

あれだ……男女平等? いや違う。ジェンダー……? あれ、ダイバーシティ? いやいや英語っぽい横文字だな。なんかもっと気取ったやつ……そうそう、ポリティカルなんちゃら……?


考えているうちに、よく分からなくなってきた。

ともかく! ここで僕も手伝って「家事もやります、家庭大事にする男ですよ」アピールを決めなければ!


そう意気込んで台所に向かったのだが――


「狭いから邪魔だべ。あんちゃん外さ出でろ」


ヘルガにあっさり追い返される。

アピールのチャンスを失い、僕は肩を落とししょんぼりするのだった。


外観は西洋風の三角屋根だが、内部は和風のしつらえになっていた。

ガイルは家の作りや内装に興味津々で、まるで普請奉行のように隅々まで検分している。「ほうなるほど……良い仕事だ……」などと感心の声を漏らした。


バルクはさらにしぼみ、干しナマコ状態が進行中だ。


僕はふと棚の本に目をやった。

「この本はオラの宝物だ」

シュンヘイがそう言う。

しかし、数年ほど前に何十ページかを汚してしまい、読めなくなったという。

ヘルガも修復しようとしたが、ダメだったらしい。

当時は文字の読み書きもあまりできなかったらしく、

破損した部分の絵だけは自分で描いたそうだ。


「……見せてくれ」

ヒューが言い、シュンヘイはすぐに手渡した。

見ると、それは僕も知っている、昔の賢者が作ったとされる図鑑の簡易版、

全2巻のうちの一冊、最初の方だった。


「……ペンと紙を」

ヒューが僕に頼む。

読めない絵だけのページに、新しい紙で字を書き加えるつもりらしい。

「……ある人の家で……昔読んだ」とヒューは説明し、残りのページも

書き足してやると言った。


そして食事の時間になった。

「大したもんじゃねぇども」とヘルガが控えめに言う。


出てきたのは米。この世界で僕にとって初めての体験だ。

しかも釜戸で炊かれたものだから、余計に美味しい。

どんなに高い炊飯器でも、この味は出せまい……と僕は心の中で思う。


ご飯をおかずにご飯を食べる――まさにその通りだった。

本当におかずなしで、どんどんご飯が胃袋に吸い込まれていく。


「この米の品種はムネヒカリだっぺ」

イモリスが誇らしげに言った。


「なんでそういうかわかるべ?」

ヘルガがにっこりと笑いながら尋ねる。


「さあ?」

僕は首をかしげて答えた。


「食べると胸がピカーっと光るからだど!」

ヘルガが真顔で言うと、シュンヘイが吹き出した。

「ばっちゃ、そったなわけねーべ!」

イモリスも笑いながら頷く。

「ばっちゃ、相変わらずうめぇな!」

どうやらこのおばあさん、冗談もいけるらしい。

場の空気は一気に和んだ。


みんなも米は初めてらしく、イモリスに箸の使い方を教わる。

僕は知っているが、他の皆と同じように初めてのフリをする。

最初は戸惑っていたが、少しずつ箸に慣れていく。


「初めてにしては上手だっぺな」

ヘルガおばあさんに褒められ、僕は心の中でほくそ笑む。

ふふふ、これが政治というものなのだよ。


みんな美味しそうに食べていた。

僕もどこか懐かしい味で、思わず顔がほころぶ。


バルクはすごい勢いで食べる。

水に戻したナマコのようにしぼんだ体が、だんだん回復していく。本当にナマコなの

ではないかと思うほどだ。


ガイルは箸を上品に使いこなし、まるでマナー講師のような所作を見せる。


ヒューは手元で文字を書きながら食べていたため、ミナとフローラに注意される。

たまにペンと箸を間違えて怒られることもあった。


さらに嬉しいことに、お風呂があった。

しかも五右衛門風呂――湯船に板を浮かべて入る、あのタイプだ。

釜戸が外にあり、薪をくべて釜を火で直接沸かす。

なるほどだから浴槽のことを前世で風呂釜って言うんだな、

と見ていて納得する。

女性陣は大喜びで、食後の片付けを済ませると早速浴室へ向かった。

ゆと書いてあるのれんの先に脱衣所、奥にお風呂がある。


ミナ、フローラと順番に入る。


底板に乗るまでは簡単にできたが、釜そのものが熱せられている。

ミナが「あーきもてぃーっ、生き返りゅー……」と声を上げ、背中を湯に預けた瞬間、

背にあたる釜の熱さで跳ね上がる。

底板から足を踏み外し、底板が顔面をタイミングよく直撃する。 さらに足が釜の底を踏み

足釜の直火の熱が足裏を襲う。

バランスを立て直そうと釜の淵に手を触れれば、手も熱い――

今まさにミナは、猿かに合戦の猿並みのコンボを叩き込まれていた。


「……てまあ、気おつけねばこんな感じになるからな!」

イモリスが、ミナをモデルにしつつ、身振り手振り表情豊かに説明する。

フローラもクスクス笑いながら、しっかり聞いている。


女性陣3人で仲良く入浴し、三人とも無事にお湯に浸かり終えたようだ。


僕は他の男性陣より先に、シュンヘイ君のご指導のもとお風呂に入る。

先ほどの猿かにコンボを、イモっぺをモデルにして説明してくれた。


すると、入浴を終えたイモリスが耳ざとくクレームを入れる。

「シュンちゃんも小さい時はおらが説明して一緒に風呂入れたんだど!」

