第3話
その日の夕方、カフェを臨時休業にしていた。
理由は簡単だ。ちょっとした調査のため、俺と真壁が学校へ向かう必要があったからだ。
美羽ちゃんは俺と真壁のあいだを、小走りになりながらついてきた。
ランドセルが背中で揺れ、その姿だけで健気さが伝わってくる。
少し汗ばんだ髪の毛が額に触れ、光にきらりと反射していた。
「ごめんね、美羽ちゃん。歩くの早すぎたかな?」
俺が声をかけると、彼女は慌てて首を振った。
「だ、大丈夫です」
隣の真壁は前を向いたまま足を止めず、低くぼそりと言った。
「無理をするな」
その声に、美羽ちゃんはぴたりと歩を緩めた。叱られたように見えるが、実際は違う。
真壁は自然に歩幅を合わせ、彼女が歩きやすい速度に変えていた。本人に意図はないだろうが、俺にはすぐにわかった。
「彼女が案内役だ。歩き疲れては困る」
真壁の声には淡々とした響きしかないが、行動には配慮が表れている。
「うんうん……ありがとね、美羽ちゃん」
俺が笑いかけると、彼女は少し恥ずかしそうにうつむき、小さく「はい」と答えた。
※
美羽ちゃんに案内され、俺たちがやってきたのは古びた校舎の一角だった。
夏の日差しに白く反射する外壁は、ところどころ塗装がはげ、長い年月を感じさせる。放課後の校舎は、それだけで秘密めいた気配を漂わせていた。
廊下にはほんのり埃の匂いが混じり、足音が響くたびに古い木の床が微かに軋む。空気には、昼間のざわめきの名残が微かに残っていた。
現場となった窓際にやってきた。窓の外には、成人男性の胸の高さほどに位置するアルミ製の手すりが一本、外側に突き出るように取り付けられている。
光を受けて鈍く光る手すりは、普段なら何気ない存在だが、あの事故の記憶と結びつくと、無言の威圧感を放っていた。
近づくと、片方の鉄の支柱が根元から折れ、斜めにぶら下がっていた。茶色く錆びた断面は、まるで刃物で削ったかのように不自然に滑らかで、時間の経過だけでは説明がつかない。
「ここに掴まったら、千枝ちゃんが落ちたの」
美羽ちゃんの声は微かに震えた。きっと、あの瞬間を思い出したのだろう。
細い手がランドセルの肩紐に絡まり、ぎゅっと握りしめられる。小さな体の緊張が、こちらにも伝わってくる。
「もう大丈夫だよ。今日は魔法の探偵さんがいるし、俺もいるからね」
「……うん!」
怖いだろうに、それでも笑みを返してくれる姿に、俺は胸がキュンとした。
真壁は横で、いつも通り無表情のまま視線を手すりに向ける。ぽつりと、冷たい声を落とした。
「子供が欲しくなったなんて言うなよ」
「お前に言ってどうすんだ」
「残念ながら産んでやれないからな」
「お気持ちだけで十分です」
彼は少し笑いながら「そうしてくれ」と返し、話題を手すりの観察に戻した。
「そんな事より、ここを見てみろ」
俺たちは支柱に目を細め、しゃがみ込んで観察する。
「この断面。自然に錆びたわけじゃない。……意図的に細工された痕跡がある」
真壁は指先で断面の表面を撫でるようにして、微細な削れの方向を示す。光の角度で、削り跡がわずかに輝いた。
「わ……本当に?」
美羽ちゃんが小さく息を呑む。
「確定はできないが、偶然ではない」
真壁の声は冷静そのものだが、その目は真剣に光る。
「問題なのは、これが子どもの事故に関わるように仕組まれた可能性があることだ」
俺は美羽ちゃんの肩に軽く手を添え、声をかけた。
「大丈夫、俺たちが守るから」
美羽ちゃんは小さくうなずき、少しだけ安心した表情を見せた。
その時、遠く教室の方から風に揺れる黒板消しの音がかすかに聞こえ、放課後の静けさが一層際立つ。
ここに潜む小さな異常と、子どもたちの恐怖が、俺たちの足元にじわりと重くのしかかるようだった。
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