第18話 腰の三宝

エレレ村――。

山あいにひっそりと息づく、小さな集落。


二十軒ほどの家が、点々と建っている。

それぞれの家のまわりには畑が広がり、土と草の匂いが漂っていた。


村の脇を細い小川が流れ、生活の水音を絶やさない。

農作業の合間に使われる水路でもあり、子どもたちが魚を追いかける遊び場でもある。

飲み水は井戸を頼り、桶で汲み上げる音がどこか懐かしさを運んでくる。


村をぐるりと囲むのは、深い緑の林と、ゆるやかに連なる小高い山々。

さらに遠く、空気の澄んだ朝の光の先には――

あの険しいチャド山脈が、まるで壁のように立ちふさがっていた。


静かで、素朴で、そしてどこか懐かしい。

そんな村で、僕たちの新しい一日が始まろうとしていた。


今、僕たちはイワナ釣りのポイントに向かおうとしていた。


 ――その前に。


 朝飯の席で話が決まったのだ。


「ほうじゃ、兄ちゃんたち、イワナ釣りさ行きてえんだべ?」

 湯気の立つ味噌汁をすすりながら、シュンヘイ君がこちらをじろりと見る。


「まあ、結論からいえばそうだね。連れてってもらえると助かるんだけど」

 僕は素直にうなずいた。


「んだら、いいべ。ちょうどエサも手に入ったごどだしな」

 彼はけろっと言う。


 ……その“エサ”って、やっぱりあのゴブリンのことだよね?

