第9話

【残り生存者 3,570 人】


Hen は慎重に廊下を進んでいた。

手元を照らすのは携帯電話の弱々しい光だけ。

重苦しい建物の静寂を、遠くの叫び声が引き裂く。

まるで悪夢の残響が四方八方から押し寄せてくるかのようだった。


彼の頭には、紅の吸血鬼・Mary の言葉がよぎる。

「食堂の倉庫に、警備員がランタンを置いていたはず。必要になるわ」


頭の中で描いた地図を頼りに、ついに Hen は倉庫にたどり着いた。

扉は半開きで、その臭いが入る前に彼を襲った。


金属のような、重い匂い――血。


唾を飲み込み、扉を押し開けて引き出しを探る。

書類、道具、雑多な品々。

ひとつ、またひとつと開け、ついに見つけた。


「…ランタンだ」

スイッチを入れると、光が広がる。


そして彼は、光を点けたことを後悔しかけた。


床一面に広がる死体。

ここにいるはずの警備員たちは全員殺されていた。

深い斬撃痕、折れた首。

血が壁と床を染め、 grotesque な光景を作り出していた。


Hen の背筋に寒気が走る。

――そうか、これが真実か。

吸血鬼たちはまず警備員と教師を殺したのだ。

「ゲーム」を明かす前に支配権を奪うために。

当然だ。権力を奪えば、介入の余地はない。


考えながら引き出しを漁り、小さな弾薬ケースを見つける。

「弾丸…」彼はかすかに笑みを浮かべた。

「緊急用、ってところか」


慎重にポケットへしまう。

本能が告げていた――いずれ、たった一発が生死を分けると。


ふと目に入ったのは、隅に倒れている屈強な警備員。

厚手の制服。恐らく警備主任。

腰には鍵束がぶら下がっている。


「役に立つかもしれない…」

Hen が手を伸ばした瞬間――。


腕を掴まれた。


驚きで Glock の引き金を引きそうになる。

だがその警備員は、まだ息があった。


「…隣の…部屋…」

かすれた声が零れる。

「電話… まだ… 自家発電… カメラも…」


力が抜け、腕が床に落ちる。

今度こそ息絶えた。


Hen は喉の奥を詰まらせ、深く息を吐いた。

「…クソッ」


鍵束を握り、隣の部屋へ急ぐ。

震える手で何度も試し、やっと錠前を開けた。


部屋は暗闇に包まれていた。

ランタンの光を頼りに机を見つける。

そこに置かれていたのは古びた電話機。


わずかな希望が灯る。

――もしかしたら助けを呼べるかもしれない。


震える指で受話器を取り、番号を回す。

9… 0…


耳に広がる沈黙。

そして、音。


女の笑い声。

聞き覚えのある、Mary の声。


「ふふ…Hen…本当に甘い」

その笑いは針のように頭に突き刺さる。

「こんな“遊び”が、外の世界と繋がると思ったの?」


Hen は歯を食いしばり、受話器を折りそうなほど握りしめる。

「…そうか。回線ごと切られてるな」


受話器を机に叩きつけ、金属的な音が響く。

深呼吸しながら監視モニターに目を向ける。

非常電源で、いくつかはまだ稼働していた。


白黒の映像が点滅し、廊下や部屋の様子を映す。

Hen は操作盤を回し、状況を確認する。


そして――血が凍った。


モニターに映る影。

数人の人影が、こちらに向かって動いている。

走る者もいれば、ゆっくり歩く者も。

だが全員、この部屋に近づいていた。


Hen は目を閉じ、再び Mary の声が頭の中に響く。


「Hen…失望させないで」


彼は目を開き、モニターを凝視した。

もう選択肢はない。


逃げるか――それとも待ち伏せるか。


【残り生存者 3,570 人】

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