自称魔法使い×借金まみれ青年の同居生活【1-3】自称魔法使いが住むシェアハウス
中身は「お得サイズ六百ミリ」と書かれたお茶と、
四百六十ミリのブラックコーヒーのペットボトル。
「さっきはごめん」
と言いながら袋ごと返す。
「だったら、素直にもらっておけ」
袋からコーヒーが取り出され、
残りがツバサに戻されてきた。
「さっきの話」
人家が減り、田んぼや畑が目立つようになった頃、
アレクセイが再び口を開いた。
「人界にやってきたばかりの時、龍三郎に拾ってもらった。だから、恩がある」
「ジンカイ?」
「人間の世界のことだ。私は異世界の魔法使いだから」
「キャラ強⋯⋯」
舌の根も乾かぬ内に呟いてしまうと、
それっきりアレクセイは喋らなくなってしまった。
***
東京から下道約六時間かけて、ようやく奥蓼科に到着。
高速は使わない主義らしい。
とんでもなく山奥で、幼児園児よりでかい猿が道路を悠然と渡っていく姿を二度も見た。
民家に成る柿や柚子を食べに来るらしい。
なりっぱなしで誰も収穫しないからだと、ようやく口を開いたアレクセイが教えてくれた。
小さな村にたどり着いた頃は、すでに夕方近く。
「昔は百世帯ほどあったらしいが、今現在は十軒しか人が住んでいない。
一人暮らしも多い。解体費用や固定資産税の関係で、無人になった家はそのまま取り壊されず残され、空き家になって困っている」
「ふうん」
田舎の事情など、まったく興味はない。
だから、生返事。
「ここだ」
広い庭に車を止めたアレクセイが、ツバサに降りるよう促す。
「すげえ」
自分が住んでいたモルタル作りのボロいアパートを想像していたが、
シェアハウスは横長の平屋の日本家屋だった。
年代を感じる。
玄関には達筆な字で「アールハウス」と表札がかかっている。
アールは龍三郎の頭文字を取ったものだろうか?
木が植わった広い庭があり、ガレージの中に車が数台と自転車が止まっている。
車から降りると、肌寒い。
九月の終わりの東京は夏とほぼ変わりないぐらいなのに。
吸い込むと空気は冷たく澄んでいて、鼻の奥が痛くなってくる。
慣れると、ほんのり落ち葉みたいな、土っぽい心落ち着く香りがした。
「寒いか?」
「びっくりするぐらい」
「ここは、標高千メートルのところだから」
「人、住めんのかよ?」
アレクセイの表情が険しくなる。
「こうやって住んでいるだろうがっ」
「あ、ごめ⋯⋯」
彼は、フンッと鼻を鳴らした。
「ここは、築百五十年になる古民家だ。自由にリノベーションしていいという契約で龍三郎が借り受けた。
修繕済みの部屋は六部屋と管理人の部屋の計七部屋。家賃は光熱費、食費込みで五万円だ。男しか住んでいない」
庇が都会のより長い。
軒には主が不在のツバメの巣が幾つか。
ツバメが巣をかける家は安全でいい家――そうテレビで見たことがある。
アレクセイが引き戸をがらりと開ける。
広い土間があって、その奥の上がり框には、また達筆な字で――
『母親に靴を揃えろと習わなかったのか?』と書かれたプレートが貼られていた。
パタパタと廊下を駆ける音がして、土間の手前まで少年が飛び出してきた。
「アレク! おかえり。待ってたよ。急に東京に行っちゃうんだもの!
都内の運転、大丈夫だった?」
アレクセイは靴を脱ぎながら、
「緊張した」
ツバサは、彼の横顔を盗み見る。
(え? スイスイ運転していたように見えたけど?
っていうか、こいつ、アレクって呼ばれてんのか)
「事故が無くてよかった。アレクが不在だったから、大野さんと向井さんと三人で料理してみたんだけど、野性味あるすごいのが出来た。結論として、アレクの料理が最強ってことになった」
「ちゃんと食べきったか?」
「もちろんだよ。えっと、その人が龍さんの息子さん?」
少年は、アレクセイと喋りながら、ツバサのことを気にしている。
「⋯⋯っす。⋯⋯北川ツバサです」
とリュックを前に抱えたまま挨拶。
「ツバサ。こっちは鳥越。十五歳の高校生だ。
実家はここをさらに登っていったところにあるから、中学からここに下宿している」
とアレクセイが説明。
ツバサはあまりにもびっくりして、
「え? さらにって? ここですら山奥だろ?」
鳥越は引きつり笑い。
ツバサは思わず自分で口を塞ぐ。
アレクセイは無言で居間兼アイランド型キッチンの方へ。
背面の壁は深い緑。棚などに使われているのは漆黒のパネル。
まるで外国の料理動画に出てくるキッチンスタジオみたいに豪華で洒落たデザインだ。
その真正面には無垢材を使った白っぽいテーブル。
暗い色のキッチンとの対比が効いている。
黒い煙突が天井まで伸びた大型の薪ストーブも傍にあった。
天井は太い梁がむき出し。蔦のような植物が這わせてあり、白い羽のシーリングファンが回っている。
キッチン側には観葉植物が植わった大きな鉢。
「鳥越。ツバサを部屋に案内してくれ」
「アレクの部屋でいいんだよね?」
「え? 従業員部屋じゃなく?」
他の住人もいる手前、身体の関係ができてしまったことは内緒にしたい。
同部屋なら、また間違いが起こりそうな予感がある。
すると、エプロンを身に着けながら、アレクセイがじろっと睨んでくる。
「部屋は六部屋すべて埋まっている」
「じゃあ、廊下で寝るよ。一緒だと、アレク⋯⋯セイは迷惑だろうし」
「そっちの方が迷惑だ。行き来に邪魔になる。朝の掃除もできん」
「アレク。機嫌、悪う」
クスクス笑いながら「ツバサさん。こっち」と鳥越が案内してくれた部屋は、十畳ほどの和室だった。
アンティークな文机に、デスクトップパソコンがどんと乗っており、座椅子が置かれている。
あとは飴色の茶箪笥。黒い雲みたいな模様がついた取っ手や角の部分が渋い。
布団が二組置かれてあり、ツバサはその上にリュックを置くと、
布団と布団の間を開けながら鳥越に聞いた。
「さっきはドン引きさせるようなことを言ってごめん。
俺、田舎、ええっと自然豊かな場所で暮らしたこと今まで一回もなくて」
「うわあ、いいなあ。東京生まれ東京育ち!」
十五歳はくりくりとした目でツバサを見ている。
野生の子鹿みたいな若々しさが眩しい。
自分もまだ若いつもりだったが、約十歳の年齢差があれば、
そこそこ年をとったんだなと実感するものらしい。
「今、六本木ヒルズあたりを想像した?
