第6話 通勤手当
ハウチワカエデの木立を間に挟んでいるとはいえ、お隣にシンレイ先生が来るとは。色々な思いが交錯してよく寝付けなかった。睡眠薬代わりに飲んだブランデーのせいか、頭が痛くて六時前には目が覚めた。
ガウンを羽織ってリビングにゆく。明かりをつけるとちょうどペレットストーブにカラカラカラと音がして、ボウっと火が灯る。タイマー通りの点火だ。かわいい。
コーヒーメーカーにスイッチを入れて、顔を洗い、スキンケアと髪の手入れ、そして化粧。コーヒーのアロマを吸い込み一口味わってから、洗濯機を回し、冷蔵庫を開けてバナナと牛乳、ヨーグルトとブルーベリーでスムージーを作る。テレビを付けたらまもなく七時、女の朝は忙しい。
ドーナッツ一つとスムージーとコーヒーの朝食をさっと済ませて着替え。
ピンポンとドアフォンが鳴る。えっ、やな予感。
モニターにシンレイ先生の顔。
先生、
「何時に出る。一緒に行くよね」
やっぱりそう来たか。悪い予感はよく当たる。
私、
「着替えている最中です。待っててください」
もうずうずうしい。
先生、
「車の雪、寄せといたんだけどさ。鍵貸してくれない、暖機運転しておくから」
えっ、初雪、寒いはずだ。しょうがないな。ドアをちょっと開けて、先生に鍵を渡した。雨戸を閉め切ったままだったので、雪には気付かなかった。
先生、
「じゃ、車の中で待ってるね」
頭がクルクルしてくる。
わざとゆっくり着替えて出ていくと、シンレイ先生は、私の小さなアクアの後部座席に身を縮めて乗っている。
私、
「前の席に座って下さいよ」
先生、
「いや、後ろでいい。君はいつも通りに荷物を助手席に置けばいい。僕も横を広く使いたいんだ」
七時四十分、慎重に車を出す。
先生、
「この車四駆なの」
私、
「違います。ただのFFです」
先生、
「じゃ、次の車は、四駆で後部座席の広いやつにしようか」
何を言い出すんだ、この爺さんは。私が強めの声で、
「これは私の車ですよ」
と、はっきり指摘。やっと先生が黙った。
たかだか数センチの積雪でも四号線は大渋滞だろう。まず余笹川を渡り県道七十二号を真っすぐに、越堀で那珂川を渡って、練貫で右折して四号線とJRの下をくぐって、東那須野西通りに出るコースを選んだ。最後の右折が長蛇の列だった。
私が、
「時間かかりそうですよ」
と言うと、先生、
「なに、三日もあれば着くでしょ」
だって、笑えない。
結局、いつもなら三十分のところが五十分かかって着いた。スースーが早く来ていて、診療所は暖かかった。
スースー、
「仲良くお二人で通勤ですか」
後半の、二人で通勤は正しい。
私から、はっきりと言っておく。
「今のところはしょうがないけど、先生は先生で通ってくださいよ。通勤手当は出るんですから」
先生、
「ありゃりゃ、そうですか。駅前に車屋さんあったよね。今日はお昼、那須野屋食堂にしよう。車屋さんのすぐそばだ」
なぜ、みんなで食事しなきゃいけないのよ。
スースー、
「そうしましょ、そうしましょ。あの食堂大評判なのよね」
スースーはすぐにエサに釣られるんだから。
休み明けは雪でも結構患者が来た。十二時半に何とか診療所を閉じて、三人で那須野屋食堂に向かった。雪なのに満席。しょうがないから、すぐそばのトヨタレンタカーに先に行った。
店員、
「どの車種がいいですか」
先生、
「四駆で、後ろ席の広いやつがいいな。まず見せてくれる」
後ろ席、関係ないでしょ。
止めてあった車を見ては、シンレイ先生後ろに座ってみる。結局、気に入ったのは、屋根が高くて後部座席の膝下が広いシエンタだった。
先生、
「これいいね」
店員、
「このグレードは一日一万三千二百円、二日目から九千九百円となります」
先生、
「えっ、売ってくれないの」
ちょっと先生。
店員さん、
「うちはレンタルしかしていません。もし、ご購入を検討中なら、栃木トヨタ自動車に行ってみてください」
と冷静な返事。先生、何を考えているんだか。
那須野屋食堂に戻ったら一時を過ぎていた。私はチャーハン、先生は天ぷらうどん、スースーは味噌ラーメン半チャーハンセットを注文した。付け合わせのやっこ豆腐と浅漬けが美味しい。
スースー、
「栃木トヨタ黒磯店なら、今日の帰りに寄れるんじゃない。みんなで行ってみましょうよ」
先生、
「そうだね。片山くん寄っていこう」
ありゃ、帰りも私の車に乗るつもりだ。
診療が終わったら、超速で片付けて車に乗り込んだ。スースーのハイラックスが、雪がすっかり消えた四号線を飛ばしてゆく。後をついていくのが大変だ。二十分もかからずに栃木トヨタ黒磯店に着いた。閉店間際で、客は誰もいない。
先生、
「シエンタください」
大根でも買いに来たんですか。
スタッフ、
「シエンタは、現在注文から納車まで七カ月待ちとなっていますが、よろしいですか」
先生、
「そうなの。明日でも乗りたいんだけど」
何を考えているんだか。
スタッフ、
「それではトヨタレンタカーに行ってみてください」
先生、
「そっちから来たんだけど。買いたくて」
なんだこの会話は、グルグル回ってる。
スタッフ、
「急ぐわけですね。ちょっとお待ち下さい、新古車か新車に近い中古車がないか、他の店舗も探してみますね」
神対応、私には無理。
スタッフ、
