第3話
耳元で、何かが鳴っている。規則的で、機械的な音だった。重いまぶたをなんとか持ち上げると、散らかった紙の束が目に入った。
これ、何だっけ?
紙を取ろうと手を伸ばす。って、頭の下に何か……。
引っ張り出してみたそれは見開きになったノートで、新聞の切り抜きやら付箋やらがたくさん貼られていた。
そうだった。私、マリアスについて調べてたんだ。
この土日はずっと、情報収集で忙しかった。図書館に行ったり、ネットを漁ってみたり。それはもう、片っ端から過去の記事や報道をひっくり返した。そして夜は集めた資料を徹夜でまとめて……。何かの参考になるかもって。
――結局のところ、答えは出なかった。散々調べた挙げ句、手に入った情報も、私が知っていること以上のものはない。様々な業界に構成員がいるらしいから、裏で工作されているのかも。
分かってはいたけれど、とんでもなく規模の大きな話に関わってしまったみたいだ。
そんな組織で、お母さんは何をしてきたんだろう?
手に入れた資料だけじゃ、これっぽっちも分からなかった。
お母さんの歩いた道も、抱えていた想いも。
ようやく、諦められると思っていた。もう、手を伸ばすことはできないんだって。そんなことしても、誰も応えてくれないんだって。
それなのに、どうして今更……。
ノートを掴む手に力が入る。ページがクシャリと歪んだ。
「あーあ、何やってんだよ」
「え?」
急に聞こえてきた声に驚いて、ドアの方を見ると、ルークが戸口に寄りかかりながら立っていた。
いつからそこに?
「『え?』じゃない。電話しただろ」
「電話?」
スマホを確認してみると、確かに着信履歴があった。それも、ついさっき。
チラッと見えた時間は7時36分。
――遅刻!
「ありがとうございました」
「いってきます、母さん」
ミシアさんに手を振って、車から降りる。ルークがミシアさんにお願いして、車を出してくれたんだ。お陰で、遅刻せずにすんだ。
並んで校内に入ると、まだいくつかのグループが立ち話をしていた。その内の、派手な集団から鋭い視線を感じる。上級生……かな。ネイルはゴテゴテの蛍光色で、リュックサックにはキーホルダーがジャラジャラ付いてる。
関わりたくないタイプだ。
そ知らぬフリをして、私の個人ロッカーを開けた。
「おはよう、お二人さん」
声のした方に顔を向けると、カレンさんが満面の笑みを浮かべて立っていた。今日も今日とて、かわいらしいワンピースを着ているし髪型も凝っている。
編み込みカチューシャなんて芸当、私にはきっとできない。
「おはよう、カレン。先週、セーラに伝言してくれてありがとな。助かったよ」
「どういたしまして。にしても、どうしてあたしにメールしてきたの?」
カレンさんは首を傾げた。確かに、不思議に思うかも。直接、私に連絡すれば良いのだから。
「オレ、コイツのメアド知らないんだよな」
「電話は?」
「繋がるけど、まず出てくれないな……」
「そ、そう」
もはや何のためのスマホだ、とルークは肩を落とした。カレンさんが、気の毒そうな視線を向ける。
「ま、別に良いんだけどさ! もう慣れたし!」
そんな、投げやりになられても……。私が言うのもなんだけど、それはそれで哀愁が増す。
「ルーク君が良いなら良いのだけど……。あ、そうだ。セーラちゃんも一時間目は家庭科だよね?」
「そうだよ」
「じゃあ席、隣にしようよ。前からお話ししたいなって思ってたんだ」
う、眩しい笑顔。裏表のない、純粋な人間の典型を見てる気分。あまり乗り気はしないけれど……。
笑顔のわりに、大きな青い瞳が揺れていた。隠しきれていない不安が、そこにあった。
「……良いよ」
「本当? やった!」
根負けだ。もしかしたら私は、雨の日に子犬を拾ってしまうタイプなのかも知れない。
「んじゃ、話もまとまったみたいだし、オレはもう行くよ。朝から化学なんだ」
「うん。じゃあね! 寝ちゃだめだよー!」
軽く手を振って、ルークは階段を上っていった。カレンさんはブンブンと大きく手を振って、ルークを見送っている。
本当に明るい子なんだな。
それを横目に、私は自分のロッカーからソーイングセットを取り出した。ついでに二時間目の数学の物もリックに詰める。数学の教室は遠いから、取りに戻ってくるのが面倒くさいんだ。
「準備オッケー? 行こ」
頷いて、カレンさんの後を着いていく。
鮮やかな金色の髪が、さらさらと揺れている。
へえ、癖ないんだ。ちょっとだけ、羨ましい。私は癖毛だから、雨の日なんかは、うねりが酷くなって絡まりやすい。雑にブチブチとやっては、ルークに止められるまでがセット。
「ソーイング、楽しみだな。今日から何作るんだろうね」
「さあ? 去年はどうだったの?」
今年初めてソーイングの授業を取ったから、流れはよく分からない。カレンさんの方が、色々な人と交流があるし、授業を取るのも初めてじゃないだろうから知っていると思う。
「去年は先生が課題くれてたよ。でも、クラブの先輩が言うには、八年生の途中からは自由制作なんだって」
そうなんだ。
友達はもちろん、上下にも関わりがない私にはそんな情報は一切入ってこない。もしかしたら授業計画プリントに書かれてたりしたのかもしれないけど、先月渡されたにも関わらず行方不明中だ。
「なら、もうそろそろ自由制作に入るんじゃない?」
「だったら良いな。私、お洋服作りたい!」
……服って思い立ったらすぐ作れるものなの?
あ、でもカレンさんだしな。鼻歌交じりにやってのけそう。
「手先、器用だよね」
「家族の影響かなぁ。あたしの家……」
「カレン! おはよう!」
家庭科室に着いて中に入ったとたん、何人かの生徒がカレンさんのところに集まってきた。
まるで待っていたかのよう。さすがは人気者。あっという間に囲まれてしまった。
「ねえ、昨日の特集、観た?」
「もちろん! 深緑のロングワンピ、可愛かったなあ。大人っぽくてシンプルだし、大きめのアクセサリーと合いそうだよね」
目を輝かせながら、カレンさんは答えた。
私、いない方がよさそう。
そっと輪から離れる。そして、後ろの目立たない席を陣取った。どの授業でも、そうしてるんだ。
少しして、始業のチャイムが鳴った。
「ゴメンね! 話し込んじゃった!」
カレンさんが私の隣に腰かける。
たったそれだけなのに、四人がけの作業場テーブルが、急に賑やかになった気がした。
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