『ちいさくなっていく靴をベッドのまわりにしき詰めたわたしの駅はすごくきもちいい』
連作タイトルにもある「わたしの駅」とはなんであるのか。
駅は人や物を次の場所へとおくるもの。町は駅前を中心にして発展していくこともあるし、いくつかの駅を経由すればどこか遠い目的地へと辿り着くこともできる。つまり、人と人とをつなぐ中継地点のような役割を担っているともいえる。
ベッド=わたしの駅だと考えると、ベッドも人間を外の世界へと送り出す一機構のように思えてくる。ベッドが人と外の現実とをつなぐ中継地点、すなわち駅としての役割を持っているのだ。ベッドの上が人間の生まれる場所だということも、このイメージを色濃く連想させる要因の一つなのかもしれない。
ちいさくなっていく靴。
靴が小さくなるということは成長しているということ。それもベッドのまわりに敷き詰められるぐらいの数。すなわち大人である。
また、靴は思い出の象徴であるとも考えられる。人の成長を表す一つに行動範囲が広がることが挙げられると思う。人が行動をするためには靴が必要だ。成長の過程で履けなくなってしまった靴は人の成長を表すとともにその靴を履いていた頃の記憶、思い出が色濃く残るものであると思う。人が駅に行くためにも、また靴が必要であること、同じく中継地点へ人を運ぶという役割は駅と似ている部分を感じる。
ベッドのまわりに靴を敷き詰める。駅のまわりに自分の成長と思い出を残す。ベッドから始まった自分の居場所が駅という中継地点にまで広がって、次の真新しい、靴がひとつも置いていない場所へと運ばれていく。そこに希望を見出すのか絶望を見出すのか、次へ進むのか、進まないのかはただ一人の自分に委ねられているのだと思う。
「わたしの駅」とは本当に自分が今留まりたい、過ごしたい場所のことであるのではないだろうか。
連作を通して読むとまた違った解釈が生まれてくるような、とても思考が広がる魅力的な歌たちでした。
素晴らしい作品をありがとうございました。