第2話 腕っぷしの強そうなお兄さんがたに助けられ…
うにゃ〜んうにゃ〜んうにゃ〜ん……
耳元で子猫が鳴いている。心細そうな可憐な声だ。お腹が空いているみたい。よしよし、何かあげられたらいいんだけど……
ぼうっとしたまま声のするあたりに手を伸ばし(あ、いたいた)、モフ毛を撫でてやる。すると――バクッ。親指を甘噛みされる。ひゃっ、冷たくてくすぐったいよ……ちゅうちゅう吸ってるけど、おしゃぶりじゃないんだよ……
「わ、こら!」
誰かがモフ猫をわたしから引き離す。そのとたん、
「ニャグォォォ〜ッ!」
雷みたいな轟音が響いて、わたしは飛び起きた。
「うわッ」
声の主は数メートル先の壁まで吹っ飛んでいる。
「誰?」
眠い目をこらす。淡いグリーン色をしたレースの天幕越しに見えたのは、壁際でよろよろと半身を起こしている若い男だ。山吹色のローブふう胴衣に白いゆったりしたボトムス。腰に鮮やかな緑のベルトを巻いている。
「にゃあん」
さっきからあどけない声を上げているのは(そしてたった今凄んだのは)、洞窟でわたしを喰らいそうになっていたあのモフ竜だった。なぜか子猫みたいな佇まいで、赤い瞳をうるませながらこちらを見上げてくる。
「あーよしよし。おいで」
と言うより早くモフが膝の上に乗ってきた。そして撫でようとした手の親指をまたパクッとくわえてしまう。
完全におしゃぶり感覚。ムパムパ吸っては満足げにゴロゴロ喉を鳴らしている。
「ずいぶんと懐かれたものだな。その種は滅多にヒトガタを寄せつけないと言われているのだが」
頭上から涼しげな声が降ってきたので、見上げて――そのまま固まった。
竜だ。竜が頭上数メートルの空間に寝そべっている。さほど大きくはない。体長はわたしの寝ているベッドの長さより少しあるくらいか。エメラルド色の鱗がきらきらと光って美しい。そしてエメラルド色のカーテンだと思っていたのは、竜の翼の一部のようだった。
竜が黄金の瞳でこちらを見ている。
き、綺麗だ……。顔がしゅっとしていて整っている。ドラゴン好きな同僚の熊ちゃんだったら、早速写メって待ち受けにするところだろう。
「いててて」と腰をさすりながら、山吹色のローブの男が近づいてくる。
「ばあさん、あんた何者だ? 普通ならその指、食われてるって」
「え」
手元に視線を落とせば、今度はモフ竜と目が合う。モフはあどけなさ全開で、「は? 何の話ですか」という顔だ。
「なんだこいつ、俺のことは吹っ飛ばしたくせに。いや、でも驚いたよ。ガルトムンドへの贄式が行われるっていうんで、ひと暴れしようと思って駆けつけたら、目の前でばあさんが、ヤツをこーんなにちっぽけにしちまうんだからな」
と山吹くんがモフ竜を指さす。竜はどこ吹く風でわたしの親指に齧りついているが………。
そうか、あのときわたし、発光して気絶しちゃったんだ。そしてこの若者に助けられたのか。
若者が、テーブルにあったポットからカップに何かを注ぐ。ふっとエメラルド色のカーテンが消え、次の瞬間、ベッドのすぐそばにしゅっとした長身の男が現れた。緑色の長髪に、黄金の瞳。頭上を見ると、そこに竜の姿はなかった。
え? ともう一度、黄金の瞳の男を見る。男は穏やかに微笑んだ。
「貴殿を見ていると、死んだばあやを思い出す」
死んだばあや……その方も竜なんでしょうか……。
ぼんやりした頭を振ると、もうひとりの若者がカップを差し出してきた。
「ありがとうございます」カップを受け取りながら頭を下げる。「……助けてくださったことも」
「いや、何もしてないから。することなかったもんな、俺たち」
若者が部屋の隅に目をやる。そこには大きな剣が立てかけてあった。若者の持ちものなのだろう。鞘の端に、腰のベルトと同じグリーンの宝石が並んでいる。
「でもまぁ、逃げ足は早かったか」
若者が豪快に笑う。
「おもにわたしのおかげだが」
と、竜だった男が付け加える。おそらく彼=竜に乗せられて脱出してきたのだろう。
「ありがとうございます」
わたしがお礼を言うと、男は緑色の髪を揺らして微笑んだ。
渡された飲み物は甘く爽やかで、気づくと一気に飲み干していた。
「クック…」
膝の上では、もう片方の手の親指を齧っていたモフ竜がそのまま眠ってしまったようだ。口元から親指がするりと抜ける。ふかふかのお腹が規則正しく上下している。目を閉じるとますます子猫みたいだ。
「ほんとうによく懐いている……」
ふたりの男が腰をかがめ、モフ竜の寝顔を見て頬を緩めている。いったいどういう人たちなのか皆目見当がつかないが、悪い連中という感じはしない。
「あーあ、でもちょっとは暴れたかたったよなぁ。ここんとこ鍛錬不足で腕が鈍っちまったし」
山吹色のほうが軽く肩を回す。ほっそりしてはいるが、腕に自信があるらしい。
「そんなに暴れてばかりでは、また飛ばされるぞ」
竜だった男が嗜めるように言う。
「いいんだよ、このまま総務部Bでくすぶってるよりマシだろ」
総務部B?
