自称魔法使い×借金まみれ青年の同居生活【2-2】電車に乗れなくなった日
山を降りたところにある主要道路までくると、アレクセイはポツンと立つコンビニを顎で指した。
「この辺りじゃ、この手の店が一番ありがたい。ATM、雑誌、公共料金の支払い。チケットサービス。マルチコピー機。あとは、あ、見えてきた。ちょっとした日用品ならあそこのドラッグストアで買う」
「通販で買った場合は、どれぐらいで届く?」
「東京にいた頃よりプラス二日かかると移住者は言うな」
「移住者って多い?」
「元々人気のある地だったが、リモートワークが普及したおかげで昔よりさらに増えた。信州は東京からものすごく遠い訳では無いが、自然が多く温泉もあり食べ物も旨いから、最近では移住者がひっきりなしだ。だが、同じぐらいの数の者が都会に戻っていく。一年持たない者も多い。人によっては、一千万円から二千万円クラスで理想の家や暮らしにかけるが、そこまでしても定住に向かない者もかなりいるようだ」
淡々と答えるアレクセイは、基本的に日中はまともそう。変なちょっかいをかけてこない。
「アレクセイって、日本何年目?」
「十九歳の頃に来たから、もう十年になる。真冬に、奥蓼科の山を彷徨っていたところを龍三郎に拾ってもらったんだ」
「何でまた遭難なんて?」
「昨日、言ったろ?魔法の世界から人界に来たと。落ちたところが、そこだった」
「あ~、うん。そうだっけ?でもさ、こっちだと魔法使いじゃなく普通に外国人って扱いだろ?」
「龍三郎に説得されて仕方なく設定は作っている。記憶が曖昧になっているセルビア育ちのロシア人だと」
(いや。魔法の国から来た魔法使いってのが、そもそも設定だろうが。そこに、さらに設定の上書き?!どうなっているんだよ、それ)
アレクセイが、「補足が必要だな」と前置きした。
「どうして、セルビアなのかと言うと、人界ではそっち方面の顔立ちだそうだ、私は。日本人でそうセルビアに詳しい人がいないからちょうどいいと、龍三郎が。ロシア人という設定は後から付け足した。私の本名は%#!¥@*というのだが、響きがアレクセイに似ているからそう呼ばれ始めたのだが、アレクセイはロシア人に多い名前だと後から知って」
いや、まったく補足になってないんだけど。ただの設定の、さらに上書きなんだし。
でも、ツバサは話に自称魔法使いの話に乗ってやることにした。こっちが精神的大人になってやろうと思ったのだ。
「こっちの世界に来た理由は?修行とか?」
「酷い呪いにかけられて、魔力がほとんどなくなってしまった。再び魔法の世界に戻るには、人界で人助けが必要」
「それがMポイントって訳?十年でどれぐらい貯まった?」
アレクセイがちらっとツバサを見る。
「まだ足りない」
「じゃあ、俺がもっとお願いすればどう?世話してもらってばかりだから、できることがあるならしたい」
「真の願いでなければ無理だ。あと、すべての願い事がMポイントの対象ではない」
「ポイントになるか、ならないかってどうやって判定されるんだ?」
「アプリ」
「携帯の?」
「そうだ」
(何で、こっちの世界の機器で確認できんだよ。設定ガバガバだな!)
激しくツッコミたいところを、なんとか耐えた。なぜって、こっちが精神的大人だからだ。
三十分ほどで、道の駅に到着。木とガラスが調和したモダンな建物だ。そして、駐車場がやたら広い。
中に入っていくと、野菜や果物がたくさん。肉コーナーや瓶詰めのフルーツ、ピクルスコーナーもある。軽食が取れる場所まで。
「こういうところは、初めてか」
「うん」
「若者は興味ないかもしれんな」
「テレビでは見たことがあるんだけど」
納品と値付けをアレクセイがなれた手つきで済ます。
菓子が固まったゾーンにアレクセイが並べていくと、すぐに手に取ってかごに入れた人がいた。
「やったな」
褒めると当人は肩をすくめただけ。売れたのに薄い反応だ。
「もっと持ってくりゃあよかったのに。俺にこの手のスキルがあるのなら、どんどん作る」
「他の出品者との兼ね合いもある」
ツバサは半眼になる。
(総取りは駄目って?田舎、めんどくさ⋯⋯)
都会なら、競争、競争で勝ち上がった者が認められるのに。
(この空気の読み合いみたいなの、俺には無理)
一旦は落ち着いていた東京に帰りたい気持ちが、また強くなる。
建物を出る。すぐそばの蓼科湖はかなり大きく、カヌーやカヤック置き場があった。キッチンカーが止められていて、バジルとトマトとチーズが乗ったジュノベーゼピザが販売され、隣には蓼科アイスと看板を出した店もある。
「食べるか?」
見ていたら欲しいのかと勘違いされ、アレクセイが店に向かおうとしたので、「いいよ。いらない」と引き止める。
ピザは千円。蓼科アイスは五百円払ってもらわなければならない。
(それに、出かけた先でデザートを買ってもらうなんて、デートみたいじゃないか)
そもそも、温泉で倒れたときにツバサに買ってくれたペットボトルの水百五十円でグダグダいい続ける男だ。アイスを食べてしまったら、何を要求されるか分かったもんじゃない。
いっそのこと、ひどい態度だけ取ってもらえたなら、遠慮なく嫌えたのに。
自称魔法使いは絶妙に親切で優しく、そして同じぐらい意地が悪い。
道の駅から車を走らせ約二十分。茅野のイオンについた。
