第2話


「……よぉ」


 午後のカフェに、真壁がゆっくりと姿を現した。

 木の床に靴のかすかな音が響き、カウンターで片づけをしていた俺の視線が一瞬止まる。

 その隣には、ランドセルを背負ったツインテールの女の子が、小さく肩を震わせながら立っていた。

 窓から差し込む午後の光が、二人の影をカウンターの上に長く伸ばす。


「……え?」


 思わず口を開けた俺に、真壁は一瞥もくれず、店内へズカズカと入ってくる。


「ま、真壁まかべさん!? え、真壁さぁん!? え、それ……まさか誘拐!?」

「おい癒川ゆがわ、いい加減にしろ」

「隠し子!? 俺のことは遊びだったの!?」

「くだらないことを言うな。情操教育に悪い」


 真壁は小さくため息をつき、視線を床へ落とす。

 その横で、女の子の手はランドセルの肩紐をぎゅっと握りしめ、緊張で指先が白くなっている。


「店の前で泣いていたから、連れてきただけだ。……俺を探していたらしい」

「探していた?」


 首をかしげる俺に、女の子は小さな声で答える。

「が、学校で聞いたの……。町に“魔法の探偵さん”がいて、どんな不思議でもすぐに解決してくれるんだって」


 俺は思わず微笑んだ。

「へえ、“魔法の探偵”か。……なんだか素敵な呼び名だ」


「馬鹿馬鹿しい」

 真壁は鼻を鳴らし、冷ややかに言い捨てる。

「俺は魔法なんて使えない。合理的に説明できることを、説明しているだけだ」


「まあまあ。子どもにとってはそれが魔法みたいに見えるんだろ。頼りにされるのは、悪いことじゃないだろう?」


 俺はそう言って女の子に目線を合わせ、少しでも安心させるように微笑んだ。

カフェの木製テーブルに反射する光が、彼女の頬を淡く照らす。


「それで、君は“魔法の探偵さん”に、どんなお願いをしに来たのかな?」


 女の子は迷ったように唇を噛み、手のひらを軽く重ねてから、小さな声で告げた。

「……コックリさんの呪いなの。ほんとに、友だちが怪我したの」


 カフェの空気が、一瞬すっと張り詰めた。

 挽きたてのコーヒーの香りや、カップがテーブルに当たる音が遠くに感じられる。

 壁の時計の秒針の刻みだけが、異様に大きく耳に届くようだった。



 ※



 女の子——佐伯美羽さえきみうちゃんは、窓際のソファに腰かけ、ストローを握りしめていた。

 肩は小刻みに揺れ、まだ全身に緊張が残っている。

 目の前には、不機嫌そうに腕を組む真壁が座っているのだから無理もない。

 俺はその隣に腰を下ろし、彼女に柔らかく声をかけた。


「それで、呪いっていうのはどういうことかな?」


 美羽ちゃんは少し躊躇った後、小さな声で言った。

「昨日ね、友だちと……コックリさんをしたの」


 隣で真壁が短く鼻を鳴らす。

「低俗な遊びだな」


 案の定、容赦ない。

 俺は苦笑しつつ、視線を美羽ちゃんに戻す。

「このおじさん、こういう人だから気にしないでいいよ」

「おい、誰がおじさんだ。同い年だろう」

「いちいち噛みつくなよ」

「噛みついてない」

「はいはい。それで、美羽ちゃん。何があったんだい?」


 美羽ちゃんは指先をぎゅっと組み、肩をすくめながら続けた。

「千枝ちゃんがね、聞いたの。……“何が起きるか”って。そうしたら、十円玉が……『ケガ』って動いたの。みんな怖くなっちゃって、やめようとしたんだけど……その時、千枝ちゃんが帰るって。窓の手すりに掴まったら……折れて、落っこちちゃったの」


 言葉の最後は震えていた。

 小さな体全体で怯えを抱え込む様子が、痛いほど伝わってくる。


 俺は思わず息を呑む。

 だが、真壁は淡々と尋ねる。

「その子の怪我は?」


「先生が病院に連れて行って……だぼく? って。……でも、本当にコックリさんの言った通りで……!だから、みんな呪われちゃったんじゃないかって……!」


 言葉と同時に、グラスの中の氷がカランと鳴った。



 俺は眉を下げ、できるだけ柔らかい声で言葉を紡ぐ。

「大丈夫だよ、呪いなんかじゃない。ただ、ちょっとした偶然が重なっただけさ」


「偶然だ」

 真壁は冷徹に言い切った。視線をわずかに逸らしながら、声には一切の情がない。

「迷信に意味を与えて、事故を呪いに仕立て上げているだけだ」


 その響きに、美羽ちゃんはさらに不安そうに顔を伏せる。

「こら真壁。……ごめんね、悪気があるわけじゃないから、安心してね」


 かすかに頷いた美羽ちゃんは、ようやくジュースに口をつける。

 カフェの窓越しに西日が差し込み、琥珀色の光がストローの先を照らした。

 それは、不安の影を追い払うにはまだ心許ない、柔らかな光だった。

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