すみません、そこのお兄さん……? 今、総務部Bって言いました?
あまりにも耳馴染みのあることばが急に出てきたので(しかも、こんな異世界感ハンパない若者の口から)、わたしは少し身を乗り出した。まぁそりゃ異世界にだって総務的な仕事はあるでしょうし、区分けもAからZまであるでしょう。うちの会社の総務部の、端の小部屋(以前は書庫だったとか)でひっそり生息していたあの総務部Bとはきっと趣を異にする、に違いない。
部員はよその部署でちょっと何かやらかしちゃった人、クビにはできない困った系、縁故系ばかりが集まっていたあの総務部Bとはきっと違うはず……。
「ったく、上司小突いたくらいで飛ばされてちゃ、体がいくつあっても足りねぇし」
「目上の者は敬えと学ばなかったか」
「あいにく、そんなにお育ちがよくないもんでね。それにこっちは命張って戦ってるんだ。阿呆の言うことなんかきいてられるかよ。あ、お代わりいる?」
最後のことばは、わたしにだったようだ。空のカップに目を落とすと、若者が茶を注いでくれる。
「で、あんた、何者?」
若者がぐいっと顔を近づけ、わたしの目を覗き込んできた。
☆
「へぇ……そりゃ大変だったな」
ふたりはウムトとレイラン、と名乗った。暴れ足りなさそうなのがウムト、そして竜人のほうがレイランだ。
タマラばあちゃんになる前の話は省いて、わたしはこの世界で目覚めてからのいきさつをすべてふたりに話した。
「記憶喪失か。ヒトガタが歳をとるとそういう症状が出ることがあると聞く」
ああ……アルツハイマーとか認知症とか。確かに、それならタマラばあちゃんが全然家族のことを覚えていないのも、少しはうなずける。
「ばあさんが住んでたってのはコクサーナ地方だろうな。あそこはゾルゲンの管轄地だ」
「ゾルゲンというのはいわゆる新興企業でね、近年、奇獣狩りに力を入れている。珍しい力を持つ人外の生き物――特に大型の獣たちを集めているのだ。そのためには手段もいとわない」
レイランが眉をひそめて言った。顔じゅうから嫌悪感がダダ漏れしている。ウムトが続けた。
「コクサーナでは、小作人たちに格安で土地を貸し与える代わりに、ある取り決めを交わしてるって話だ。年に数人、地域ごとに生贄を差し出さないといけない」
「生贄……」
思わず口にしてしまったが、まさにそれだと自分でも思う。あの母娘のタマラばあちゃんに向けた感情は、悲しみというより申し訳なさ、だったし。
「そう、たいていはもう働けないようなじいさんばあさんや体の弱い人間が選ばれる。錬度は低いが、奇獣の贄にはちょうどいいからな。――あ、すまん」
ウムトの最後のことばは、レイランに睨まれたせいだろう。
「しかしタマラ殿はお見受けするに、かなりの錬度の持ち主ではないのか?」
レイランが「失礼」と言ってわたしの手をとる。ひんやりとした感触が伝わってくるが、嫌な感じではない。
「……」
「どうした? レイラン」
「あ、いや。ただ……想像以上の力だ、とだけ言っておこう」
「そうだろうなぁ」ウムトがあっけらかんと笑った。「なんたって、コイツをこんなちびすけにできるんだから」
ちびすけことモフ竜は、わたしの膝の上ですやすやと眠っている。口角が少し上がっているせいか、笑っているようにも見える。
「どうやったの? 魔術か何か?」
「それが、よく覚えていないんです。身の危険を感じたら――いきなり体が熱くなったというか、額のあたりが熱くなりまして」
あのときのことを頭の中で再現してみる。髪が逆立って、おでこが熱くなって。それから体から冷たいものがふわふわ出てきたんだっけ。そしてユキマルくんがぐわっと何か叫んだような――
ユキマルくん?