すぐに携帯ショップに向かうが、ショックなことが。
「どうした?青い顔をして」
「俺、携帯ブラックになっていた。何度も延滞を繰り返したせいらしい。特に最後の長期の延滞が効いたんだと思う。うわあ。参った」
「別の携帯会社に行こう」
「キャリア間でブラック情報共有されているって」
「だろうな。私が二台目を契約してお前にやる。さあ、一言どうぞ」
「くっ」
「携帯が無いと不便だぞ」
「⋯⋯お願い。⋯⋯アレクセイ」
これでまた大きな借りが出来てしまった。
新しく新規の携帯番号が発行され、父親ほどとはいかなくともかなり古びていたツバサの携帯を、ポイントがたんまり貯まっていたアレクセイは気前良く使って新品に変えてくれた。
さすがに素直に礼を言うと、現金を使ったわけではないから気にしなくていいと機嫌良さげに言う。ポイント恐るべしだ。
「さて、食品を買い込むついでに、東京っぽいものを買って帰るぞ」
「何で?」
「近所に配る。ツバサは顔を売ってこい。移住者としての挨拶だ。そこから仕事が舞い込んでくる」
「俺は、シェアハウスで働くんじゃ?」
「農家への派遣も込みだ。秋は収穫の手伝いをして現金収入を得る。そして、仕事は冬へとつながっていく」
「そんなの、聞いてない」
「今、言った」
閉じた人間関係しかなさそうなシェアハウスで掃除、洗濯、やったことはないけれど、きちんと習えば料理だってできるかなと思っていたのだが、まさか、外部の仕事もあるとは。
胸がザワッとする。
アレクセイはバナナやベーキングパウダーなど細々したものを買い込み、その後、八百円の缶に東京の名所が可愛らしいイラストで描かれたアソートクッキーを九缶購入。約一万円のお買い上げはアレクセイ・ローンに計上され、ツバサの借金は合計四十一万になった。
再び車に乗り込み、帰路に就く。
「その、派遣ってヤツ?どうしてもやんなくちゃ駄目?⋯⋯その、借金ある身分で贅沢言えないのは分かってるんだけどさ」
胸の内がざわざわの許容量を超えようとしている。思考停止の二、三歩前だ。
「気持ちが悪いのか?車、止めるか?」
「いい」
「なら、窓を開けよう」
自動で窓が開いて、冷たい風が入り込んでくる。ツバサは胸元を握りしめた。
「おい、どうした?」
「事情があるんだ。俺さ、十八歳から七年働いて、二十五歳ぐらいから、なんか、その⋯⋯。上手く説明できないんだけど、その」
「ゆっくりでいい。家に着くまで、まだ時間がかかる」
「電車に、乗れなくなっちゃって。上司がすごく怒鳴る人で、まあ、俺の失言の結果なんだけど。よく怒鳴るなあなんて最初は平気だったんだけど、どんどん駄目になっていって、ある日、電車のドアの前で足がすくむようになって、電車に乗ったら動悸が治まらなくなって。眠れなくなってミスも増えて、そのせいでさらに怒鳴られるようになって。いつも頭の中パニックで。ある日、起き上がれなくなった」
「それは⋯⋯大変だったな」
「自分の意思と身体が正反対なことに驚いた。もう集団では働けないんだろうな、俺って悟って、株取引や為替取引に手を出してみたけれど、頭回らないのにトレードなんかまともにできるはずもなくて、少ない貯金をさらに減らしてしまった。で、ウーバーもやってみたけれど、注文から長時間経った料理を対面渡ししなきゃならないときとか、普通に置き配で配達できてもバッド評価食らうのが続いたときとか、息ができなくなるぐらいしんどくなって、おまけに配達途中で転んで足の小指を骨折して配達もできなくなって、あとは、アレクセイが部屋で見た通りのありさまに」
「お前の暮らしぶりを見たとき、だらしないだけなのかと思っていた。アールハウスの住人には精神的な病気を抱えている者もいたが、それとは雰囲気が違ったから。不動産屋で様子がおかしくなったのもそのせいか?医者はなんて?」
「適応障害だって。ストレスの原因を取り除けば大丈夫らしいけど、俺の場合、仕事相手全員がそうみたいだし。普通に見えたのは、落ち込みが激しいうつ病とは違うから。趣味とかは楽しめるんだ。映画とかさ。⋯⋯エロいことだって平気なんだ」
「抱いておいてなんだが、少し痛ましかった。感じながら泣き叫んでいた」
「赤裸々すぎだろっ。言うなよ、あんたの前で泣いちゃったの、今でも充分恥ずかしいんだからさ」
「すまん」
「アレクセイこそ配慮がないと思うんだけど」
「お前も、ネチネチ言ってくる奴だな」
「あんた程じゃないと思う」
そこから、無言。車内に入り込んでくる風しか、音がしない。
やがて、アレクセイが根負けしたようだ。
「そういう事情なら派遣の件は、やりたくなったらでいい。シーズンまでまだ時間がある。だが、ここで暮らしていくには、どうしても現金収入が必要になってくるから、そこは心に留めておいてくれ」
「ん、ごめん」
「⋯⋯」
「俺だって、素直に謝るぐらいはする。悪かったよ、さっき。あんたが心配して言ってくれたのに。シェアハウスの仕事は積極的に手伝うから」
「心の方を休めてからでいい」
「あんたさ。最終的には優しいんだな」
「はあ?最初から最後まで優しいだろうが」
冗談にふっと笑うと、彼は少し安心したようだ。
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