第2話 運命の出会い

 王城の天空殿と呼ばれる宮殿の広間で行う舞踏会は、まばゆい光に満ち溢れていた。

 ガラス張りの天井から差し込む月の光と、シャンデリアの輝き。

 大理石の床を照らす数多の光の下で、貴族たちが華やかに踊っている。


「……どうやって、あの人たちを嵌めればいいのかしら」


 壁の花として影に溶け込むわたしは、ひっそりとため息を吐いた。

 誰も彼も、地味で見窄らしいドレスのわたしから視線を逸らす。

 まるで、ここに、存在しないかのよう。


 わかってる。ボロ切れみたいなドレスを着るような令嬢になんて、誰も話しかけてこないってことは。

 今まではそれでもよかった(だって、社交なんてわずらわしい)。

 けれど、クラリッサやお父様——いえ、父に復讐するのだと決めたから。

 協力者がほしいところなのに。


 わたしはもう一度ため息を吐いて、顔を上げた。

 その視線の先。そこには、クラリッサがギルバート様と仲睦まじく踊る姿があった。


 ギルバート・オルブリック様。

 オルブリック子爵家の次男で、わたしの元婚約者。

 美しい金髪に、青い瞳が輝く容姿端麗なだけの顔だけ男。

 わたしが長女で、ギルバート様が次男じゃなければ、決して婚約などしなかった。


 わたしを虐げ、貶めることに命をかけているらしいクラリッサのお陰で、ギルバート(もう様付けしなくていいわね)とは無事、婚約破棄できたのは僥倖だった。


 本当に、そういうところは信頼できる良い悪役令嬢だったのにね。


 クラリッサはその愛らしい容姿と振る舞いで、会場中の視線と称賛を浴びている。

 隣では、容姿だけは本当に素晴らしいギルバートが寄り添って、まるで恋愛劇の一幕を観ているかのよう。

 いつもの癖で、うっとりと目を細めたところに。


「お姉様、そんなドレスで恥ずかしくないの?」


 と。クラリッサの微笑みに紛れた鋭い嘲笑が突き刺さった。

 ギルバートもクスクス笑いながら、クラリッサに愛を囁いている。


「クラリッサ、僕の愛しいお姫様。そんな女に構うことなどないよ」


 きっと。復讐を誓う前のわたしなら、妹に婚約者を奪われた出来損ないの姉を演じるのだ、と意気込んで、涙をうっすら浮かべて俯くことくらいできただろう。

 でも、もう、そんなこと。わたしにはできなかった。


 冷めた目で二人をギロリと睨み(完全に無意識だった)、わたしからクラリッサに乗り換えた事実を暴露してやろうと口を開きかけた——その時だった。


 急に会場が静まり、カツ、カツと重い足音が広間に響く。

 さっきまでくるくる踊っていた貴族たちが、顔を引き攣らせて静かに割れてゆく。


 ヴァルモンド公爵だ。

 ルーカス・ヴァルモンド公爵が天空殿の広間に到着したのだ。


「……なんて、きれい」


 公爵の姿と目を見たわたしは、思わず呟いていた。

 浅黒い肌と黒い髪。左頬に走る深い傷跡に、黒い軍服に包まれた長身。

 威厳に満ちた灰色の鋭い視線が、広間を舐める。


 ヴァルモンド公爵は、誰もが震える恐ろしい容姿と、冷酷な雰囲気を持つ男だった。

 公爵という身分でありながら、魔境から押し寄せる魔物から王国を守るために剣を振るう英雄なのだけれど。

 クラリッサがわたしへの嫌がらせとして公爵の名前を出す程度には、良い噂を聞かない人。

 事実、何人もの貴族がヴァルモンド公爵と関わって——社交界から消えている。


 関わらない方がいい。

 そう思っているのに、わたしは公爵を避けるどころか見惚れていた。

 だからだろうか。貴族たちが公爵に怯えて目を逸らす中、彼の視線がわたしにピタリと止まり、近づいてくる。


「名は?」


 地を這う冷気のように低い声だった。けれど落ち着いた声だ。


 嘘でしょ。どうして、わたし?

 混乱する一方で、わたしは頭の端の方をぐるぐると勢いよく回して考える。

 クラリッサを相手にしている時よりも、心臓が激しくドキドキしている。

 公爵が歩みを進めるたび、周囲のざわめきが遠ざかり、わたしの心臓の音だけが身体の中で強く強く響く。


「耐えることに慣れている目だ。……だが、君の本質は真逆だろう?」


 ヴァルモンド公爵がわたしの前で、そう囁いた。公爵の瞳には、嘲笑も憐れみも浮かんでいない。

 ただ、わたしを。わたしだけを真っ直ぐ見つめている。

 心臓が、頭の芯が、強く熱く燃えている。

 まるで、初恋のよう。


「君は、何を壊したい?」


 まるで悪魔の甘言。わたしにとっては、天使の囁き。

 わたしが壊したいのは、復讐したいのは——クラリッサと父。ついでにギルバートにも痛い目にあってほしい。


 声に出さずに視線で伝える。どうやら公爵には、うまく伝わったようだった。

 薄く笑った公爵の端正な顔に、わたしは息を呑む。


 なんて、なんて、なんて!

 王国中の全ての恋愛劇に出てくるヒーローの頂点に立つ役者のような神々しさ!

 冷酷なヒーローと思わせておいて、実は不器用で心優しい自己表現力が乏しいヒーローそのもの!


 顔の傷がなんだっていうの。

 ヴァルモンド公爵の本質は、その外見じゃない。

 こんなにもわかりやすくて簡単なのに、公爵を避けて視線を外す貴族たちには、どうしてそれがわからないの?

 もっと演劇を観るべきじゃない?


 心の中で憤慨して、現実的には放心していると。

 公爵がその逞しく美しい造形の完璧な腕と手を、わたしにそっと差し伸べた。 


「君の名は?」

「……エレノア・バルドーです、ヴァルモンド公爵様」


 震える声で答えると、公爵の傷だらけの顔が柔らかく微笑んだ。

 やめて!

 甘々感動系からドロドロ愛憎悲劇系まで、恋愛劇を満遍なく嗜む面食いのわたしには、その男らしくも美しい顔の微笑みが非常に、非常に効くんです!


「ルーカスでいい。エレノア嬢、私と踊ってほしい」


 わたしは自分の復讐心や打算や計算を放り出して(放り出してないけど)、公爵のつよつよ顔面にハートを撃ち抜かれてしまった、というわけ。

 だから差し出された手に縋りつくように(だって、膝の力が抜けてしまったのだもの……)、公爵の申し出を受け入れたのだった。




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