わたしは胸元に手を当てた。いない。ウエストのベルトに挟んだ? ない。ドレスのポケット? いや、この服、ポケットとかないんだった。もしかしてあの洞窟に置いてきちゃった?
「あ、探しものはこれ?」
ウムトが自分のポケットからユキマルくんを出してよこす。
「お守りか何かか? ずいぶんかわいいな」
よかった。わたしはウムトにお礼を言うと、ユキマルくんを胸元にしまった。視線を感じて見上げると、レイランが興味を引かれたようにわたしの胸元を見ている。ユキマルくんが珍しかったのだろうか。こちらの世界じゃ、こういうマスコットは作られていないのかもしれない。
「しかしどうするかなぁ、これから。ばあさん、さすがにコクサーナの家には帰せないだろ? ちびすけとはいえ、ガルトムンドもいる。上には届けられないよなぁ。ゾルゲンに勘づかれても面倒だし」
「そのことだが、ロシュフォルさまに知られる前に――」
何か言いかけたレイランをウムトが止める。かすかな足音と誰かの話し声。部屋の外から聞こえてくる。
「やべ……」
ウムトとレイランが顔を見合わせた。
そういえばここはどこなんだろう。居心地のいい部屋だとは思っていたけど。足音と声が近づいてくる。男がふたり、のようだ。
『……は? 消えた?』
『ああ、何者かに連れ去られたらしい』
『あんな巨獣が、ですか』
『信じられん話だがな。付近を飛行していた人竜が目撃されている』
ウムトとレイランの顔が少しばかり引きつっているように見える。
『……人竜など珍しいものでもないでしょう。それに、奇獣を運ぶには小さすぎる』
『まぁな、ただ警護省が出張ってきて、各省厳重確認とのことだ、まったくゾルゲンなんぞのために動きおって』
声がだいぶ近い。
『……まさかBの連中が関わっているなんてことは……』
おもむろにドアが開いた。
小柄な中年の男――長いガウンと胸の飾りが、身分の高さをうかがわせる――と、もうひとり、同じく長いガウンの若い男が立っていた。ドアのノブに手をかけているのは偉丈夫なその若い男のほうで、まじまじとこちらを見ている。おもにわたしと――膝の上の小さなモフ竜を。
一瞬の沈黙。
「……や、わたしは何も見なかったぞ、ロシュフォル」
「……はい、確かに」
おもむろに開いたドアは、同じくらいおもむろに閉められたのだった。
☆
わたしたちがいた部屋はどこかの屋敷の一室というのではなく、いわゆるオフィスのようなところだったらしい。いかにも上司然としたふたりの男がそっと扉を閉めてから5分もたたないうちに、若い男のほうが戻ってきた。ゆっくりと扉を開けた男の顔は穏やかではあったが、ウムトとレイランに緊張が走るのがわかった。さぞや厳しい上司なのだろう、男が微かな笑みを浮かべると、ふたりの緊張感がさらに高まる。
「いや、そ…それがですね」
ウムトの声がちょっと裏返っている。さっきまでの威勢のよさはどこへ行ったのか。レイランなどさりげなく窓辺のほうに移動して外の景色など見ている。
「なんだ?」男がゆっくり眉を上げた。「わたしは何も尋ねていないが。尋ねていないし、尋ねたくもないな」
ひ、ひんやりしている、空気が……。
「そ、そうですよねー、あはは、ははは……」
ウムトはすっかり挙動不審だ。チラッと背後に目をやり(レイランに応戦してもらいたかったのだろう)、裏切られたことがわかって愕然としている。
男の視線がゆっくりとこちらに移った。
厳しい上司、ではあるのだろうが(そして空気はひたすら冷たいが)、本人はさほど冷たい印象ではなかった。確かに眼差しにはちょっとばかり険があるものの、銀色を帯びたブルーの瞳は穏やかで、見ているだけで吸い込まれそうな気がする。とはいえ、かなり美しい顔立ちなのにどこか人を寄せつけないような雰囲気も漂わせている。