 魚って雑食らしいけど、内心ちょっと複雑だ。


「よし、では装備を整えて出発だ」

 ガイルが立ち上がる。

 その横でヒューは、目の下にくっきりとクマをつくっていた。


「夜更かしするからよ」

 ミナが呆れ顔。


「……回復魔法を頼む」

「はいはい、しょうがないですねぇ」

 フローラが柔らかい声で手をかざすと、ヒューの顔色が少しだけましになった。


「おかわり!」

 バルクが空になった飯椀を高く掲げる。

 焼き魚も漬物もぺろり、朝から恐るべき食欲だ。


 僕も食べ終えると、取材道具と釣り道具、それから一応念のための冒険用具をリュックに詰めて準備を整える。


「……んでも、あんま遅ぐなんなよ。山ん中は気ぃ抜げばすぐ暗ぐなるすけ」

 ヘルガおばあさんが釘を刺す。

 その言葉に、僕らは思わず背筋を伸ばした。


「よし行こうか!」

 ガイルの合図にみんなが腰を上げた、そのとき。


「あれー? みんなでどこいぐの?」

 イモリスちゃんが駆けてきた。


「釣りに決まってっぺ!」

 シュンヘイ君が即答する。


「おらも一緒に行ぐ!」

「ダメだダメだ! イモっぺ来っと、めんどぐさいごどばっか起ぎっから!」

「なしてだべ!? おらだって魚釣りてえんだ!」


 朝っぱらから子ども同士の喧嘩みたいにやり合う二人。


「まぁーいいじゃないですかぁ~。にぎやかな方が楽しいですしぃ」

 フローラがおっとり笑って仲裁する。


「まあ、しょうがないわね」

 ミナも肩をすくめた。


「さすがフローラねえちゃん! ミナねえちゃん!」

 イモリスちゃんは二人に抱きつき、甘えるように頬をすり寄せる。

 どうやらすっかり“お姉さんっ子”になってしまったらしい。


 こうして結局イモリスちゃんも加わり、僕たちはわいわい賑やかに、イワナ釣りのポイントへと歩き出したのだった。


昨日あれほど小悪魔のように暴れまわっていたイモリスちゃんも、今日は不思議と大人しくしていた。

山道を歩きながらも、フローラやミナに手をつないでもらって上機嫌。

時折、シュンヘイ君にちょっかいを出そうとしては、ちらりとにらまれてすぐに引っ込む。

どうやら今日は“お姉さんたちと一緒にいる”ことに満足しているらしい。


そうして笑い声や鳥のさえずりに包まれながら歩くことおよそ一時間――

僕たちはついに、イワナ釣りのポイントへとたどり着いた。


滝の音が、近づくごとに大きくなっていった。

やがて木々の間を抜けると、目の前に十メートルほどの滝が姿を現す。

轟音とともに落ちる水は、白い飛沫をあげてエメラルドグリーンの滝壺へと吸い込まれていく。

その表面には絶えず白波が立ち、光を受けてきらめいていた。


滝壺の下流には段々に連なる小さな滝が続き、水の流れが音を重ねる。

周囲はこだかい崖に囲まれ、ところどころに大岩や倒木が散らばっている。

幅は二十メートルを少し超えた程度。川を横切るように大きな岩が点々とし、勇気があれば向こう岸まで岩づたいに飛んで渡れそうだ。


木々に覆われた場所は昼なお薄暗く、しかしその中心に広がる滝壺だけは神秘的な光を宿している。

まるでここが天から神が降り立った場所――そう錯覚させるほどの神々しさがあった。


「よしっと」

シュンヘイ君が腰を下ろし、慣れた手つきで釣りの準備を始めた。

僕たちは興味深そうにその様子を見守る。だが次の瞬間、目を疑った。


彼が取り出したのは、小さな木箱。

その中から……なんと、ゴブリンが一体。


「よっと!」

シュンヘイ君はまるで木の枝でも折るかのように、ゴブリンの手足を次々と引きちぎった。

――血は出ない。ただ無機質に、不要な枝を取り除くみたいに。


「ね、ねえ……いまの、できる……?」ミナが青ざめながら呟く。

「ま、まあ……できるっちゃできるけどよ。あんな力感ゼロでやられっと

……逆に怖ぇな」バルクが苦笑いする。


シュンヘイ君はまるで当然のことのように言った。

「手足ついでっと、魚が食いつぐ時に邪魔すっからな!」

そう言って、ひょいとゴブリンを針に刺す。


そして、岩陰の流れに向かって一投目を放った。

――哀れなるゴブリン。君のことは忘れない。


「シュンちゃん、どうだ? あそごにいそうだが? 釣れそうだが?」

イモリスちゃんが横でわくわくと声をかけてくる。


「うるさいっちゃ、イモっぺ! 集中できねぇべ!」

シュンヘイ君は振り返って怒鳴った。


釣り場では本来、静かにするのがマナーだ。

騒いでいると「うるさいぞ!」と怖いおじさんに叱られるのは、どこの世界でも共通らしい。

もちろん、仲間内で楽しくやるのも全然アリなのだが――魚によっては物音ひとつで警戒して、エサに見向きもしなくなるケースもある。


しばらくして、竿を上げる。

「……あーあ。エサ、取られちまったべ」

ぽつりと呟くシュンヘイ君。


だがそれは、魚がそこにいる証拠でもある。

「エサも有限なんだからな! 無駄にできねぇ」

そう言って彼は再び木箱を開け、次のゴブリンを掴み取る。


先ほどと同じ手順で――ぶちぶちと手足をもぎ取り、針にかける。

その手際は、異世界少年釣り師の本領発揮といったところ。

「……すごい集中力」

ミナが小声でつぶやいた。

「まるで……獲物を狙う猛禽の目だな」

バルクも息をのむ。



鳥の羽根を結んだ目印が、流れに合わせてゆらゆらと漂っている。

突然、その動きが不自然に止まった。


――アタリだ。


しかしシュンヘイは動かない。

まだ口先でエサをついばんでいるだけ、竿に重みは伝わらない。


目印が、ほんのわずかに上流へ引き戻される。

そして次の瞬間、コツッと竿先にかすかな重みが乗った。

――魚が餌をくわえ、反転した。


「……今だ!」


少年の声と同時に、鋭いアワセが入る。

ピシッ! 竿が弾かれるようにしなり、テグスが水を切った。

その瞬間、滝壺の水面が炸裂した。


銀色の巨体――巨大イワナが跳ね上がる。

体をひねり、頭を振り、針を外そうと必死にもがく。

水面に叩きつけられた尾が、白い飛沫をあげた。


「デ、デカっ!」

バルクがのけぞる。


イワナは力任せに下流へ突っ走る。

シュンヘイは竿を立てて追随し、テンションを保ったまま踏ん張る。

細いテグス一本、少しでも緩めれば外れる。逆に強すぎれば切れる。

その境目を正確に読み取り、竿を寝かせたり立てたりして衝撃をいなす。


さらに魚は滝壺の深みに潜ろうとし、竿を根元からぎゅう、と絞り込んだ。

だが少年は焦らない。すかさず横へ移動し、竿の角度を変えて引きをいなす。

――魚の走りを殺さず、いなし、弱らせる。


やがて巨体は水中で翻り、抵抗が少しずつ鈍くなっていった。



やがて、流れの中から銀色の影が揺らめいた。

イワナ――それも驚くほど巨大な一尾。

弱り始め、こちらへと寄ってくる。


「フィリオ兄ちゃん! そごにオラのタモがあっから、そいつで取り込んでけれ!」

「え? ああ、これだね! ……ってこんな小さな網で?」

「大丈夫だ! ゆすりながら入れっと、ちゃんと入っから!」


「……う、うーん。わかった、こうかな?」

僕はおそるおそるタモを水面へ差し入れ、上下に小刻みに揺すった。

すると大物イワナはするすると網へ吸い込まれるように入り込んでいった。


「す、すげえ……」

すぐ横で見ていたバルクが、思わず呟いた。


「取り込めだか? んじゃ今度は、そっちのビクに移し替えてけれ!」

「次はこっちか……って、重っ!」

タモは一向に持ち上がらない。


「よっしゃ! おれっちも手伝うぜ!」

バルクが駆け寄り、タモを支え釣り針をイワナの口から外す.

