第2話


 食事会は、和やかな雰囲気で終わった。手土産のクッキーも喜んでもらえたし、とてもいい時間だったと思う。途中、ピリ辛パスタを食べたルークが一人で騒いでいたけれど。

 大袈裟なのよ。あの程度で。

 一人、リビングに移動した私はソファーに深く腰を下ろした。皿洗いを手伝おうと思ったら断られ、さらには食後のお茶会とやらの準備の手伝いも断られ、ここで大人しくしてろって言われたんだ。静かなリビングルームに、振り子時計の規則正しい音がこだまする。

「あー、辛かった」

 少し乱暴にドアが開いて、ルークが中に入ってきた。そして、どっかりと勢いをつけてソファーに座わる。

「お行儀。――今まで何してたの? 手伝い?」

 夕食が終わって二十分は経っている。

「水飲んでたんだよ。でも全然良くならねーの。んで、聞けば水って意味ないらしいじゃん。口ん中、すっごい痛かったんだけど」

 うなだれるルークを見ていると、何だかおかしくなってきた。

「ん? 何かお前、ニヤニヤしてないか?」

「してない」

 だって笑わないように、頑張って頬に力を入れてるもの。

「いーや、してるね! 頬に力が入ってる!」

 あー、もう。うるさい。

 学校では『爽やかイケメンキャラ』で通っているけれど、私からしたら歩く騒音機だ。

「二人ともお待たせ」

 ミシアさんが、茶器の乗ったトレイを持ってリビングに入ってきた。ふんわりとチョコレートの甘くて良い香りがする。

「まだ、お腹に余裕はある? ブラウニーをデザートに作ったのよ。食後のお茶にしましょう。大切な話もあるしね」

「はい、いただきます」

 ミシアさんのお菓子は絶品だ。お腹がいっぱいでも、食べたい。

 テーブルのセッティングを終えたミシアさんは、ルークの隣に腰かける。

 一瞬、沈黙がおりた。ここからは、和やかな時間とはならなそうだ。

 正面に座る二人は、どこかいつもと雰囲気が違う。緊張しているというか、改まってる。

 大切な話……。いったい、何なのだろう。

「さて、セーラちゃん。実は夕食会は前置きでね。ここからが本題なの。よく聞いて」

 真剣な目で見つめられて、思わず背筋が伸びた。

「〈マリアス〉という名前を聞いたことがあるかしら?」

「まあ、はい」

 一言で言えば、世界各国に根を張る巨大な怪盗組織だ。構成員は至る所に紛れ込んでいるとか。会社の社長だったり、政治家だったり、かと思えば道ばたで犬の散歩をしていたりね。盗むものは盗難品のみで、早い話が『取り戻す』だけ。ついでに汚職なり不正なりを暴くこともある、絵に描いたような義賊……らしい。

 全部テレビや新聞からの受け売りだ。さして興味もなし。ほぼ毎日のように話題になるから、なんとなく頭に入っているだけ。最近は、イタリアの地方都市にある美術館に現れて、また盗みを成功させたって聞いた。

「そのマリアスが、何か?」

「単刀直入に言うと、私はそのメンバーなの」

 え……?

 あまりのことに頭がまわらない。とても信じられなくて、ルークの方を見た。視線に気付いたルークは、ゆっくりと、確かに頷いた。

「本当だよ。ま、オレも去年知ったんだけどさ」

 去年?

 てことは、もしかしてミシアさんが二、三日で仕事に戻ってしまったとき?

「……そう、なんだ」

 ルーク、一年間も黙ってたんだ。……って、そんなのルークの勝手だよね。ミシアさんから口止めされていたのかもだし。

 でもそれならどうして今、私にもその話を?

 マリアスは当然、警察の捜査対象。自分がその一員だなんて、たとえ親しくても話さない方が良いに決まっている。

「それからもう一つ、大切な話があるの。実は、サクラさん……あなたのお母さんもまた、私たちの仲間だったの」

「え……」

 確かに、ミシアさんと同じで出張の多い人ではあった。だから、ここでお世話になることもあったし、シッターさんが来てくれることもあった。

 それは、怪盗組織の一員だったからなの?

「信じがたいのも分かるわ。でも、事実なの。そして今、こうしてお話しているのはサクラさんからお願いされていたからよ」

「お母さんから……?」

「ええ。サクラさんが亡くなる数日前にね。セーラちゃんが物事をちゃんと分かるようになったら、考えられるようになったら、本当の事を教えてあげて欲しいって」

 数日前って。しかも、その内容……。まるで、自分が死ぬのを分かっていたみたい。

 私のお母さんと、ルークのお父さんは、飛行機事故で亡くなっている。エンジンの故障らしくて、他にもたくさんの人が犠牲になった。当時、私は五歳だったけど、あの時の混乱はよく覚えている。出張から帰ってくる便でのことだ。あと二時間もすれば、数ヵ月ぶりにあえるはずだった。

 ずきり、としばらく忘れていた痛みがぶり返す。

「それでね、セーラちゃんにはマリアスに入ってもらいたいの」

「え?」

「もちろん、強制なんてしない。でも、セーラちゃんの身体能力の高さや、頭の回転の速さには目を見張るものがある。小さい頃からずっと見てきたわ。きっと、サクラさん譲りなのね」

 私が、マリアスに……。

 入ったら、知れるのかな?

 お母さんの事。私の知らない、お母さんの姿を。それから――。

 掌をぎゅっと握りしめる。息をゆっくりと吐き出して、気分を落ち着かせた。

「少し、考えさせて下さい」

 私は立ち上がりながら言った。情報量が多すぎる。色々な想いが頭をよぎっては消えていく。一人でゆっくり、考えたかった。

「そうね、よく考えてちょうだい。焦って結論を出すべきではないわ」

「はい。お邪魔しました」

 リビングを出ようとすると、ルークがドアを開けてくれた。そのまま玄関まで送るつもりらしい。薄暗い廊下に、二人分の小さな足音が響く。そういえば、ルークの足音も小さい。普段はバカ騒ぎしてるくせに。

 そうやって教えられてきたのだろうか。何も知らないうちから。ルークも、私も。

「オレはね、セーラ」

 玄関ドアの前に着いたとき、ルークは突然口を開いた。

「親がそうだからって、メンバーになる必要はないと思うんだ。盗むってのは、普通に考えたら、良くないことだしさ」

「ルークも、誘いを受けたんだよね?」

「ああ。それは昨日の話だけどな。もう自分で決められるでしょって」

「……どうするつもりなの?」

 誘いを受けたばかりで、どうするも何もないだろうけど。それでも、ルークの考えを聞きたかった。

「正直なところ、まだ悩んでる。後戻りできない選択だしな。でもさ、嫌なんだよ」

「何が?」

「大切なものを奪われて、悲しんでる人はもう見たくない」

 息を飲むほどまっすぐな目が、私を射貫いた。

「――そっか」

 ルークらしい。きっと、自分のお父さんと重ねてるんだ。それが物であれ、人であれ、大切なことには変わりない。悩んでるって言いつつも、心のどこかでは結論が出てるんだろうな。

 ルークは、誰かのために動ける人だから。

「まあ、あれだ。あんまり抱え込むなよ。相談くらい、のるからさ」

「気持ちだけ、受け取っておく」

「強気なお嬢さんがいるこった」

 うるさいなぁ。

 ヘラヘラと笑うルークに軽く手を振って、家を出た。意見を参考にしようと思ったけれど、撤回。あの人には一生、相談なんかしないんだから。

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