こちらが値踏みするように見ていた時間、あちらも同じだったのだろう。美しく輝く銀髪から微かに光の粒が舞い上がった気がしたが、目つきがふいにゆるみ、視線が逸れた――わたしの膝の上に。
モフ竜は相変わらずすやすやと眠っている。ときどき寝息とともに微かな氷の粒を吐いているのがまた愛らしい。背中を撫でてやると、ゴロゴロ……と小さな雷のような満足げな音を立てた。
そっと見上げると、銀髪の上司がまだモフ竜を見ていた。目を細め、髪から僅かに光の粒を漂わせて。
「ガルトムンド、だな。こんなに小さな種が存在しているとは思わなかったが」
「そうなんですよ、これ、タマラさんの不思議な力っていいますか……」
声だけするのでそっと振り向けば、ウムトもいつの間にか窓辺へと退却しており、レイランと仲よく並んで立っている。あざといまでに無邪気な顔で。しかしそんなあざとさも上司殿にはまったく通用しなかったようだ。
「ちょっと話がある。別室で」
穏やかだが有無を言わせない口調で上司が言うと、ふたりは「はいッ」と声を揃えた。きっと洗いざらい吐かせられるのだろうな。わたしとしては、ふたりに助けてもらってとてもありがたかったのだけれど……。この流れだと、かなりお叱りを受けるのだろうか。
「あ、あの」
ふたりがあまりにもうなだれているので、わたしはつい上司殿に声をかけてしまった。見上げると、視線が合う。
「えっとわたくしですね、このおふたりには本当に感謝しておりまして、ここでこうして無事でいられますのもほんと、このおふたりのおかげで――」
上司殿がふいに身をかがめ、こちらに手を差し出してきた。そしてわたしの右手を取るとそっと頭を下げる。
「心配ご無用です。タマラ殿……だったかな」
端正な顔に浮かぶ温かな笑み。冷たい空気が一気にゆるんだ気がしたが、次の瞬間、体を起こすと空気がまた引き締まる。そしてウムトたちのことをチラリとも見もせずに部屋を出ていった。
ふたりが従順な仔羊のようにそのあとに従ったことは言うまでもない。
はあ……。
広い部屋にぽつんとひとり残されて、わたしは深く息を吐いた。
でもちょっとありがたい。ようやく自分の時間が持てた、みたいな。
デコトラに撥ねられてからというもの、あっちに飛ばされこっちに連れて行かれ……と、何もかもが目まぐるしかったし。今でもまだ頭が追いついていない感じがする。おまけに体はタマラおばあちゃんだときている。ここで休ませてもらったおかげでだいぶ楽になったけれど、ああ、熱いお風呂に浸かってもっと体を休めたい。
膝の上ではモフ竜がすやすや眠っている。小さく上下する腹のあたりを眺めていると、何だか愛おしさも増してくる。これがあの巨獣だったとはねえ……。そうだ、名前をつけてあげようか。何がいいかなぁ……モッフィーとか、スノーイーとか?
額のモフモフしたあたりを撫でていたら、モフ竜が寝ぼけて首を回し、わたしの指を甘噛みする。お腹が空いているのかそのままコクコクと指を噛み続ける。
巨獣だったときにこれをやられたら(首とか)、きっとひとたまりもないだろうけど(即折れる)、今だって指くらい簡単に嚙み切れるはず。ちびすけなりに配慮してくれてるんだよな、甘噛み……。
「――よし、アマガミだ!」
そう叫ぶとモフ竜が目を開けた。赤い瞳が無邪気に煌いて見える。わたしはその目を覗き込んで言った。
「あなたの名前はアマガミだよ」
モフ竜にもその意味がわかったのかどうかは定かではなかったけれど、モフ竜改めアマガミは、顔を上げると高らかにひと声キュンと鳴いた。美しい雪の結晶を吐きながら。
「へぇ、お姉さんすごいじゃん」
床からぼそっと声がする。わたしはアマガミを抱え、文字どおり飛び上がった。
「な、なに?」
そのままベッドからススッと後ずさり、声のしたあたりを見る。と、ベッドのすぐそばの床に何やらモフモフした金のかたまりが見えた。
敷物?