ユサユサと揺らすたびに、イワナの巨体はずぶずぶとビクの中へ吸い込まれていった。


「……はいった、ほんとに入っちまったぞ」

「どうなってんのよ、このタモとビク……」ミナも呆然と口を開ける。

「……これは……記録級だな」ヒューが感心したように呟いた。

「えっとぉ~、こんなの初めて見ましたぁ……」フローラも目を丸くする。

「作戦通り……なのか?」ガイルが首をかしげた。


仲間たちが口々に感想を漏らす中、僕はただ一人、少年の横顔を見ていた。

――小さな手の確かな竿捌き。

――冷静な判断と、迷いのない足さばき。


この小さな少年に宿る技術と胆力に、僕は心から感心するのであった。


その後、シュンヘイ君はもう一匹のイワナを釣り上げ、僕たちは早めに村へ戻ることになった。


……まあ、イモリスちゃんが、一匹目を釣った後に「次はおらの番だべ!」と駄々をこねて、ちょっとした一悶着はあったのだが。


帰り道、足取りは釣りの余韻で軽やかだ。木々の間から差す陽射しが、川面の残照を反射してちらちらと揺れている。

「いやぁ~それにしても、そのタモとビク、すごいねぇ。それにあの木箱。どうなってるの?」

僕はシュンヘイ君の腰に差してあるタモとビクを指さしながら、疑問を投げかけた。


「それはオラのばっちゃが作ってけだんだ!じょんぶだべ、釣りもめっちゃ楽さなるし!」

シュンヘイは誇らしげに胸を張り、腰の位置で微かに揺れるビクと木箱を見せつける。

「この木箱はな、エサ箱だぞ。けっこう入るんだべ!」

シュンヘイはにこりと笑い、腰の木箱を軽く叩いた。


「竿と糸は普通……みたいだ、どうやってあの箱からエサを……?」

僕は首を傾げ、さらに疑問を重ねた。


「んだんだ、中にはエサしか入らねぇ。でもな、イキいいまんま箱ん中さ仕舞っとげんだ。出す時はよ……こうやって手ぇ突っ込んで捕まえっと!」

シュンヘイが実演するように手を箱に差し込む。


「ビクの中に、あのデカいイワナが二匹も入ってて……重くないのか?」

ガイルが驚きの声をあげた。


「んにゃ、入っちまえば重くねぇんだわ。それになぁ、中はひやっこぐなってっから、十日ぐれぇは新鮮なんだぞ」

シュンヘイは当然のように言い放つ。


――チルド機能付きか。いや、前世の冷蔵庫のチルドでもせいぜい二、三日だぞ。高性能すぎない?


「でもタモだと……重いままじゃない?」僕がさらに突っ込む。


「んだな。けんどタモはイケるんだわ。どんだけデカくても生き物はスッポリ入んのよ」


「じゃあ最初からビクに入れれば良いじゃない?」ミナが首をかしげる。


「ビクはな、横さしちまうと中の魚が逃げっからダメなんだ!」


「しんだおさかなさんはぁ~?」フローラが小首をかしげる。


「んだば、タモはイケっけどビクには入んねぇな」


「……興味深い」ヒューが短くつぶやく。


「シュンちゃんもすげえども、ばっちゃもめっちゃすげえんだど!」

イモリスが胸を張ってドヤ顔。


――いや、なんであなたがドヤるの?

腰に手を当てて、まさかのイナバウアー状態だ。


村にはお昼頃到着した。するとドワーフのようなゴツい男の人がいた。

「よう、シュンヘイ。どうだ?デカいの釣れだべ?」

男は大きな手を腰に当て、にこりと笑いながら話しかけた。


「うん、2匹釣ってきた!」

シュンヘイは胸を張り、誇らしげに答える。


「おう、そったか。ちょうど今ウナギたくさん取って来たところだ。捌いでやるから食べろ」

「イモリスちゃん、あの人は?」

ミナが不思議そうに尋ねる。

「おらのお父さんのガルボだど!」

イモリスは父に向かって笑い、手を振った。


「あ、初めまして。僕はダッカールからシュンヘイ君の取材に来た、釣りギルドのフィリオです」

僕は丁寧に頭を下げ、自己紹介をした。

「おお、あんたたちがそったがかい!?話はおら、イモリスから聞いでらんだぞ!よがったら、あんたたちもいっしょにどーだべ?」


「ではお言葉に甘えようか」

こうして僕たちは他のメンバーを紹介し、イモリスの家の中へ招かれた。



ここまで読んでくれてサンキューな!

ブックマークとか感想もらえたら……おれっち泣いて喜ぶぜ!

あ、でもホントに泣くかも!?

次回も任せとけって!……あ、やっぱ任せなくていいかも!?

by バルク






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る