乙女さまはわかってる!

やなぎ怜

乙女さまはわかってる!

 己に同道し護衛してくれた、精霊騎士たちの顔をひとりひとり見て、その仕事をねぎらう巫女……。


 それはありふれた日常の風景。


 しかしそれが日常であるがゆえに、巫女を護るという任に、精霊騎士たちもことさら気合いが入るというもの。


 どこか誇らしげな微笑みを隠せない歳若い精霊騎士もいる中で、トッドはきりりとした真剣な面持ちを崩すことなく、クールで隙のない表情のままだった。


「う、をををを、え、エヘン! ……えと、え、うおおおおおをを、ををを、おつかれさまですうっ!」


 ……たとえ、己の前にやってきた巫女――エリがびっくりするくらい引っくり返った声で、挙動不審に目をぎょろぎょろと泳がせていようとも、


「巫女さま、ねぎらいのお言葉、ありがとうございます」


 ――と、トッドはクールな態度を崩さない。


 他の精霊騎士たちはそんなトッドの態度に感心しつつ、内心では巫女であるエリと精霊騎士であるトッドの――恋路に早く決着がつくことを切に、切実に願っているのであった。


 そしてそれはエリが「巫女」と呼ばれているゆえんである、彼女に憑依している「乙女さま」こと「精霊の乙女」も同じであった。


『こりゃエリ! まーた挙動不審になりおって……。いったいつになればあやつとまともに話せるようになるのじゃ?』


 エリが離宮に設けられた私室に戻るやいなや、乙女さまはそう言ってエリの頭を軽く小突いた。


 実際に小突いたわけではなかったものの、そのような衝撃がエリの頭を揺さぶる。


 エリは巫女のために仕立てられた真っ白で――しち面倒くさい構造の――装束を脱ぎながら、「そう言われましても……」とうなだれることしかできない。


 エリとトッドは、一応は幼馴染と言える間柄だ。しかし幼少のみぎりを共に過ごした時間はそう多くはない。


 だがその短くもトッドと共に過ごした時間は、エリにとっては忘れがたく、なにものにも変えがたい宝物なのだ。


「お前、見ない顔だな。迷子か? それとも親に捨てられちまったのか?」


 どうしていいかわからず、街角でうずくまってうなだれていたエリに、そうやって声をかけてくれたのはトッドだけだった。


 エリはその日が訪れるまで、自分が不幸だとか、反対に幸福だとか考えたこともないほど、なんの不安もなく満ち足りた生活を送っていた。


 しかしそのような日々は母親の不貞が表沙汰になって、いともたやすく壊れてしまった。


 不貞を理由に離縁された母親にとって、娘のエリは必要な存在でもなければ、可愛い存在でもなかったのだろう。


 家を追い出されてしばらく。知らない街に連れてこられたと思えば、その街角でエリは置いていかれ――やがて捨てられたのだと理解した。


 これまでなんの不自由もなく暮らしてきたエリは、母親に捨てられたことを理解したが、そこからどうすればいいかさっぱりわからず、ただ空腹と不安を抱えてうずくまることしかできなかった。


 そんなエリに声をかけたトッドは、この街の浮浪児たちを取りまとめているリーダー格だった。


 エリは、トッドに声をかけられるまでずっと「リジー」だった。


 けれどトッドに「エリザベス」という名前を素直に告げれば、「それじゃあお前はエリなんだな」と言われたから、エリは「リジー」から「エリ」になったのだ。


 そんな名前も、エリにとってはトッドから貰った宝物のひとつだ。


 エリはトッドに生き方を習った。空き瓶がよく捨てられている場所、大人の浮浪者が縄張りにしている地域……。色んなことを教えられて、エリはひとりの浮浪児として生き出した。


 面倒見のよいトッドは他の浮浪児たちからも慕われていて、大人の浮浪者からも一目置かれた存在だった。


 そしてエリは、そんなトッドの優しさを受け取って、いともたやすく恋に落ちた。


 けれどもエリはその恋を口に出す気にはなれなかった。


 親から捨てられたという経験は、エリの価値観を破壊しつくし、自信を失わせるにはじゅうぶんな出来事だった。


 ――もしかしたら、わたしに悪いところがあったから、父親も母親もわたしを捨てたのかもしれない……。


 そう考え出すどんどんと気分が落ち込んで止まらなくなる。そして、トッドに恋心を告げようという気は一切起きない。


 トッドのそばにいられるなら、それでいい。


 そんな風に消極的な態度でいたエリだったが、そうもいかない出来事が起こる。


 ある日突然、「精霊の乙女」――乙女さまがエリを巫女に選んだのだ。


 たまたま、地下の下水道で拾った小粒の宝石がついた汚れたネックレス。それがどうやってここに流れ着いたのかまでは定かではないものの、それを拾って綺麗にしたその日の夜、エリの夢の中に乙女さまが現れ「巫女にする」と告げたのだった。


