第28話 都市の神殿、忘れられた庭 ⚔️🕳️

 休息を終え、装備を再確認してから、俺たちは調査室を後にした。

 扉を開けた瞬間、魔導霧マナ・フォッグの濃度が一段と増しているのがわかった。

 空気は重く、腐敗ふはいした魔導排気が肌を刺す。

 視界のはしらぎ、遠近感がゆがむ。


 かつて通路だったはずの道は、魔導粒子の堆積たいせきで形を失っていた。

 都市が“記憶”をり替えたのか、それとも俺たちの侵入に反応したのか。

 どちらにせよ、ここはもう“以前の地上”ではない。


 俺たちは岩陰いわかげうようにして進んだ。

 風は強く、魔導粒子を巻き上げながら吹き抜けていく。

 まるで砂嵐のようだ――粒子が肌を叩き、視界を削っていく。

 遮断しゃだん装備とエリシアの防御魔法がなければ、数分と持たないだろう。


 都市の中央――そこには、巨大な魔導結晶柱がそびえていた。

 空をつらぬくような構造体で、表面には都市の魔導ネットワークが脈動している。

 結晶柱は、都市全体の中心軸として、螺旋らせん状に巻き上がる階層群を貫通していた。


 見上げると、浮遊する階層の裏側がぼんやりと揺れていた。

 魔導粒子が砂嵐のように舞っていて、黒い影だけが視界の奥に浮かぶ。

 螺旋構造のせいで、上層も下層も視界に入り、都市全体が“露出した迷宮”のように広がっていた。


 地上には、崩れた通路の破片や、落下した遮断装備の残骸ざんがいが漂っている。

 都市の記憶がゆがんだ結果なのか、それとも過去の犠牲者の痕跡こんせきなのか――俺には判断がつかない。


 結晶柱の根元には、祭壇があると聞いている。

 ただ、俺はこの世界の構造に詳しいわけじゃない。

 神殿のような施設に収められているらしいが、実際に見たことはない。

 古びた石造り……ではないようだ。

 金属と魔導ガラスが融合した、半埋没型の構造体。


 かつて都市の意思と契約を交わすために使われた場所だと、そう聞いている。

 今は、誰も近づかない。地上が危険だというのも理由だが、日々の暮らしに追われる人々からは、すでに忘れ去られているのだろう。


 外は強風。魔導粒子を巻き上げる暴風が、視界と聴覚を削っていく。

 俺たちは、祭壇の外壁に沿って進み、側面のアクセス口から内部へと入った。

 扉は自動開閉式だったが、魔導反応は鈍く、手動で開けるしかなかった。


 内部は、外の暴風が嘘のように静かだった。

 空気は重く、冷たい。だが、どこか整っている。

 通路は研究所のように無機質で、壁面には魔導紋が淡く浮かんでいた。

 足音が吸い込まれるように響かない。

 照明は天井の魔導灯マナ・ライトではなく、床面に沿って配置された光導管が足元を照らしていた。


 エリシアは、最初こそ俺の背後にぴったりと付いていた。

 ローブのすそを握るようにして、慎重に歩いていたが――

 やがて、好奇心が勝ったのか、周囲をキョロキョロと見回し始めた。

 ガラス張りの温室区画に目を留めると、ふらりとそちらへ足を向ける。


 温室の内部は、外の都市とはまるで別世界だった。

 透明な壁の向こうには、緑が広がっていた。

 失われたはずの木々が根を張り、果樹が実をつけている。

 枝の間を、小型の鳥たちが飛び交っていた。

 都市の空ではもう見られないはずの光景だ。


 その中を、旧式のロボットがゆっくりと動いていた。

 びた関節をきしませながら、果樹の枝を剪定せんていし、水をいている。

 動作はぎこちないが、どこか丁寧だった。

 まるで、都市が忘れた“日常”を、彼らだけが守っているかのように。


「……エリシア」


 俺は彼女のローブの端をつかみ、低く言った。


「何があるかわからない。俺から離れるな」


「……ごめん。でも、こんな場所が残ってるなんて、ちょっとおどろいて」


 彼女はそう言って、魔導植物の揺れに目を向けた。

 俺には詳しいことはわからないが、エリシアが端末を確認しながらつぶやく。


「都市の自律管理機構が、まだ生きてる。水分と温度の調整も続いてるみたい。この静けさ……まるで都市が呼吸してるみたいね」


 その言葉に、俺も温室の奥へ視線を向けた。

 確かに、空気が妙に整っている。外の暴風とは別世界のようだった。


 やがて、通路の先に広間が現れた。

 俺が立ち止まると、エリシアが前に出て、壁面の魔導紋を見上げる。


「ここが契約の座よ。都市と人が対話していた場所。記憶の座標って呼ばれてるの。床の魔方陣は、都市の意思と接続するためのもの。壁に埋め込まれてるのは、魔導結晶。都市の記憶を記録してる」


 彼女の声は静かだったが、どこか緊張を含んでいた。

 脈動する光が、広間全体を淡く染めている。

 都市の意思が、俺たちの存在を見ているような気がした。


 通路はまだ続いていた。

 白く無機質な壁が、どこまでも静かに伸びている。

 俺たちはその中を、足音を殺すように進んだ。


 エリシアは、時折立ち止まっては、壁面の魔導紋を見上げていた。

 名残なごりしそうに、何かを確かめるように。


「……エリシア」


 俺は小さく声をかけた。彼女が振り返る。


「ここで時間を使うのは危険だ。先へ進もう」


「……うん。わかってる」


 未練を押し隠すように、彼女はうなずいて俺の隣に戻った。


 そして、広く、真っ白な通路を抜けた瞬間――視界が開けた。

 そこは、都市の中心にぽっかりと空いた広間だった。

 天井はガラス張りのように見えたが、空は見えない。

 魔導粒子が濃く漂っていて、外界の光を遮っているのかもしれない。

 空間全体が、都市の意思に包まれているような感覚があった。

 いや――都市が、俺たちを見ている。

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