見たいものしか見ないヒト

古 散太

見たいものしか見ないヒト

 そこにあるのはただの空き家か。それとも心霊スポットなのか。

 朽ちかけた、ようやく原形をとどめているような二階建ての木造家屋。正面の門扉から庭にかけて雑草が蔓延っている。誰の手も一切入っていないことがわかる。

 廃屋マニアやオカルト好きなヒトであれば、中に入りたくなるだろう。そういう趣味がなければ、崩壊などの危険を予測して立ち入ることはしないだろう。

 たとえばそこに抽象的なアート作品があったとしよう。美しいと感じるヒトもいれば、わからないというヒトもいるだろうし、中には美しくないと感じるヒトもいるだろう。

 これが主観であり、そのヒトの本当の視点だ。

 世の中には、世論をコントロールしたいヒトたちがいる。政府であったり、企業であったり。そういうヒトたちが一般のヒトビトを自分たちにとって都合がいい方向へ世論を作り上げていこうとする。

 オールドメディアの偏向報道と言われるものも、最近になって広く認知され始めたが、もっと前からそれは行われていた。ただ一般のヒトたちがインターネットなどによってそれより多くの情報に触れることができるようになってきたため、違いが目立つようになり、通用しなくなっただけのことだ。

 企業は商品を売るために宣伝をする。その宣伝は、ただ「こういう新商品が出来ました」というものもあるが、中には、「これがないと大変なことになります」とか、「これを持っていないと時代に取り残されますよ」といった、見ているヒトに不安を抱かせる、ある種の脅迫じみたものもある。

 多くの人がブランド品に惹かれるのは、もちろん本当にそのブランドが好きなヒトもいるだろうが、みんなが持っているから、これが流行っているから、と、そのブランド名に大金を払う人も確実にいる。また、保険関係は、たしかに必要なのかもしれないが、その商品によっては本当に必要かどうかを一考する余地のあるものもある。

 ぼくたちはさまざまな情報の中で、自称頭のいい人にうまくコントロールされていることに気づかず、自分の行動を決め、財布のひもを緩めている可能性が高いのだ。

 だとしたら、目の前にある空き家は、ただの廃屋か、心霊スポットか…。


 ヒトは見たいものしか見ない。聞きたいことしか聞かない。信じたいことしか信じない。それが事実であり現実だ。

 自分の意見を持つことは大切なことだ。しかし、自分の意見を通すために他のヒトの話を聞かないのは、のちに問題となる可能性が生まれる。

 一〇人のヒトがいれば、一〇通りの見たい角度があり、聞きたい音があり、信じたい理屈がある。そのことに気づかず、テレビやインターネットでは、さも世の中の意見であるかのように語るヒトが多い。あくまでもそのヒトの意見であると断りを入れているならまだしも、これが正解です、これが正論です、というような語り口や報道の仕方は、子供のわがままと同じだ。

 しかもそれを鵜呑みにしてしまい、それが世の中の正義であるかのように信じてしまうヒトたちもいる。自分の考えや信じていることよりも、メディアの意見を優先している。

 それで本人が良ければいいのかもしれないが、それは自分の人生を、メディアに委ねているのと同じことだ。

 占いやスピリチュアルでもそうだが、まず自分の信念や考えありきである。

 誰であっても、いつであっても、どこであっても、人生を創りだすのは自分しかいない。何の意思もなくロボットのように生きられるなら、他人まかせの人生を生きられるが、ヒトにはエゴがある。それはこの肉体を維持しようとする基幹システムだ。空腹を感じれば食料を欲するし、寒ければ暖を取ろうとする。おそらく、すべての人がそういう本能的な欲求を解決しながら生きているはずだ。

 ならば、人生は自分で創りだしていると言えるのではないだろうか。自分の信念や考え、欲求などを踏まえた上で、占いやスピリチュアルなどを参考程度にするのが、もっとも正解に近い生きかたではないかと、ぼくは思う。

 見たいものしか見たくない、あるいは見たいものだけ見えていればいいと考えるのは誰にでもあることだ。しかしそれでは、真実どころか事実さえ誤認してしまう。

 これがいわゆる偏見というものだ。

 偏見でこの世を見ているかぎり、自分の正解であっても、共有できるかどうかは別問題だ。そんな中で、まるで錦の御旗のように、自分だけの正解を振りかざしても、誰かの共感を得られるかどうかはわからない。場合によっては反論からの攻撃に遭ってしまうかもしれない。

 自分が正しいと考えるなら、よく熟考してから自分の外に出すべきだろう。

 そのために、周囲をよく見ることだ。自分は、見たいものしか見ていない可能性があることを、よく理解しておかなければならない。

 誰もいないはずの家の二階の窓に、黒い人影がふわりと現れて、消えた。それを見てしまった以上、この空き家からすぐに離れた。ぼくの直感が、警告を発している。それがぼくの正しい答えだ。

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