 エリがネックレスを綺麗にしたのはより高く売るためであり、間違っても「汚れたままなんてかわいそう」というような発想からの行動ではなかった。


「なにかの間違いではありませんか?」

『いいや、間違いではない! そなたの恋心はいっとう大きく素晴らしいパワーになるのじゃ!』

「……恋心……?」

『そうじゃ、あたしのパワーの源はコイバナなのじゃ!』


 エリは乙女さまがなにを言っているのかさっぱりわからなかったし、寝ているあいだに見た、夢の中でのやり取りであったから、朝起きればそれはもうないものと同じだと思った。


 だがその日の朝、いつものように地下の下水道から外に出てしばらくすると、いかめしい騎士の装いをした男性たちに囲まれて、エリは自分が巫女になったのだということを、否が応でも実感することとなった。


 乙女さまはかつては王家の女性に憑依し、巫女としてきたのだが、複雑ないざこざがあって嫌気が差し、こんな場末の街にまで流れてきたらしい。


 そしてなぜかエリを巫女に選んだ。


 エリは実は王家の血を継ぐ落としだねで……ということもなく、貴族籍もない庶民である。しかも今は捨て子の浮浪児。


 けれども乙女さまはそうとう長く隠れていたらしく、また乙女さまの説得はその性格的に難しいということもあってか、エリはあれよあれよという間に巫女として担ぎ上げられてしまった。


