自称魔法使い×借金まみれ青年の同居生活【1-2】督促状は山のように
さっきみたいに、命令されてしまうと自分で考えることができなくなり、
ただ従ってしまう。
思考停止のパターンは他にもあるけれど、
そうなってしまうとツバサにできるのは、ひたすら受け身に回ることだけ。
食べ終わると、案内されたのは近くの駐車場。
車は小ぶりのキャンピングカーだった。
(都内で何故、この車種?)
「最後は不動産屋だな」
督促状に書かれた住所をナビに入れ、アレクセイは車を発進させる。
不動産屋は、電車が高架を走る真下にあった。
ガタンガタンという音に足がすくむ。
アレクセイは少し不審な顔。
「ツバサ。早く。手続きはお前じゃないとできない。
早く終わらせないと、夕飯作りに間に合わない」
「夕飯? いや、でも」
こんなところに来たって、払える金がないのだ。
「いいから、早く」
アレクセイに首の根っこを掴まれ、不動産屋の自動ドアを潜る。
彼の手首には、セカンドバッグがぶら下がっていて大きく揺れていた。
客はおらず、中で座っていた男性店員がツバサを認識すると、
一気に怒り顔になった。
「北川さん! やっと来たっ! 居留守もいい加減にしてよね!」
炸裂する怒鳴り声に心臓が反応して、
胸を突き破りそうなほど鼓動が早くなる。
「あ、その、すみません」
「すみませんじゃないでしょう? 家賃を滞納した上に、居座りまで決め込んで。
ここに来たってことは、耳を揃えて払ってくれるんでしょうねえっ?!」
無理に決まっている。
失業保険はとっくに切れ、わずかな貯金も底をついている。
今現在、小銭程度しか持っていないのだ。
それも、五円とか一円の。
自分をここに連れてきたということは、やっぱりアレクセイは追い出し屋なのだ。
公共料金の支払いと牛丼を奢ってくれたのは解せないけれど。
ツバサは男性店員に、しどろもどろで頭を下げる。
「すみ、すみません」
「こっちは温情で待ってやってたけど、そろそろ出るとこ出るよ。
もう二十六歳になるんだよね? お金のことぐらいしっかりしなさいよ」
デルロコデル。
どういうこと?
俺、捕まるの?
頭が真っ白になってクラクラしてくる。
隣でアレクセイは憮然。
「ツバサ。昨晩、教えた事を言え」
「⋯⋯え? 何? ⋯⋯教えたこと?」
すると、少しいらっとしたように彼は髪をかきむしり、
「そこも覚えていないのか?
お願い。アレクセイ、助けて。だ」
その最中、不動産屋の店員がさらに詰め寄ってくる。
「この外国の人、北川さんの友達?
延滞している家賃、立て替えてくれるの? ねえ、どうなの?」
後退りしそうになると、アレクセイの手が背中にぽんと当てられる。
助けてって何だ?
そんな言葉、意味を知らない。
今まで助けてくれたのは、高校卒業間際に死んだ母親だけ。
他は誰も。
ああ、また思考停止だ。
じれたように、添えられた手がきゅっと背中の肉を摘んできた。
ツバサはまた流される。
「⋯⋯たす⋯⋯けて」
「分かった」
数歩前に踏み出したアレクセイが、
どんと音を立ててテーブルの上にセカンドバッグを置いた。
チイィィィィィ。
音を立てて開けたそこから、信州銀行と印字された封筒を取り出し、
それを店員の胸に突き出す。
「三十万円入っている。足りるか?」
店員が目を丸くする。
「本当にお友達が立て替えを? こりゃ助かります。
充分すぎます。家賃三か月と延滞金で二十万ちょっとで済みます」
「部屋に残置物が残っている。残金はその処理費用に当ててくれ。
ゴミとベッド、布団、ローテーブルぐらいしかないが、
お前らなら、いかようにもごまかせるだろうし」
皮肉をチクッと言ったアレクセイは、退去の手続きを急がせる。
鍵を返すまで、約十分。
ツバサにとっては永遠のような、
その上で映画でも見ているような現実感のない時間だった。
外に出ると、謎の救世主は道路に止めたキャンピングカーを顎で指す。
「乗れ」
逃げてしまいたい気分だった。
だが、自分にはもう家がない。
アレクセイへと移った借金は、ツバサの今一番の大きな問題だが、
今夜からどうやって生きていくかも考えないといけない。
一時、身体を休める場所すらないのだ。
頭の中が再び白くなりかける。
「早くしないと駐禁を取られる」
少し強い口調で言われ、気づいたら再び助手席に乗り込んでいた。
(また流されてしまった)
車が動き出す。
ハンドルを握り、フロントガラスを見ていたアレクセイが静かに言った。
「ツバサ」
「何⋯⋯ですか?」
「どうしてこうなった?」
「⋯⋯」
「督促状を何枚も溜め込むほどの事態になったのは、何故だと聞いている」
「それは、その」
アレクセイがハンドルを人差し指でトントンと叩き始めた。
「お前、少し、イライラするな。夜は、あんなにかわいかったのに」
あんたはあんなに優しかったのに、と言い返す権利はツバサには無い。
コンビニで支払ってもらった分も含め、約四十万円の借金が彼にあるのだから。
「聞いていいか? 俺はこれからどうなる? タコ部屋って場所に送られて強制労働?
