長袖と半袖のあいだ
きみは昼休みに図書閲覧室を訪れていた。
今日は江國香織『冷静と情熱のあいだ』を開いている。辻仁成版も借りている。同じ世界を女性視点と男性視点で書いた小説だ。ペア小説というべきか。
とかく人というものは冷静と情熱を併せ持つものだ。
江國版の女性主人公は感情をあまり表に出さない一見冷静な人物で内に情熱を秘めている印象だった。一方辻版の男性主人公は行動が情熱的ではあるが、中身は冷静な印象を受けた。
冷静と情熱。どちらがより表に出ているかの違いだ。
はてさて自分はどういうタイプだろうときみは思う――いや、思わない。
きみはそんなことを気にしない。きみは常に冷静だ。きみが情熱的になるのは年上の美貌の女性を目の当たりにしたときだけだった。
人の気配をきみは感じる。
誰も寄せ付けない空気をまとっていたきみだったが、そのゾーンに入って来た女生徒がいた。
腰のあたりまであるさらさらの黒髪。黒の長袖セーラー服。黒タイツ。
アンドロイドみたいに表情を変えない美貌の次期生徒会長だった。
寒暖差がある時期だったが、次期生徒会長はすでに冬服を纏っていた。スカート丈は測ったように膝丈だ。
「何を読んでいるのかしら?」
次期生徒会長がきみに訊く。
きみは黙って江國版の表紙を見せた。なお辻版も大テーブルに載っている。
「どういう小説なの?」
きみは問われてひととき逡巡する。
次期生徒会長がきみに読んでいる本のことを訊ねるのも初めてだったが、彼女に恋愛小説を読んでいると伝えるとどのような反応を示すだろう。
さまざまな光景が頭をよぎり、きみはしばし戸惑う。
この次期生徒会長が恋愛をどのように考えているか。
彼女は校則がんじがらめの保守的人間として知られていた。
「男と女の小説だ」きみは曖昧に答える。「こっちが女版、こっちが男版。それぞれの視点で同じ世界観を描いている」
「あなた――恋愛小説なんて読むの?」
「俺は何でも読む。疑似体験だ」
「本を読んで疑似体験できるのなら私も読んでみようかしら」
「は? あんた恋愛小説読んで理解できるの?」
もう一つの声がした。次期生徒会長と同じ声。
しかしこちらの方が少し感情がこもっている。
きみは自分のゾーンにもう一人女生徒が入り込んでいたことに気づく。
白の半袖セーラー服。夏服だ。スカート丈も若干短い。しかし黒タイツを穿いている。これは効きすぎた冷房対策か。
黒髪ボブカット。その彼女が次期生徒会長と向き合って立っていた。
髪型や身につけている制服の違いがあってもその顔は全く同じだ。ミラーイメージ。二人がコンタクトする瞬間を学園で見ることは滅多にない。
同じ閲覧室にいた生徒全員が息をのんで成り行きを見守っていた。
「それはまるで自分なら理解できると言っているようにも聞こえるのだけれど」
「ふつうの理解力があればわかるでしょ」
「私に理解力がないと言っているように聞こえるのだけれど」
「ひとの気持ち――理解できるつもりでいるところがおかしいわね」
きみはため息をつく。まさか学校でやらかすとは。
このやりとりが日常であることをきみは知っている。
公にはされていないがこの二人は同じ日に生まれた姉妹だ。といって双子ではない。他にまだ同じ日に生まれた兄姉がいる。それぞれ別の家に養子になった身だから名字も異なるが今は四人で同じマンションで暮らしている。それもきみが住むマンションの最上階だ。
そうした複雑な家庭環境を知る者は学内の一部に過ぎない。きみは生まれながらの相方とともに何度か彼女たちの部屋に招かれたことがあるからよく知っていた。
「それで――あなたもこの『冷静と情熱のあいだ』を読みたいのかしら? 彼が読み終えたら一冊ずつ交互に読む? 私は構わないけれど」
冬服の次期生徒会長が言った。
「うん――って、違うわ! 生徒会役員に話があって来たのよ」
夏服のボブカットは声の抑揚が激しい。
「何かしら? 手短にお願いしたいわね」
「文化祭の野外ステージ。軽音の割り当てが
「それは文化祭実行委員会に掛け合うと良いわね。寄せ集めでどうにか五人維持している小さな同好会の割り当てが
「次期生徒会長の権限でどうにかしなさいよ」
「無理を通すと私の資質が問われるわ。ただでさえ軽音のステージはこれまでまともな前例がなかった。
きみの目の前で同じ顔をした冷静と情熱がぶつかり合う。
きみは思う。家で話し合えないのか? ここは図書閲覧室だぞ。もう少し静かにしたらどうだ。俺の読書の時間が……。
きみが手にする本はずっと同じページを開いていた。
************
おそまつでした。
ところで――「きみ」が長袖だったか半袖だったかは神のみぞ知る。
キャスト
きみ
次期生徒会長
夏服ボブカット
(※) 『気まぐれの遼』
https://kakuyomu.jp/works/16818093081199611508
なお、文化祭の様子は短編集で
『文化祭【藤フェス】』
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