第41話 黒炎の記憶が扉を開く ⚔️🏢

 タワー内部は、異様な静けさに包まれていた。

 照明は点いている。空調も動いている。だが、空気がどこかよどんでいる。

 俺は二本の黒刀のうち一本を消し、黒い炎となったそれを指輪に吸わせた。

 そして、残った一本を鞘へと納めた。


 足元には厚手のグレーのカーペット。

 踏みしめるたびに、沈み込むような感触がある。

 天井は高く、無機質な魔導灯が規則正しく並び、白い光を均等に落としていた。


 壁際には魔導触媒樹マナ・キャリブラーが並べられていたが、魔力過剰でどれもれかけていた。

 本来は空間の魔導波形を安定させるための装置だが、今は逆に都市の異常を映す“症状”のように見える。


 フロアには、整然と並んだデスクが数十台。

 先程まで使われていた気配が残っている。

 社員たちはその間をゆっくりと歩いていた。まるでゾンビのように。

 足取りは重く、視線はうつろ。誰も俺の存在に気づこうとしない。


 ……やはり、始まっている。


 一度に、これほど多くの人間が影響を受けている。

 都市による精神干渉――人間の排除が、すでにこの階層でも進行している。


 第5階層でオルド結晶が放った魔導波形マナ・ウェーブの干渉。

 俺が受けた、あの感覚。

 あれは偶発的なものでも、局所的な現象でもなかった。

 これは、都市の明確な意志だ。


 おそらく、他の階層でも同じような状況が広がっている。

 そして、俺たちが仕掛けたゴキブリ騒ぎが、想定以上の効果を上げたのも納得がいく。

 人々の精神は、すでに都市の干渉によって不安定になっていた。


 自分でも気づかないうちに思考が浸食され、記憶が塗り替えられる。

 都市が人間を拒絶し始めている。

 その兆候ちょうこうが、ここにも現れている。


 俺は足を止め、周囲を見渡す。

 その中で、ひとりだけ――比較的顔色の良い女性社員が目に留まった。

 他の連中と違い、歩き方にわずかな意志が感じられる。


 髪は肩までのボブ。艶のある黒髪が、蛍光灯の光を受けて静かに揺れている。

 服装は濃紺のジャケットに白いブラウス。

 スカートは膝丈で、動きやすさを意識したものだろう。

 全体的に、機能性と清潔感を兼ね備えたスタイルだった。


「待て」


 俺は彼女の腕をつかみ、正面に立つ。

 彼女は一瞬、おびえたように目を見開いたが、すぐに視線を伏せた。


「ユーマはどこだ」


 問いかけると、彼女は曖昧あいまいに首を振った。


「わかりません……」


 名前だけでは通じないのかもしれない。


「情報統括官の男だ」


 ミーナの話によれば、情報収集と分析を管理していた人物。

 第5階層での事件を隠蔽いんぺいし、双子を使って俺を罠にめた張本人。

 あせる気持ちをおさえ、ゆっくりと問い直す。


 すると、彼女はかすれた声で答えた。


「たぶん、上のほう……」


 うそではなさそうだ。だが、確証もない。

 言葉の端々はしばしから察するに、この異常事態に対し、企業の幹部たちが集まっているのだろう。


 俺は少しだけ力を込めて、問いただす。


「幹部はどこに集まっている。ユーマもそこにいるはずだ」


 彼女はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと答えた。


「……最上階の展望室クロノ・ドームです。幹部は、みんなそこに……」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は彼女の腕を離した。

 展望室クロノ・ドーム――ヴァル=クロノ・タワーの最も高い場所。

 そこにユーマがいるなら、迷う理由はない。


「ありがとう。もう休め」


 彼女は小さくうなずき、再び人の流れにまぎれていった。


 足音が吸い込まれるような静けさ。

 廊下の壁は黒い大理石のような質感で、冷たく光を反射している。

 天井には細長い照明が並び、白い光が均等に落ちていた。


 床はつやのあるグレーのタイル。歩くたびに、わずかにきしむ音が響く。

 構造は単純だ。フロアの中心部に、6基のエレベーターが並んでいた。


 そのうち、一つだけ入り口の造りが異なる。

 見上げると、99の表記が浮かんでいた。

 通常の社員用ではない。幹部専用のエレベーターだろう。


 どうやら、ヴァル=クロノ・タワーの最上階は99階らしい。

 階段を使う――という選択肢は、最初から除外していた。

 転移装置を探す手もあるが、この状況では封鎖されている可能性が高い。


 都市の魔導力が失われつつある。

 物理的な障壁というより、都市そのものが“拒絶”しているような感覚。

 正常に起動させるのは難しい。そんな気がする。


 パネルに手をかざすと、魔導波形マナ・ウェーブのスキャンが始まった。

 以前、第5階層への潜入時にも行った魔力同調認証だ。

 当然、拒絶される。登録されている魔力と波形鍵ウェーブ・キーが一致しない。


「……まあ、そうだろうな」


 俺は指輪に意識を集中させ、魔力の波長を調整する。

 黒炎の指輪――記憶の力を具現化する異世界漂流物オーパーツ

 あの時は、制御室に残っていた魔力の残滓ざんしを拾い、過去の波形を再生した。


 今回は、地上の神殿でユーマから受けた電撃の記憶を使う。

 出力は抑えたつもりだったが、白い電撃が走り、バチバチと火花を散らす。

 青白い脈動がパネルを走り抜け、装置が一瞬だけ沈黙した。


 ……失敗か。


 そう思った――が、次の瞬間、エレベーターが動き出す。

 数秒の静寂せいじゃくのあと、扉が開いた。


「通してもらうぞ、ユーマ」


 俺は腰に差した黒刀の位置を直し、ゆっくりとエレベーターへ向かう。

 展望室クロノ・ドーム――都市の頂で、すべてが待っている。

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