それともマグロ漁船?」
「内陸に向かっているのに海などあるか。向かう先は奥蓼科だ。
シェアハウスがある。お前はそこで働き、私に借金を返す」
「そもそも、借金を立て替えてくれた理由って何?
俺が逃亡する可能性だってあるのに」
だから、最初に身体で手懐けようとしたとしても、
その後の扱いが雑すぎる。
いや、担保も利子も取らずに、滞納した分すべてを支払ってくれたのだから、
そういう面では丁寧なのだけれども。
信号待ちになり、アレクセイはあのセカンドバッグから携帯を取り出した。
ディスプレイ画面は擦り傷が多く、かなり年季の入ったものだ。
なにやら操作した後、携帯を耳に当てたアレクセイはツバサに渡してくる。
『保存されたメッセージは一件です』
という機械的な女性の声。
続いて再生されたのは、今にも泣き出しそうな――
『オヤジ。助けてくんない?』
という情けない自分の声。
ツバサは携帯を耳から離し、しばらく見つめた。
「もしかして、これ、オヤジの携帯?」
二か月ほど前、食い詰めて、恥を偲んで留守電を残した。
でも、折り返しは無かった。
「そうだ。解約しようとして携帯ショップに持っていったら、
店員にメッセージが残っていると言われて。
慌てて龍三郎が残した書類を漁って、ようやくお前の存在を知った」
「第三者が携帯解約って、それってもしかして」
「一か月前に龍三郎は死んだ。
お前がメッセージを残した二か月前はもう意識がなかった」
言葉が音として右から左へと通り過ぎていく。
――オヤジが死んだ?
「知らせが遅くなってしまって、すまなかった。
葬式も納骨も既に終わり、遺骨は龍三郎の実家の北海道に。
分骨させてくれと伝えたのだが、断られてしまった。
お前の行方は誰も分からなかったみたいで」
十歳のときに別れた父親とは、そこから一度も会っていない。
携帯の番号はきっと母親が教えたのだと思う。
母親はツバサ以外身内は無く、父親の親族とは没交渉。
だから、誰もツバサを探し出せなかったようだ。
「実感、沸かねえな」
折り返しの電話が無かったことで、
父と息子の縁は無いのだろうと存在を切り捨てていたから。
「で、シェアハウスで俺が働くのと、死んだオヤジってどう繋がんの?」
「龍三郎自身のことで聞きたいことがないのか?
どんな病気だったとか、どんな最後だったとか」
「特に」
アレクセイが薄情な息子だなあというように、肩をすくめる。
「これからお前が働くシェアハウスは、元は龍三郎が経営していた。
それを私が引き継いだ形になっている」
ツバサの気分が少し上向いた。
「つまり、オヤジが残した遺産ってこと?」
「土地も建物も借り物だ。リフォームローンも残っている」
アレクセイの返事で一気に気持ちが落ちた。
車は都心を出ていく。
道沿いにはチェーン店のレストランや、車屋、スーツ屋など、
比較的大きな建物が目立ち始める。
「龍三郎は優しい。だが、金に関してはザルすぎるところがあった。
二年ほど前から具合を悪くし、その時から経営は私が。
蓋を開けてみたら、採算がほとんど取れない状態で驚いた」
「ご迷惑をかけましたね。
おまけに息子まで金銭面で似たようなことをやらかしているし」
遺産は無かったが、今後、自分がどうなるのか目星が付いて、少し口が軽くなる。
ともかく、寝る場所ができた。
「そんなシェアハウス引き継ぐなんて、アレクセイってオヤジの何?」
すると急にハンドルを切って、アレクセイがコンビニの駐車場に入っていく。
車を空いている場所に止めると、ツバサの口を思いっきり親指と人差し指で掴んで、
ぎりぎりと締め上げてきた。
「息子といえど、龍三郎を蔑むな。私のこともだ」
そして、車から降りると、バンッと力任せに扉を閉める。
ツバサの身体が、朝アレクセイの名前を忘れていて怒鳴られたときのようにビクついた。
ここ数年で、大きな音も声も苦手になった。
また心臓がドキドキし始める。
そして、後悔。
「なんで、余計なこと言っちゃうんだよ、俺は」
いつもそうだった。
学生時代。社会人になってからも。
自分では些細だと思う一言が、
たまにとんでもなく人を怒らせてしまう。
だから、どんどん口が重くなって、傷つけた相手に罪悪感が増して、
どうしても話をしなくちゃならないときは、必要以上の媚びへつらい、
それを無意識でも意識的にでも感じ取った相手は今度はツバサを馬鹿にしてくる。
それが受け入れられなくて、強い言葉を吐いて相手を牽制して。
どうしようもない悪循環だ。
少ししてアレクセイがコンビニ袋をぶら下げて戻ってきた。
「やる。どちらか選べ」
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