守宮の会談絵草紙 第十五話「竹林の記憶」
ふふふ、皆様、ようこそおいでくださいました。
このヤモリ、世の隙間を這いずり集めた物語をお届けするストーリーテラーでございます。
15話目となる今宵のお話は、霧深い竹林に潜む記憶の物語。
タケノコ掘りの朝、柔らかな土の奥に隠された「何か」は、恐怖と疑念を静かに育て上げます。
果たして、袋の中身とは、そして家族の間で囁かれる真実とは。
このヤモリ、百話の物語を語り終えれば成仏の時を迎えます。
残り85話、さあ、竹林の奥へとご一緒に参りましょう。
【竹林の記憶】
霧深い五月の朝、竹林は幽玄な静寂に包まれる。
日の出前の薄闇、午前三時を告げる時刻に、私はいつものように国有林へと足を踏み入れた。
空気は凛と張りつめ、木々のざわめきすら眠っているようだ。
この地は海と湖に挟まれた湿潤な土地で、靄は歩く者をまるで水をかぶったかのように濡らす。
ゆえに、誰もがカッパをまとい、竹林の奥深くへと分け入るのだ。
そこでは、年に一度のタケノコ掘りの季節、顔見知りの者たちが暗黙の縄張りを守りながら、みずみずしいタケノコを求めて彷徨う。
生でかじれば梨のごとく甘く、切り口から滴る水はまるで命の脈動のよう。
このタケノコは、幻とも称されるほどに貴重なのだ。
十年前のあの朝、私はいつものようにクワを手に竹林を歩いていた。
生ぬるい霧が頬を濡らし、足元には柔らかな土の感触。
だが、その日はいつもと違った。
ふと視線を上げると、巨木の根元に不気味な影が横たわっていた。
工業用か何か丈夫なビニール袋に詰められた、細長く膨らんだ何か。
袋の先端からは重々しい丸いものが覗き、袋の口からは一足の靴が突き出ている。
ぶよぶよと膨らんだその中身は、まるで命を失った肉塊のようだった。
恐る恐るクワでつつくと、硬い感触とともに、袋の表面には、小さな穴が並んでいた。
落ちくぼんだ、虚ろな目のようなその穴。
私は背筋に冷たいものを感じ、父のもとへと駆け出した。
父はすでにその存在を知っていた。
「いじるな。見なかったことにしろ」と、静かだが重い声で告げた。
確かに、何かを見つけてしまったら、面倒な事態に巻き込まれるかもしれない。
私はその言葉に従い、記憶の底にその出来事を封じ込めた。
だが、翌年のタケノコの季節が訪れると、否応なくその記憶が蘇った。
私は再びその場所へ赴き、クワで袋をつついた。
年を経るごとに、それはますますぶよぶよと柔らかくなり、内部に気泡が溜まっているような異様な感触が伝わってきた。
数年後、父が脳梗塞で倒れた。命は助かったものの、左半身に麻痺が残った。
母が父に代わって私と竹林へ入るようになった。
ある日、母がその袋を見つけ、恐怖に顔を歪ませた。私は父と同じ言葉を繰り返した。
「見なかったことにしなさい。面倒になるから」
母は頷き、「それが一番だね」と呟いた。
それ以来、毎年、私たちはその場所を訪れ、袋を見下ろしながら同じ言葉を交わした。
「見なかったことにしよう」と。
だが、ある時、母がぽつりと漏らした。
「でも、まるで中身を知ってるみたいだよね、父さん…。タケノコ掘りの人たち、皆クワを持ってて…
中には危ない奴もいるんじゃない?口論になって、父さんが…何か、やっちゃったんじゃないよね…」
その言葉は、私の心に暗い疑念を植え付けた。
父が何か隠しているのではないか。
父に問う勇気はなく、疑念は母と私の間で静かに膨らんでいった。
そして今年、いつものように竹林へ向かった私と母は、まずあの場所へ足を運んだ。
だが、そこには異変が起きていた。
袋は破れ、細い竹がその中身を突き破って伸びていた。そして、露わになった中身。
それは、ボウリングの玉だった。
古びたボウリングの用具一式が、誰かに捨てられたまま放置されていたのだ。
長年、私たちを怯えさせた「それ」は、ただの廃棄物に過ぎなかった。
私と母は顔を見合わせ、思わず笑い合った。
父を疑い、恐れていた時間があまりにも滑稽だった。
その夜、私たちは父のために寿司を買い、帰路についた。
だが、笑いながらも、どこか心の奥底に冷たいものが残った。あの袋を捨てたのは誰だったのか。
そして、なぜ父は、あの時、あんなにも重い口調で「見なかったことにしろ」と言ったのか。
その答えは、竹林の霧のように、永遠に掴めないままだ。
ふふふ、皆様、いかがでございましたでしょうか。
竹林の霧が隠した真実は、意外にも滑稽な姿を現しましたが、なお消えぬ疑念は心の奥に冷たく残ります。
父の重い言葉の裏に、何が潜んでいたのか、その答えは永遠に霧の中。
このヤモリ、世の隙間を這いずり集めた物語の幕を、そっと閉じさせていただきます。
15話目を終え、残るは85話。
次なる物語も、皆様の心に静かな波紋を広げることでしょう。
では、またお会いいたしましょう。
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