守宮の会談絵草紙 第十四話「夢の中で書く男」
ふふふ、皆様、ようこそおいでくださいました。
このヤモリ、世の隙間を這いずり集めた物語をお届けするストーリーテラーでございます。
さて、14話目となる今宵のお話は、夢と現実の狭間でペンを握る男の物語。
眠りの中で生まれ、紙の上に滲む言葉は、彼の魂そのものか、それとも別の何かが紡ぐ幻か。
さあ、目を閉じ、耳を澄ませてお聞きくださいませ。
このヤモリ、百話の物語を語り終えれば成仏の時を迎えます。
残り86話、さて、どのような物語が待ち受けるのでしょうか。
【夢の中で書く男】
彼の名前は三枝真也。作家だった。いや、作家だと信じていた。
原稿用紙に向かい、ペンを握るたび、彼の心は空白に苛まれた。
アイデアが枯渇し、創作が進まぬと、真也は決まって目を閉じた。
眠りは彼の聖域だった。
夢の中で、色鮮やかな風景や断片的な言葉が浮かび、物語の糸口をくれる。
目を覚ますと、夢の残像を追いかけるようにペンを走らせた。
名作と呼ばれる小説の数々は、すべて彼の夢から生まれた。
最初は単なる習慣だった。
締め切りに追われ、煮詰まった夜にベッドに倒れ込む。
夢の中で見つけた一つのイメージ――
たとえば、月光に照らされた廃墟や、誰とも知れぬ女の囁き――が、翌朝には数百ページの物語に化けた。
編集者は驚嘆し、読者は熱狂した。
だが、いつしか真也は気づいていた。
現実では何も生まれない。書けるのは、夢の中だけだった。
やがて、真也の生活は睡眠に支配され始めた。
一日に何度もベッドに潜り込み、夢の断片を追い求めた。
昼夜の境は薄れゆき、時計の針は無意味な円を描き続けた。
目覚めるたび、彼はノートに走り書きした。
夢で見た川の流れ、赤い鳥の羽、知らない男の笑い声。
それらが物語に結びつき、カタチにならなければ再び眠りに落ちる。
現実の時間は短くなり、夢の時間が長くなった。
ある朝、目覚めた真也は違和感を覚えた。部屋の空気がいつもより重い。
窓の外は曇天で、街の喧騒が遠い。
コーヒーを淹れようとキッチンに立つが、なぜかカップが手に馴染まない。
まるで薄皮が体全体を包んでいるかのよう――
指先が触れるたび、物体がわずかに揺らぐような錯覚があった。
「疲れているだけだ」と呟き、彼はまたベッドに戻った。
夢の中で、真也は見知らぬ街を歩いていた。
石畳の道、霧に包まれた街灯、遠くで鳴る教会の鐘。
すべてが鮮明で、現実よりもリアルだった。
「これは夢だ」と自分に言い聞かせるが、足元の冷たさ、風の匂い、すべてが本物に思えた。
街角で女が立っていた。彼女は微笑み、こう言った。
「あなたはここにいる。ずっと。」彼女の吐息から土の匂いが漂う
真也は笑って首を振った。
「夢だよ。すぐに覚める。」だが、女の目はどこか哀しげだった。
夢と現実の境目は、日に日に曖昧になった。
原稿を書きながら、真也はふと手を止めた。
書いたはずの文字が、紙の上で滲むように消えていく。
目を擦り、見直すと、文字は確かにそこにある。
だが、どこかおかしい。文章は彼のものではなかった。知らない誰かの言葉が、紙の上に浮かんでいた。
ある夜、夢の中で真也は自分の葬式を見た。
黒い服を着た人々が、静かに泣いていた。
棺の中には彼自身が横たわっている。顔は青白く、目は閉じていた。
「これは夢だ」と呟き、彼は目を覚ました。
部屋は暗く、時計は止まっていた。
ベッドから起き上がり、原稿に向かうが、誰も彼に話しかけない。
編集者からの電話も、隣人の足音も、街の喧騒も、すべてが消えていた。
「まだ夢の中にいるのか?」真也は鏡を見た。
そこに映る自分の顔は、どこかぼやけていた。
目の焦点が合わない。鏡の中の自分が、わずかに笑った気がした。
ある日、真也は原稿を書き終えた。タイトルは『夢の中で死んだ男』。
それは彼の最高傑作だった。
夢の断片を繋ぎ合わせ、物語は生と死、夢と現実の間を彷徨う男を描いていた。
原稿を読み返すたび、胸が高鳴った。
だが、どこかで違和感が疼いた。この物語は、誰が書いたのか?
彼自身なのか、それとも――。
真也はベッドに横たわった。いつものように、眠りが彼を連れ去る。
夢の中で、彼は再び葬式を見た。
だが、今度は棺の蓋が閉じられていた。暗闇の中で、誰かの声が囁く。
「あなたはもうここにいる。」
突然、目が覚めた。真也は安堵の息をついた。
「夢だった。」だが、身体が動かない。
空気が冷たく、肺に刺さる。目の前は真っ暗だ。
口に土の香りが溶け込み、湿った粒が舌に絡む
手を伸ばすと、硬い木の感触。狭い空間。息が詰まる。棺桶の中だった。
それすらも定かでは無い――
生と死との狭間で紡がれた真也の原稿は、編集者の手に渡ることはない。
誰も彼の部屋を訪れず、誰も彼の存在すら知らなかった。
だが、どこかで、彼の物語は生きている。
真也はまだ書いている。夢の中で。死の中で。ペンは止まらず、物語は続く。永遠に――
ふふふ、皆様、いかがでございましたでしょうか。
夢の中で書かれた物語は、果たして誰の手によるものだったのか。
真也のペンは、死の狭間でも止まることなく、永遠に物語を紡ぎ続けるのかもしれません。
このヤモリ、世の隙間を這いずり集めた物語の幕を、そっと閉じさせていただきます。
14話目を終え、残るは86話。
次なる物語も、皆様の心に奇妙な波紋を広げることでしょう。
では、またお会いいたしましょう。
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