いや、違う。そのモフモフがもごもご動き出し、ベッドから何やら出てきた。モフモフの向こうに顔が見え、やがて肩先くらいまで現れる。
「……」
若い男だ。かなり眠たげな。そしてモフモフは男の長い金髪だった。男はこちらを見上げると、「あ」とだけ言った。それから、目をぱちぱちさせてつぶやく。「おかしいな、お姉さんだと思ったんだけど……。だ〜いぶお姉さんだったな。ま、いっか」
ベッドの下からすっかり這い出ると、男はにっこり微笑んだ。笑うとそれなりに愛嬌がある顔だ。そこで何をしていたのかは知らないが……。
わたしの疑問が伝わったのか、男はベッドに上がるや、でんと転がった。
「いや、ここオレの休息部屋だから。ウムトたちが誰かを連れて入ってくる気配がしたから、ベッドの下で様子をうかがってたんだよね。そしたらまぁ、なんとガルトムンド使いのお姉さん……じゃないマダム……だったとはねー」
新たな疑問。「オレの部屋」なんだとしたらどうしてベッドの下に隠れる必要があるのだろうか。
わたしの疑問は伝わったようだけれど、そこは無視して男は言った。
「えっと、タマラさんだっけ? すごいじゃん、ガルトムンドと契約を交わすなんてさ」
「契約?」
わたしは腕の中のモフ竜改めアマガミを見る。アマガミは物騒な目つきで男を見ていたが、わたしの視線に気づいたのか、あどけない顔でこちらを見上げてくる。
「そう。名前をつけてただろ? そいつもそれに応じていたし」
「え? それだけで契約……になるんですか?」
「ほんとに知らないの? いや、さっきから話を聞かせてもらってたから、だいたいのことは把握したけど。記憶喪失なんだっけ? 大変だったねー。それにしてもすごい力だよね。ただのばあ……マダムとは思えないよ。錬度のせいかなぁ。その錬度、30代並みだよね。だからてっきりお姉さんかと……いやぁやっぱり実物見ないで判断するのはよくないなぁ」
「人の錬度が、わかるんですか?」
「まぁね。相手の姿を見なくても錬度の強さくらいは感じられる。そういう体質なんで。それにしても」
と、男は肩肘をついて体をこちらに向けると、アマガミを見た。
「そいつ、いいなぁ。欲しいなぁ……」
男が目を細める。ふさふさした長い金髪から微かな光が舞う。
「名前は確か……アマガミ」
男が言い終わらないうちに腕の中のアマガミが吠え、男めがけて口から鋭い何かを吐き出した。男の唇が少し動き、目の前にホログラムのような円陣を出す。アマガミが放った何かがぶつかるや、その円陣は粉々に砕けた。
アマガミがブルッと体を震わせ、第二弾を放つ気配がしたので、わたしは急いで言った。
「アマガミ、やめて」
アマガミは腕の中で臨戦体勢を解く。
男は半身を起こすと両手を上げた。
「あ、ごめんごめん。やっぱり無理か。タマラさん以外が名前を呼んだところで従わないよねー。でもその子、いろいろ危ないから、きっちり契約整えておいたほうがいいよ。やり方、知ってる?」
「い、いいえ」
こちらとしては別に契約したつもりはないのだ。きっちり整えろと言われても全然見当がつかない。
「いくつかやり方はあるけど、そうだなぁ、いちばん手っ取り早くて確実なのは、タマラさんの血をちょっぴり舐めさせることかな。ま、そんなことしなくてもそいつがそれだけ懐いているんなら関係性としては問題ないんだけど、そいつを横取りしようっていう輩が出てこないとも限らないし。なにせ貴重なガルトムンドだから」
かく言うこの人もさっき横取りしようとしたのではないか?という疑念が湧いたが、まあ失敗したようだからよしとする。いや、ちょっと待て、もしかしてこれも横取り作戦の一環では……?