 もちろんトッドや、他の浮浪児たちとも離れ離れになって、もう会えないのかもしれないとエリは別れの言葉も言えなかったことを悲しんだ。


 その代わりとでもいうように、巫女となったエリはかつての仲間たちのためと、福祉や保障といった活動に力を入れたが、胸にぽっかりと空いた穴が埋まることはなかった。


 だがそれから数年後、おどろくことにトッドは再びエリの前に現れた。乙女さまが憑依した巫女を守護する、精霊騎士として。


『あたしにかかればこれくらいちょちょいのちょい……と言いたいところじゃが、精霊騎士に任じられたのはあやつの努力の結果じゃ。存分に褒めてやるとよいぞ!』


 どうやらトッドは、紆余曲折あってあのときエリを迎えにやって来た精霊騎士たちのうちのひとりに養子として引き取られたらしい。


 そしてそれはどうやら乙女さまが「ちょちょいのちょい」と手を回した結果であるらしい。


 乙女さまはエリがトッドに恋をしていることを知っている。


 そして乙女さま曰く、乙女さまのパワーの源はコイバナ……すなわち惚れた腫れたの恋愛ごと。


 乙女さまは単なる気まぐれでトッドが精霊騎士になれるよう仕向けたわけではないとは、エリも理解していた。


 それでもうれしかった。トッドへの気持ちは、年月を経ても少しも薄れていなかったことを、彼と再会して実感した。


「――う、おををををを、よよよよ、よろしくぅ、おねが、しますっ!」


 ……しかしエリはトッドとの接し方を思い出せず、緊張しまくって、びっくりするほど引っくり返った声でしかしゃべれなくなっていた。


「よろしくお願いします。


 そしてそんなエリのおかしな態度にトッドは触れることもなかったが、にこりとも笑うこともなかった。


 精霊騎士としてエリの前に立っているのだから当たり前とは言えども、口ぶりだって昔の面影がない。


 ふたりきりになることができれば、きっと以前のように話しかけてくるはず――。そうすれば、エリだって昔と同じように振る舞えるはず。


 ……そう思っていたのだが、そんな機会は今のところ一度として訪れてはいない。


 精霊騎士というものは二人一組が基本であったし、トッドはその基本を無視してこっそりとエリに会いにくる……なんてことはしなかったからだ。


 エリは当然だと思った。けれど、さみしいとも思った。その身勝手な感情に触れて、自己嫌悪した。


 なので相変わらずエリはトッドの前では挙動不審のままで、トッドは昔とは違うクールな態度のままだった。


 エリの態度は改善すべきだと本人も理解している。


 けれども、トッドの態度はその立場にふさわしいものだろう。


 精霊騎士は、巫女を守護するのが第一の仕事。馴れ馴れしく会話を交わすのが、立場上ふさわしくないというのは、エリにだって理解できた。


『おぬしは唯一無二の精霊の乙女に選ばれた巫女なのじゃから、べっつにワガママ言ってもいいと思うんじゃがな~?』

「だめですよ!」


 エリは口ではぴしゃりと乙女さまをたしなめたが、内心ではわずかな邪心がないわけではなかった。


 けれども、トッドだって理由もなくああいう態度を取っているわけではない。まして、エリを困らせようという意図はないはずだ。


 そんなトッドに「昔みたいに話してよ」なんて無邪気にお願いできるほど、エリはもう純真無垢な少女ではなかった。


 そんな言葉をトッドにかければ、十中八九、いや、絶対に彼を困らせてしまう。


 それはエリの本意ではない。


『そうやって恋心を隠して隠してどうするんじゃ? 冥府まで持って行く気か?』

「……そう、なるんじゃないですかね?」


 巫女は特別婚姻を禁じられているわけではない。


 けれどもエリがトッドに恋し続ける限り、エリが伴侶を持つということにはならないだろう。


 エリの中にあるささやかな結婚願望は、トッドがお相手でなければ意味がないと言っている。


 巫女の装束から普段着の質素なワンピースに着替えたエリは、イスを引いて机と向き合う。


 鍵のかかった引き出しを開けて、取り出したのは一冊の本――いや、日記帳だ。


 この日記帳はほとんどエリの「恋愛煩悶日記」と化している。つまり、日々感じる片思い相手であるトッドへの、煩悶を心のままに書きつづった……というか書き殴ったシロモノである。


 もしその中身をだれかに見られたら、滝つぼへ身を投げるしかないというような、エリにとってはそういうシロモノでもあった。


 エリが恋の話を出来るのは、現状乙女さまだけ。


 それでも思いが湧き出てあふれて止まらないので、こうして文字として書きつけている。


『いっそ、その日記帳をそのまま渡せばよいのではないか?』

「だめですっっっ!!! そんなことになったらわたしは恥ずかしさで死んでしまいます! 乙女さまだってそれは困るでしょう!?」

『お、おう……』


 エリの剣幕に、乙女さまからはたじろぐような声がした。


 しかしエリは乙女さまのそんな様子は意に介さず、日記帳を開き、白紙のページに猛スピードで文字を書き殴り始める。


 エリにとってはもはやそれは日課、いや、こうして昇華しなければ思いはあふれてトッドへと向かってしまう。


 ゆえに日記帳に思いを書き殴るのは、エリにとっては生命線を守るに等しい営みのひとつとなっていた。


 エリの本心を知るのは乙女さまと、この日記帳だけ――。……少なくとも、エリはそう思っていた。



 *



 「ぎゃあっ!」というエリの色気の欠片もない悲鳴は、それよりも大きな咆哮にかき消された。


 エリの目の前にいるドラゴンが大きな口を開け、鋭い牙を見せている。その光景だけでも常人であれば卒倒せんばかりに恐怖するだろう。


 エリとて恐怖がないわけではなかったが、次の瞬間にはそれはどこかへ飛んで行った。


『おおっ、なんと美しい娘! 我の嫁にしてやろう!』

「え?」


 尖った爪のある前脚が、エリの体を掬うように持ち上げた。悲鳴を上げる暇すらない。エリが着ている巫女の装束の、貞淑な長い裾がひらひらと舞う。



 ……この日、エリと乙女さま、そしてその護衛として同道する精霊騎士たちが向かったのは、ドラゴンが棲まうと言う霊山。


 麓の村々はこの霊山から流れ出る湧き水を生活用水として使っていたのだが、近ごろその水の流れが細くなっていると言う。


 ドラゴンが棲んでいるために村人たちはおいそれと立ち入れぬ霊山に、エリたちが向かうことになったのだ。


「どうやら落ちてきた岩が水源近くの水の流れを堰き止めていたようですね」


 原因はすぐに判明した。先行したトッドの前には巨大な岩の塊がある。周囲の安全を確認したのち、エリが岩に近づき、精霊の力――乙女さまの力でそれを砕くことになったのだが。