シュンヘイも少し怒って言う。

「子供の時だべ! 恥ずかしいこと、人に言うなっての!」


軽い口論とエピソードの応酬が始まり、ちょっとした喧嘩状態になる。


二人をなだめてやっと落ち着き、僕たちも入浴。

あらかじめ背中が触れるところと、手をつく場所にタオルを敷くと快適だ。


「ふー、気持ちいい……」

僕がため息をつくと、シュンヘイは

「オラ、この瞬間のために生きてるんだべ!」

と、おっさんみたいな感想を漏らす。


お湯に浸かって10数えたところで、僕が「そろそろ出ようかな?」と声をかけると、

「んだ、オラも」と二人でさっさと出る。


「ふー、いいお湯だった」

と僕が言いながら歩いていると、ミナが

「もう出たの?」

と呆れ顔で言う。

「烏の行水ですねぇ~」

フローラは笑いながらそうつぶやいた。


ガイルは湯船を前にして腕を組んだ。

「……まさか、ここにこんなものがあるとは」

声には重みがあった。

ヒューが口を開く。

「……昔、文献で見た」

その表情は神妙だ。


「北方の騎馬民族が、間者を炙り出すための巧妙な仕掛け……。

軍にいた時に聞いたことがある。正しい手順を踏まなければ、待つのは釜茹で、すなわち――あの世行きだ」

「……」

言葉を切ると、ヒューはただ静かに頷いた。


ガイルは険しい目を向ける。

「……そういうことか。よし、ではまず、あの板を踏んで――」

淵に手をかけかけたところで、ヒューの声が鋭く飛ぶ。


「……待て……手順を知っている」

知らずに入った場合どうなるか?

ヒューが語った内容を俺は頭の中でまとめてみた。



まず、釜の外側の階段を登る。そこはおそらく問題ない。

なぜなら、ここに罠を張れば獲物が警戒してしまうからだ

次に釜の淵――ここに危険が潜む。そこは容易く触れてはならぬ灼熱の縁。うっかり指先を伸ばせば、たちまち肉は焼け爛れ、苦痛の痕だけを残す。

それから、板の状態を確かめる。あれはただの足場ではない。意思を宿した審判の座だ。その表情を読み解き、傷一つでも見逃せば、次の瞬間に奈落の裁きを下される。

そしてここからが最も重要だ。

入浴した者は、必ず油断する。

その瞬間、壁に身を預ければ、背に刻まれるのは熾烈なる鉄槌。赤熱した鉄槍が肉を、いや魂すら焼き焦がす。


その後、激痛に弾かれ跳ね上がる体。

痛みに跳ね上がった足が板を離れれば、その先は業火の底。爆炎に舐め尽くされた釜底は、修羅の炉炎に灼かれ、まさに地獄の床と化している。


さらに、呪縛から解き放たれた板、いや試練の橋は、まるで鎖を解かれし獣。牙を剥き、獲物に襲いかかり、顔面を容赦なく貫く。

立て直す術はない。反撃の暇すら与えられぬ。

その一撃一撃は、まるで冥府の神が刻む終焉の詩。

――結末はただひとつ。

生者はその場で裁かれ、死をもって釜の主に捧げられる。

ガイルは息を呑んだ。

「……なんという恐ろしいトラップだ!」

ヒューは緊張した面持ちで頷く。

「……ああ」


「誰かの差し金かもしれん。警戒を怠るな!」

「……わかっている」


「俺が先に行く。ついてこい!」

「……油断するな」


二人は互いに背を預け合い、警戒しながら一歩ずつ正しい手順を踏み入浴する。


「おっせーなあ、いつまで入ってんだよ。もう一時間以上経ったぞ……」


そうぼやいた矢先、ガイルとヒューが揃って湯気をまとい、浴場から出てきた。

二人の頭からは、まるで戦場を生き延びた戦士のようなホカホカが立ちのぼっている。


「ん? 出てきたみてーだな。んじゃ、おれっちも――」

急ぎ脱衣所に駆け込む。

「ちっちぇーフタだな、サイズあってねーんじゃねえか」

浴槽に張ってある蓋代わりの板を横に滑らせて、

勢いよく風呂にダイブする。

そして次の瞬間。


――響き渡る絶叫。


まるで某格闘ゲームのハメ技を延々と食らうキャラクターのような、悲鳴とも断末魔ともつかぬ声が、浴場の壁にこだましていた。

シュンヘイはその後、イモリスを家まで送って行って、割とすぐ帰ってきた。


大部屋っぽい場所でみんな泊まれるようにしてくれた。

寝る場所は当然、男女で襖を立てて区切る。――異世界でお布団だ。


そして寝る前に、ミナがいつものフカフカ火魔法を使って、みんなの布団をふわふわにした。

「んだんだ……! なんとまぁ、こったら変わった魔法知ってるもんだなぁ」

ヘルガおばあさんは目を丸くして、感心していた。


さすが布団乾燥機としても優秀だ。


ヒューは筆が乗ってきたらしく、「……切らしたくない」と言い、なかなか寝ようとしない。

僕はというと、布団に潜った瞬間にバタンキュー。あっという間に夢の中へ。


こうして――エレレ村初日が終わった。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

物語を続ける力は、皆さんの反応からいただいています。

また次回も覗いていただけたら嬉しいです。







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