第18話 顛末


「樹里亜さん、何とか教室から出るのよ!」

「無理、無理、無理、足が……ううううう。たかみっ!!! ね、姉様命令! 姉様命令。姉様命令よ! 滅茶苦茶にしなさいっ、滅茶苦茶にしてしまいなさい!」


 何かしらの行動を起こそうとする夏姫だが、どうやら樹里亜はもう使い物にならないらしい。


 ──なんて恐ろしい。


 有紗と樹里亜と言う頼もしい仲間を、存在しているだけで再起不能にする究極生物G冬Verに戦慄しつつ、仕方なく夏姫は机から出た。


 このままでは聖クルス学園の名のある乙女達が、全滅だ。


 夏姫は周囲を見回し、羽音も姿も無いと確認すると、ふらふらしている利恵瑠に駆け寄った。


「利恵瑠さんっ!」

 とにかく何とかしないとならない。

「な、夏姫さん……何て度胸」 

「それよりも……」


 ぶーん。


「きゃああ」

 夏姫は思わず利恵瑠に抱きつく。


 違和感に気付いた。利恵瑠は何か小さな固い四角を制服に隠している、それが胸に当たった。

 思わず彼女の顔を見上げた。利恵瑠の目が微かに泳ぐ、思考が読めた。


「……利恵瑠さん……これ何?」

「ええと……何だろう……? き、記憶が! 記憶が突然失われたわっ……あなた誰? はっ! 夏姫お姫様! ごきげんうるわしゅう……」

「ボケはいいから」


 無理矢理夏姫が四角を引っ張り出すと、タッパーだった。小さな黒い何かが、かさかさと中で動いている。


 夏姫の目が急速に冷える。 


「いやあ、何て言うか……校内の中庭の元花壇のあった場所、室内で温かいから、今の季節でもいっぱいいてね。ほら、私、虫平気だし」


 こいつ……夏姫は全て了解した。もし危険物を持っていなかったら、その場で利恵瑠をぶん殴っていただろう。


「て、てめえ! 利恵瑠っ」

 弱々しかった有紗が、一瞬勇敢になる。

「ふ……ふははははは!」

 利恵瑠は突然、机の上に飛び上がる。


「そうだ! 我こそは究極生物を操る魔王、魔王利恵瑠様だ! 貴様達に恐怖を与えるために家庭科室に連れてきたのだ! くははは! 我が召喚に応じろGよ!」


 夏姫が止める間もなく、利恵瑠は隠していたタッパーを開き、中のもう一匹を解き放つ。


「ぐぎゃー」

「ひぃぃ、きゃー」


 有紗と樹里亜が断末魔に近い声を上げ、「うきゃぁぁ」と夏姫もまたその場に伏せた。

「どうだ! 我を崇めよー」

 ぶっ壊れた利恵瑠が、調子に乗って机の上で両手を上げる。


「どうしたの? 皆さん楽しそうね」

 ああ、夏姫は目を覆う。こんな折に真絢が到着してしまった。


 ゴキブリの破壊力は、真絢のような純粋乙女の精神を、乾麺のままのパスタのように容易く破壊するだろう。


「ま、真絢さん……あ、あなただけは逃げて」

 樹里亜が忠告するが、ぶーんと一匹まるで狙っていたかのように、ゴキブリが入り口の真絢に向かう。


「えいっ」


 ぱちん。


「は?」


 驕り高ぶっていた利恵瑠の表情が固まる……驕れる人も久しからず。

 夏姫も呼吸を忘れる。


 真絢は何事もないかのように、拍手の要領でゴキブリを叩き潰した。


 素手で! 


「真絢さん?」

 夏姫が流石に愕然とすると、彼女はいつものふんわりとした笑みを浮かべる。


「あら、皆さんこんな虫が怖いの? ふふふ、子供みたいね」

「そ、そんなバカな! 我が究極生物Gは無敵のハズ!」

「利恵瑠さん、私の別荘に良く出るのよ、ゴキブリ。だから慣れてしまったわ。冬のゴキブリなんて逆に風流ね」


 真絢は次の瞬間、密かに壁に潜んでいたもう一匹を、押し相撲のようにまた手で潰した。

 呆気無い終局。今まで騒いでいた方がバカみたいだ。


 だが……。


「あらまあ」 

 真絢が眉をしかめる。手がびちょびちょなのだ……ゴキブリの……で。


「うぎゃぁあああ! それはダメぇ! 虫のアレはダメっ」


 余裕だった利恵瑠が机から転がり落ちた。


「利恵瑠さん、ハンカチ貸して下さらない?」

「いやっ、無理ですっ、ごめんなさいっ、許してー」

「なら他の皆さん」

 樹里亜が這いながら逃げようとしている。


 夏姫も『それ』……ゴキブリ汁が怖くて、祈るように両手を強く握りしめるだけだ。


 有紗は……。


「あ、有紗さん!」


 静かだと思ったが、有紗は仰向けに倒れていた。

 恐らく気絶しているのだろう。


「いやー」「きゃー」「やめてー」 


 まさに地獄絵図。きっと本当に重罪人はゴキブリ地獄に落ちるのだろう。

 収集不可、この世の終わり。だが女神様はそんな時にやってくる。


「何をやっているの!」

 騒ぎを聞きつけたのか、美佐子が家庭科室に飛びこんで来た。。

 周囲を見回し全てを察して、剛毅にも自分のハンカチを出す。


 ──さすがお姉様。


 感動し涙に暮れる夏姫の前で、事態は収束した。

 ただし、どっと疲れた、もう李乃探索どころではない。夏姫は壁にもたれかかりながら、ずりずりと教室に戻る。


 にこにこと真絢は相変わらずだが。


 美佐子の介抱により息を吹き返した有紗は、起きた瞬間から激怒し、しばらく利恵瑠は、必死の形相で校内を逃げ回っていた、が……どうでもいい。


 自業自得。


 ──RIP、利恵瑠さん。成仏してね……てか、地獄へゴー!


 等、バカをやってしまったからか、深刻な事態は解決しなかった。 

 級友達の探索にもかかわらず、李乃は完全に学園から消えていた。


 ずっと学園の中にありながら忘れられていた不穏は、ついに行動を開始した。


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