 エリの周囲が淡く光ったかと思うと、岩はすぐに砂状に変わり、水源からの流れを遮るものはなくなった。


「よし。これで水の流れもそのうち元に戻るはず……」


 エリが精霊騎士たちのいる後方へ振り返ろうとしたとき、やにわに上空から強烈な風が吹きつけた。


 ドーンという地響きのあと、すぐ目の前に暗黒色の鱗を持つドラゴンが現れた。


 そしてドラゴンの、『おおっ、なんと美しい娘! 我の嫁にしてやろう!』という言葉と共にエリの体は宙に浮いたのだった。


「ドラゴン?! さっきまでいなかったはずじゃ――」

「まずい! 巫女さまが!」


 さしもの精霊騎士たちも、ドラゴンの登場には浮き足立つ空気となる。


 だがその中にあって、もっとも早く前に飛び出たのは、他でもないトッドだった。


「待て! 巫女さまを攫うならば容赦はしない!」


 腰に佩いていた剣を鞘から引き抜き、その抜身の切っ先をドラゴンへと向けるトッド。


 そんな勇ましいトッドの姿に、エリは安堵と同時にどうしようもないときめきを覚えた。


 だがドラゴンはひるむどころか、どこか嘲笑うように鼻を鳴らす。


『ふん……ヒトの子ごときが我に敵うとでも思っているのか?』

「たとえ敵わぬとしても、向かわぬ理由にはなりはしない」

『勇ましいことだ。だがそれは蛮勇よ!』


 エリはあせって、乙女さまの名を心の中で呼んだ。


(乙女さま! このままじゃトッドが……!)

『わかっておる。だが焦るでない。これは絶好のチャンスじゃと思わんか?』

(え?! な、なにを言っているんですか?!)

『ドラゴンに攫われかけるうら若き乙女! それを救う勇敢なる騎士!』

(乙女さま……?)