男と目が合う。
わたしの疑念は丸漏れだったのだろう、男が苦笑いした。
「いや、大丈夫。嘘はついてないから」
ほんとかなぁ……のらくらしてるけど、なんか見かけだけのような気がするし。どうしようかと考えながらガルトムンドを撫でていたら急に指を噛まれた。ちくっとした痛み。見ると指先からぷっくり血が出ている。するとアマガミがそれをぺろっと舐め、ひと声吠えた。
さっきの「キュン」とは違って、今度はバイクの爆音みたいな声だった。アマガミの口からまた雪の結晶のようなものが吐き出された。それらは空中で集まって、みるみるうちに美しい魔法陣のようなものを作り上げていく。
見惚れていたら、その魔法陣がわたしの頭上あたりまで移動してきて、ヴェールのように被さってくる。全身に涼しい風を感じ――次の瞬間、魔法陣は消えた。
キュン!とアマガミが満足げな声を上げる。アマガミの口から今度は淡い桃色の花びらが噴き上がった。何かのお祝いみたいに。
「いやぁ……なんだよこいつすげぇご機嫌じゃん。相当あんたのことを好きみたいだな。自分から契約完了させるなんて、聞いたことがない」
男は心底感心したかのようだった。
「ガルトムンドは本当に難しい奇獣なんだ。凶暴でムラっ気があって、おまけに知能が高くて悪知恵も働いて。巷じゃ天候を操れるって言われてるけど、まさか花びらまで出せるとかさぁ……ますます気に入ったよ……」
男と目が合う。さっきまでと少し雰囲気が変わった気がする。ふわふわした金髪がそよぎ、微かな光の粒が舞う。そういえば、さっきここにいた銀髪の上司殿も、こんなふうにキラキラ成分を立ち昇らせてたっけ……なんて考えていたら男がいきなり立ち上がり、窓辺へと走っていった。
「会えてよかったよ、またねータマラさん」
そう言うなり男は窓の外へとダイヴした。
間髪置かず扉が開く。
「……あれ、タマラさん? どうしたの?」
ウムトとレイランだった。
わたしが部屋の真ん中でアマガミを抱いたまま突っ立っているのでちょっと驚いたみたいだ。レイランは何か気づいたのか、窓のほうに視線を投げると少し眉をひそめる。あの男のことをふたりに言ったものかどうか迷っていたら、レイランと目が合った。微かに首を横に振ったみたいだけど、それはつまり窓からダイヴした男の話はウムトの前でするな、ということでしょうか、レイランさん。
ウムトはそんなわたしたちに気づいたようでもなく、頭を掻いた。
「いやぁ、こってり絞られた。危うく北の霊氷山送りになるところだったけど、なんとか持ちこたえた……と思う! さすがにあそこに飛ばされるのはヤバいからな」
そしてあっけらかんと笑いながら、こちらに向かってうやうやしく頭を下げる。
「ようこそタマラ殿。我らが総務部Bへ」
「総務部、B……?」
「通称Bだ」とレイランが言い添える。
やっぱり聞き違えじゃなかったんだ、このワード。
「タマラさんは総務部Bの部官ってことになった。つまり俺らの同僚ってこと。さすがに、もといた村には帰せないだろ。申し訳ないけど、第二の人生だと思ってそこはあきらめてほしい。でも宮勤めは楽しいと思うぞ、そこそこ煌びやかだしさ。総務部Bだから出世は見込めないけど、ま、出世は望んでないだろう?」
「は、はい、ありがとうございます」
わたしは頭を深く下げた。総務部Bだってどこだって居場所ができるのはありがたい。あの母娘ともう会えないことを残念に思う気持ちも正直ないし。
「タマラ殿の身柄は、当面はロシュフォルさま預かりになった。悪い、そこだけはどうにもできなくて」
「ロシュフォルさま?」
「さっき来てただろう? オレらの上司。総務部Bの長官代理だ。住むところもロシュフォルさまが確保してくれるそうだ。たぶん、あの人のお屋敷だろうな」
「ちょっと迫力があるお方だが、決して悪い人ではないぞ」とレイラン。
「もちろんそのちびすけも一緒だ」
ちびすけと言われて自分のことだとわかったのか、アマガミがキュンと鳴いた。
「おーおーほんと可愛いよなぁ……このサイズだと」
ウムトはアマガミに触れたくて仕方ないらしい。ちょっとくらいなら行けるかな、やめとくべきか……という葛藤が目に見えるようだ。そんなウムトをアマガミはキラキラしたまん丸の瞳で見上げている。何か通じ合うものがあったのか、ウムトの笑みがさらに広がった。
「おーそうか。よしよし」とウムトがアマガミの頭に手を伸ばす。
ウムトってよほど動物好きなんだな。
と思った次の瞬間。「うわぁ〜ッ!」
ウムトは壁まで見事にふっ飛ばされたのだった。
「……」
アマガミを見下ろすと、小さな猛獣はキュン!と得意げな声をあげた。
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