俺が住んでたとこ、物凄く下町。治安もあまりよくないとこ。
あのさあ。聞きたいことあるだけど」
「何? なんでも聞いて」
「あいつって、人をからかってくるとこある?
例えば自分は魔法使いだ、みたいなこと。車で移動中に言われたんだ。真面目な顔で」
「ああ、それ。みんなはキャラ設定だって言うけれど、僕は本当だと思う。
僕、アレクが指を向けるだけで電気を付けたり消したりしていること見たことある」
「手品とかじゃなく?」
「僕が見ていること、最初は気づいて無かった。目が合って、かなり動揺していた」
「つまり、魔法使いって名乗っているのに、みんなの前では魔法は披露しないってわけ?」
そういやあ、今朝まで住んでいた部屋は程よく冷えていた。
それに、出るはずのないお湯が出て、それで身体を拭われて。
さらに余計な続きまで思い出しかけて、顔が熱くなりかけた。
鳥越は東京のことをいくつか質問し、
「夕飯が出来たら、また声をかけるね」と部屋を出ていった。
ツバサは二つ折りの布団に倒れ込む。
「四十万円。どうしよ」
連れてこられた場所は、想像以上のド田舎だ。
シェアハウスで働いたとして、どれくらいで返せる?
「働く⋯⋯かあ」
つぶやいた途端、元上司の怒鳴り声が脳内で響き渡る。
同僚の呆れ声も。
「しんど」
目を瞑る。
「東京からこんなところまで来ちゃって、ダメ人間の都落ちって感じだ」
やがて、鳥越が呼びに来て、ツバサはダルいなと思いながらキッチンに向かう。
アレクセイはエプロン姿で盛り付け作業をしていて、
テーブルには、初顔が二人。
どちらも三十半ばぐらいだろうか。
一人は表参道辺りの服屋にいそうなおしゃれなロン毛で、
もう一人は引き締まった顔つきの短髪だった。
アレクが、
「大野と向井だ。大野はハンター兼革小物のデザイナー。
向井はプログラマーだ。あと、小湊と篠というのがいるが、基本、あいつらは食事は一人で食べる」
「あ、北川ツバサです」
「よろしくぅ! よろしく!」と二人が口々に言う。
「君、行方不明だった龍さんの息子だろ?
アレク、これでMポイントまた溜まったんじゃね?」
と大野が付け足した。
(Mポイント? 何だそれは)
「人の願い事を聞くとポイントが貯まるっていう、アレクの設定。魔力に交換されるらしい」
と隣の席になった鳥越が囁いてくれた。
「ほう。Mは魔法のMってことか」
テーブルには、料理が次々と運ばれてくる。
色とりどりの茹で野菜が赤、緑、黄色とグラデーションで素焼き風の皿に盛られ、
平べったいティーキャンドルの上に固定された茶色い素焼き風のポットの中では、
緑っぽい味噌のような液体がグツグツ煮立っている。
「シェアハウスって、それぞれが買ってくるとか自炊するって思っていた」
「普通はそう。何か所かシェアハウス経験あるけど、
寮みたいにきちんと食事が出てくるのはここだけ」
と向井。
「これ、どうやって食べるんだ?」
ツバサは料理を指差すと――
「え? 東京の人なのに見たことないの? バーニャカウダだよ」
と鳥越。
心底びっくりな顔をされて、なんとなくツバサは卑屈な気分になる。
「あのさあ、東京に住んでたって、興味のないところに行ったり、食べたりはしないし。
あと、俺、母親が学生のうちに死んじゃったから物凄い貧乏暮らしで、ちゃんとした外食ってしたことない」
(あ、余計なことまで言ってしまったかも)
案の定、ちょっと食卓がヒヤッとしかけている。
すると、大野が、
「オレもアレクに作ってもらって初めてバーニャカウダって存在を知った」
と助け舟のようなものを出してくれた。
「アレクが作るソースって、マジで旨いよね」
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