『こりゃあ~あっつい恋が芽生えるよきシチュエーションじゃあ!』


 エリは内心で頭を抱える。


 乙女さまは言ってしまえばコイバナジャンキー。他人の惚れた腫れたの恋の話が大好物なのだ。


 そしてその恋が芽生える瞬間こそ、乙女さまにとってはなににも代えがたい興奮をもたらすもの。……らしい。


 エリは巫女だが、それは乙女さまの力あってのこと。


 乙女さまが望まなければ、エリは巫女として精霊の力を行使することは叶わない。


 このままではドラゴンを相手取っている以上、トッドたちが危険な目に遭うことは避けられないだろう。もしかしたら、生死にかかわる事態になるやもしれない。


 そう考えるとエリは全身から血の気が引いていく思いをした。


 ――だが、事態はエリが想像だにしなかった方向へと転がっていく。


『……このまま我が爪で引き裂いてやっても良いところだが……気が変わった。貴様の蛮勇に免じて、この娘を返してやっても良い。――ただし』


 エリとトッド、他の精霊騎士たちは固唾を吞んでドラゴンの次の言葉を待った。


『――貴様がこの娘をいかに愛しているか、その思いの丈を叫べばな!!!』


 エリは再び、内心で頭を抱えた。


 なにがどうなってそのような難題を提示するのに至ったのか、今己を抱き上げているドラゴンの胸を叩きたい気持ちになった。


 そして内心で頭を抱えると同時に、エリの胸中に焦りが生まれる。だらだらと、冷や汗をかいているような気持ちにもなった。


 ――無理だ。


 エリとトッドは、そういう関係ではないのだ。


 おまけにエリはトッドと再会してからこっち、挙動不審な態度しか取れていない。まともなコミュニケーションは取れていないのだ。


 これでは好かれているどころか、嫌われているまである。


 エリはトッドが戸惑ったりする顔を見たくなくて、自然とうつむいた。


 だが――


「――いいだろう。二言はないと約束しろ」


 トッドは少し声を低くして、勇ましく言い切った。


 エリの中に、先ほどまでとはまた違った焦りが生まれる。


 しかしトッドもドラゴンも、そんなエリの百面相に気づいていないのか、気づいても無視しているのか、両者のあいだで話は爆速で進む。


『この我が約束をたがえるとでも? 見くびってもらっては困る』

「なら、いい。――今からがどれだけ彼女を……エリを愛しているか、耳かっぽじってよく聞け」


 再会したトッドは、いつもクールな態度で「私」と言っていた。そして言葉遣いも昔の粗暴なものではなく、丁寧なものだった。


 だが、今のトッドはどうだ。まるでエリと出会ったときのような口調に戻っている。


 エリは思わずうつむけていた顔を上げ、トッドを見た。


 トッドは、眉間にわずかにしわを寄せ、強い意志の宿った瞳で恐怖の欠片もなく、ドラゴンを見上げている。


 その視線の熱さに、エリは焼け焦げてしまいそうな錯覚をした。


「俺はエリが好きだ」


 そのひとことだけで、エリは頭全体が熱くなるのを感じた。


「エリが好きで好きで仕方なくて。好きすぎてエリがつけている日記帳を盗み見るか三ヶ月は悩み抜いた。……結局読みはしなかったが、お前のせいでまた盗み見たい欲求が出てきた」


「エリが与えてくれるものすべてが愛おしい。愛おしすぎてすべて永久保存したいがそれはできない。だからすべてを記録するためにスケッチを学び始めた。スケッチブックは一〇冊を超えたが、まだまだ書き続けるからこれからも増えるだろう」


「エリが頑張っているところを見ると涙が出そうになるほど愛おしい気持ちになる。巫女装束の裾がひらひらしているのを見るだけで感動するんだ。エリが巫女としての仕事を頑張っている証だからな」


「……初めは、だれにでも優しくできて、だれかを恨めないエリが心配で追いかけて、精霊騎士になった。だが、エリと再会してその気持ちの中に恋心もあることがわかった」


「――それからはずっと、もう、エリしか見えていない」


 エリはふたたび顔をうつむけていた。


 その顔は真っ赤だ。恥ずかしくもうれしく、しかし今すぐ穴を掘って飛び込みたいむずがゆさ。


 その顔はだらしなくにやけている。口の端がゆるゆるになって、なんだったら涎が垂れ出てくるんじゃないかというくらいだ。


 ――うれしい!!!


 エリの胸中にその感情が生まれた瞬間、彼女の体がこれまでにないほど強く発光した。


『うおっ、まぶしっ!』


 強烈な白い光が放たれたことで、ドラゴンの前脚の拘束が緩む。


 エリはその隙を見逃さず、体をひねってその手のひらから逃げ出た。


 そして――


「エリ!」


 光に包まれたエリの体を、優しくも力強く受け止めたのは、他でもないトッドだった。


「トッド……」


 トッドを前にしても、エリの口からはもう引っくり返った声は出ない。


『くっ、どうやら我に勝ち目はないようだ……小僧、約束通り娘は返そう』


 ドラゴンはそう言うや、再び翼をはばたかせ、山肌から空へとあっという間に去って行った。


 エリとトッドはそんな光景を見やったあと、再び見つめ合う。


 だが両者ともに、時間差で猛烈な羞恥心に襲われて、頬を赤らめる。


『今さら恥ずかしがってどうするんじゃ~? ほれほれ、今こそエリの思いの丈を伝える番じゃ!』


 ずっと黙り込んでいた乙女さまが、ここぞとばかりに囃し立ててくる。恋のチャンスは逃さない。それが乙女さまである。


 エリは恥ずかしさを感じながらも、トッドに抱き上げられた腕の中、彼の顔をしっかりと見上げる。


「巫女さま――」

「……お願い。今だけは『エリ』って呼んで。トッドがくれた、わたしの名前で……」

「……エリ。その」

「わたしも、トッドが好き」

「――え?」

「ずっと前から……トッドよりも前から、トッドのことしか、見えてないよ……」


 トッドの顔がさらに赤らんで、耳から首まで紅潮した。


 それを見たエリも、猛烈に恥ずかしくなって――それでもトッドから視線をそらすことなく、彼を見つめ続けた。


「俺たち、両思いってことでいいんだな?」

「うん……。そうだよ。両思い」


 エリがそう言ってはにかんだ瞬間、トッドの足元から円状に花が咲き乱れ、広がる。


 山に棲まう精霊たちが、巫女の恋が実ったことを祝福しているのだ。


 ふたりは呆気に取られてその様子を見届けたあと、また視線を合わせて、お互いに微笑み合った。




 ……蚊帳の外の他の精霊騎士たちは、「絶対乙女さまが仕組んだだろ」と思いつつ、どう見ても両思いなのにぜんぜんくっつかなかったふたりがやっとくっついたので、花畑の中でふたりを祝福した。


 そしてこのとき生まれた花畑は、のちの世まで末永く美しい色とりどりの花を咲かせ続けるのであった。

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