第17話 騒動

 どこからか高い悲鳴が上がった。


「え」

「え」


 と真絢と顔を見合わせた夏姫は、次にはバネ仕掛けの人形ように、悲鳴の元へと駆け出していた。


 校内の風景が一瞬で後方に流れていく。


 夏姫はとにかく疾走した。


 ──何かがあっては遅い……。


 真絢が「夏姫さぁん、もっとゆっくりー」と泣き言を言っていたが、今は聞こえないふりだ。



「きゃー!!!」



 再び悲鳴。今度は絶叫。 


 夏姫はそれで家庭科室だと当たりを付け、扉の前まで駆けつける。


 白い色の木の扉だ。夏姫の心臓が大きくなる。

 中の様子を外から探ると、何やらごそごそと大きな物音、さらに途切れ途切れの悲鳴がある。


 ふー、と無意味に深呼吸して、意を決した。



「どうしたの!」



 扉を開く……立ちつくした。

 家庭科室にいたのは、樹里亜と有紗と利恵瑠だった。


 夏姫はあの男らしい直江有紗が、乙女のように怯えている姿を初めて目にした。

 彼女はがたがたと震えながら両腕を抱き、しおらしく床に座り込んでいる。


 樹里亜は家庭科室の料理台の下に隠れ、利恵瑠は真剣な面持ちで油断なく周囲を見回していた。


 ──何があった?


 ピンと張りつめる空気を感じ、夏姫も緊張する。 


 ぶーん、と何か黒い物が夏姫の鼻先をかすめて飛んでいった。


「きゃー!」と樹里亜。

「ぎゃー!」と有紗。

「ひいっ」と利恵瑠。

「……どうしたの? みんな」


 酷く嫌な予感がする。


「ああああ、わわ、私達……李乃さんをををを……探していたの……ででで、かか家庭科室に……そしたららら……」

 歯の根が合わぬほど怯えながら、樹里亜が蒼白な顔を上げる。


 ぶーん。また音がする……何かの羽音。


「奴よっ! 究極生物Gよっ!」


 利恵瑠が大まじめで叫び、夏姫は悪い予感が当たったと悟った。


 はあ……と肩を落とすと、色々な感情を無いことにして、訊ねる。

「……つまり、家庭科室にゴキブリがいたのね……季節外れも甚だしいわ、どこ? 利恵瑠さん」

「夏姫さんの後ろ!」

 ぶーん。

「きゃぁぁぁぁぁ!」

 呆れていたはずの夏姫だが、頭を抑えて蹲る。


 青春乙女はゴキブリが苦手なのだ。


 夏姫自身も、意外にもホラー好きの真絢にいつだったか読まされた、フランケンシュタインの怪物……死体をかき集められて作られた気持ち悪い人造人間や、満月に狂う哀れな狼男、誇り高いヴァンパイアと人間の間に出来る混血児・ダムピールと同列に嫌悪している。


 夏姫はそのまま這いずり、机の下に隠れる樹里亜の元まで、何とかたどり着く。 


「ううう、姉様命令よ、隆美、何とかしなさい……姉様命令……よ……アレをやっちゃって」

 樹里亜は両手で顔を覆って、ここにいない弟に命令をしている。


 見回すと、有紗はもう放心状態となって崩れ落ちそうだ。


 利恵瑠だけが、状況打開のためにおっかなびっくり教室を移動している。


「終わりよ! オ……わたし達終わりだわっ!」 


 不意に有紗が喚いた。

 何か新鮮だ。あの、男でさえ腕力では適わない有紗に、こんな可愛い弱点があったなんて。


「……わたしは虫だけは苦手なのっ! い、いやっ、やめて! 近寄らないで! お願いっ! ごめんなさい! 私です! ごめんなさいっ!」


 ──くそう、有紗め、錯乱姿は萌えるじゃないか。


 が、そんな呑気な場合ではないようだ。彼女は目を爛々と光らせ、口角を上げ、精神的限界へと落ちて行っている。


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