「ちょうど良さそうな新古車ありましたね。色は赤で、ハイブリッドで四駆、自動運転補助付きナビが付いてます。これが付くと七十万ほど高くなりますので、新車なら四百万超えますが、これなら三百八十万ぐらいで手に入りますよ」
そんなに高いの。
先生、
「色、赤。自動運転補助、いいんじゃないの、それで。片山くん、それにしよう」
えっ、私、
「ちょっと待ってください。私が買うんですか。私はアクアで十分なんです。先生が自分の車を買ってくださいよ」
ずうずうしい。
先生、
「店員さん、あのアクアどう」
どうって、先生。
スタッフ、
「ただ今、中古車市場も値上がりが続いてまして。五年落ちですね。少なくとも六十万で下取り出来ると思います」
先生、
「いいね」
何がですか。
スースーの助け舟、
「ま、閉店時間だし、その車、数日だけ抑えていただいて、今日はいったん帰りましょ」
スースーが、シンレイ先生のおうちでストーブ料理を教える約束をしていたらしく、二台の車で寺子に向かった。料理なんかする気にならないから、私もご一緒して、シンレイ先生の家に上がり込んだ。 家ではキャロルさんが待っていた。マーガレットさんは大学があるので、大宮に帰ったとのこと。
スースーがどでかい革手袋や、鉄製の五徳をそろえ、保冷バッグから頭がなく毛をむしられたニワトリ丸ごと一羽を取り出した。おなかが膨らみタコ糸で縫い上げられている。おなかにニンニクとタマネギとシイタケをパンパンに詰めてきたとのこと。
スースーが、使い込まれて黒くなった大きな革手袋をしてストーブの扉を開き、真っ赤になった熾火をならして鉄製の五徳を置き、ニワトリ一羽を入れたダッチオーブンを五徳に載せた。ストーブの扉が開いている間、熾火から急に炎が上がり強烈な熱気が出てくる。扉を閉めると炎が収まり熾火の真っ赤な輝きだけに戻る。
スースー、
「これで三十分で出来上がり」
テーブルにはすでにバゲットとかぼちゃスープ、生野菜のサラダが並べられている。テーブルについてかぼちゃスープをいただいた。とても美味しい。キャロルさんは料理のセンスがありそうだ。
シンレイ先生が話を戻す。
「あのクルマ良さそうだよね。見てないけど」
スースー、
「二人で通勤するならぴったりでしょうね」
あんたまでなんということを。
先生、
「うちの診療所の公用車にしようよ。職員二人の通勤用だから公用車だよ。ナナさんに頼んでみるから」
スースー、
「それ、いい考えね」
スースーは先生と打ち合わせていたの。
私が割って入り、
「そうすると私は、運転手になるじゃないですか」と指摘すると、スースーが、
「片山さんが通勤以外にも使えばいいんだよ。ほかにドライバーいないんだから。そうすれば今のアクアを売っちゃって、お小遣いも入るじゃない。車の税金も保険も車検代もタイヤ代も診療所持ち、お得だよ」
なるほど、ちょっと説得力ある。
先生、
「それで決まりだ」
まだ決めないでください、先生。
スースー、
「そろそろ鶏の丸焼きできましたよ」
スースーが、また大きな革手袋をしてダッチオーブンを取り出して蓋を開ける。香ばしいスパイスとニンニクの香りが立ちのぼる。スースーが、革手袋のままニワトリの脚をむんずと掴んで、大きな調理用のハサミでザクザクと切り分けて、お腹から溢れ出したタマネギやシイタケごと、お皿に取り分ける。こうして革手袋がストーブのすすと鶏の肉汁で汚れていくわけか。豪快だ。
スースー、
「今ごろ、ウチでも同じ料理しているのよ。今朝、二羽準備したから。私は、家に帰ってリュウたちといただきますからね、これで失礼いたします」
スースーは荷物をさっさと片付けて帰っていった。
鶏の丸焼きは、ジューシーで絶品だった。ケンタッキーを美味しいと思っていた私の舌が、また一段贅沢になってしまった。
キャロルさん、
「元気なかたね。私たちはゆっくりワインでもいただきますか」
キャロルさんがリースリングの甘い白ワインを出してくれた。寒い季節に、ストーブの炎をみながら美味しい肉料理に甘い白ワイン。他人の家なのに体の力が抜けて幸せな気分になる。
キャロルさん、
「片山さん、美人ね」
何をおっしゃるキャロルさん。私だって、もうすぐ五十です。
先生、
「そりゃそうだよ。息子がいりゃ、嫁にしたいぐらいだ」
とシンレイ先生からも褒め言葉。自分の顔が火照るのがわかった。
キャロルさん、
「あなた、その辺にして。誰でも自分の生きたいようには生きられないの。神様がみんな決めてるんですから。どんな人生でも、神様を信じて神様に委ねて生きてゆくしかないんです」
先生、
「わかってますよ。ようくわかっています。だから、いつでも祈っていますよ、神様に。どうか、片山さんと車で通勤できますように、って今朝から数え切れないほど祈っています」
と言って、シンレイ先生が私の顔を正面から見る。キャロルさんも私の顔をのぞき込む。私は、グラスに残っていたワインをゴクリと飲み干した。
私は、ついに言ってしまった。
「わかりました。あのシエンタにしましょ。いいですよ。行き帰りの通勤だけですよ。それ以外は、先生の運転手にはなりませんからね。いいですね」
シンレイ先生、
「お祈りがかなったぞ。もう一度、乾杯だ」
みんなが家族のように笑顔になった。
読者の皆様へ
ここまでお読みいただき感謝いたします。
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