第15話 子羊

 食堂はいつも通り沢山の人で混み合っていた。皆で押しくらまんじゅうをしているようだ。


「ええっと」真絢はやや狼狽しながら見回す。席を探しているようだ。

「もし良ければこちらへ。夏姫さん」

 と、夏姫は不意に呼ばれる。


 心臓が大きく主張をし始めた。手を挙げているのは、宝珠院美佐子だった。

 彼女は野々山篤子と白い大きなテーブルにおり、シスター胡桃が厳選した自慢の子牛を両手に掴んでいる。


 食堂の生徒達皆の視線が集まった。


 学園一の有名人の美佐子お姉様に招かれた。もの凄く羨ましがられているだろう。


「は、はい、喜んで!」


 声が裏返ったが、夏姫は級友達を連れて、美佐子のテーブルへと近づき、促されるまま余っている席に着席した。


「助かったわ。何故だか皆この席に来なくて居づらかったのよ、スペースが余っているから相席でも良いと思っていたんだけれど」


 当然だ。あの美佐子と同じテーブルに簡単には着けない。彼女に腹ぺこ野良犬のようにがつがつ行かない、と生徒達の間では紳士協定ならぬ、淑女協定が結ばれている。

 正直、夏姫は少し怖い。これは協定違反だろうか? しかし美佐子自らの誘いだ、後に責められはしないだろう。


「ああ、それは」無頓着な有紗が意味ありげに微笑む。

「美佐子先輩はご自分の人気について少しお考えになった方が良いですよ」

「え? どういうことかしら?」

「あ、あの、美佐子先輩が素敵すぎる、と言うことです」

 あわあわと利恵瑠が、有紗の言葉を補強する。


 全く同感だった。今日も美佐子は美しいし、華麗だ。


 長い髪と瞳は煌めいて、青春期の乙女達を悩ませている口臭もない。どんなオーラルケアをしているのか、とても知りたい。


 毎日会っているのだが、毎度毎度見とれてしまう。


 しかし、浮つく夏姫とは正反対に、美佐子は落ち込んでいるようだ。


「那波ったら無茶して……どうしてこのご時世にあんな所に行ったのかしら……あなた達も聞いたでしょ? 気を付けて」

 沈んだ風に彼女が警告し、夏姫ははっとなり己の愚かさに赤面する。

 美佐子と傍らの篤子は、親友の浅香那波を失ったのだ。改めて見やると、確かに一人分の空白が恐ろしく感じられる。


「あれ、誰がやったんですかね? やはり私達聖クルス学園の生徒を、狙ったんでしょうか?」

「私はそう思うわ」と美佐子は有紗の無神経な質問に、真剣に頷く。

「どうしてですか? ただの女の子狙いの変質者では?」と真絢。  

「それはね……聖クルス学園の生徒に手を出すとどうなるか、普通は分かるでしょ? でも犯人は、学園の制服を着ている那波を狙った」


 納得の頷きが伝播していく。


 確かに市立聖クルス学園は上層市民にとって重要な場所だ。実際、上層市民側の警察は今頃、血眼で飢え切って那波殺害の犯人を求めているだろう。


「それもこれも政府が極端な二極化政策を推し進めたからよ」

「でも美佐子先輩……こう言ったら失礼かも知れませんが、仕方ないですよ」

 利恵瑠が子羊を手にしながら、顔を上げる。

「そうだね」と篤子が同意した。

「みんなを上層市民にすることは出来ない……冷たいようだけれど、そうすれば私達が満たされなくなってしまうよね。社会の仕組みがそうなっているから」


 親友の言葉に、美佐子は唇を噛んで俯く。彼女からは悔しさがにじみ出ていた。何せ親友を失ったのだ。理不尽に、一晩で。


「それに」と有紗が唇の端を持ち上げ、物騒な感じを出す。

「ちょっと前のバカ騒ぎ……下層市民達の大反乱、あんな事をする奴らを上層市民にするのはオレは反対」


 下層市民とされた人々は、勝手に政策を決めた政府に、反乱に近い暴動を起こした。

 力ずくで鎮圧はされたが、街の荒廃の理由の一つとなった。 


「だから憎しみはより精鋭化し、より凶暴になり、那波は犠牲になった」

 夏姫は真剣な会話の大半を聞いていなかった。樹里亜のようにぼんやりはしていなかったが、美佐子の深刻な話題より、彼女の近くにいる幸福感が勝っていた。


 ──ああ、幸せ……美佐子お姉様とこんなに近づけた。下層市民……どうでも良いじゃない。はあ、この幸福こそ青春の醍醐味なんだわ……いつまでも邪魔がはいらないといいなあ。


 はっと夏姫が正気に返る。

「すみません」と有紗が席を立ったからだ。まだ彼女の子羊は残っている。

「どうしたの? 有紗さん」


 美佐子達の話し合いに全く参加しなかった樹里亜が、見上げる。


「ちょっと……」

「おしっこ?」

 有紗は耳まで赤くなり、樹里亜を睨む。


「樹里亜もさ、何だかんだでレディじゃないよな、変態め」


 ぷんぷん起こりながら有紗は歩いて行った。


 がぁん、と衝撃でくったり突っ伏した樹里亜を、残して。


「れでぃ、じゃない? わたしが? へんたい? わたしが……え? わたし……へ、へんたい……?」


「樹里亜さんっ、違うのよっ。有紗さんは恥ずかしかったのよ」

 真絢がそのまま力尽きそうな樹里亜を、必死で現世にとどめる。


 それが契機になったのか、夏姫には残念な事に食事は終わった。


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