第2話

【まだ8,856人生き残っている。】

ヘンはトイレから出てきたが、心臓はまだ激しく鼓動していた。

鏡に映ったあの不気味な笑顔が頭から離れず、必死に「ただの幻覚だ」と自分に言い聞かせようとする。


しかし――廊下に足を進めた瞬間、異変に気づいた。

いや、異変どころではない。何かが完全に狂っている。


蛍光灯が不規則に点滅し、壁に奇妙な影を作り出していた。

普段なら学生たちの足音や声でにぎわう廊下が、今は――静寂に包まれていた。


その時、悲鳴。

長く、甲高い叫び声が前方から響く。


ヘンの体が凍りつく。

さらに別の悲鳴。続いて、また一つ。


彼はゆっくりと歩みを進める。すると床に赤い跡が――まるで誰かが引きずられたように血が smeared されている。


全身が震えた。

「これは…現実じゃない…そうだろう…?」


耳元に、誰もいないはずなのに甘く歌うような声が囁いた。

――「ふふ…可愛い顔してるじゃない。味も見た目どおりかしら?」


背筋に鳥肌が走る。

ヘンは考える間もなく駆け出した。まるで闇そのものが背後から追いかけてくるように。


教室のドアを開けたとき、彼が期待したのは混乱や恐怖の光景だった。

だが――そこには何もなかった。


教師は黒板に文字を書き、生徒たちは普通にノートを取っている。

雑談する者、あくびをする者。いつもの教室の風景。


ヘンは瞬きを繰り返す。

「……誰も、悲鳴を聞いてないのか? 血も見てない?」


震える足で入口に立ち尽くす彼に、教師の声が鋭く飛んだ。

――「ヘン。なぜそこに突っ立っている? また授業の邪魔をする気か?」


声が出ない。喉が張り付いて動かない。

その肩に重みを感じ、振り返ると――教師が立っていた。


「もういい加減にしろ。遅刻したかと思えば、今度は茶番か? 授業をコメディにするつもりか?」


「せ、先生…! おかしいんです。悲鳴が…血が廊下に…」


教師は大きくため息をつき、彼の頭を軽く叩いた。

「くだらん冗談はやめろ。次やったら退室だ。」


教室を見渡すと、皆の視線が突き刺さる。

クスクス笑う者、ひそひそ話す者、呆れて首を振る者。


胸が締めつけられる。

そんな中、唯一の救い――幼馴染のクリスタルと目が合った。

彼女の存在はいつだって安心をくれる。


震える声で呼びかける。

「クリスタル…出よう。何か悪いことが起きる。俺にはわかるんだ。」


教室に笑いが爆発した。

「頭おかしくなったんじゃね?」

「勉強のしすぎで壊れたな!」

「早く追い出せ!」


だが、クリスタルの瞳には――恐怖が宿っていた。

状況への恐怖ではなく、彼自身への恐怖。


「ヘン…君はもう普通じゃない。助けが必要だよ。」


心臓が止まりそうになる。


そこへ、クラスの不良が大声で笑った。

「聞こえただろ? さっさと席に戻れ、ピエロ。」


教室中が囃し立てる。

「戻れ! ヘン!」

「邪魔すんな!」

「バーカ!」


そして――。

あの甘い笑い声が、彼だけの耳に届いた。

――「ふふ…面白くなってきたじゃない。」


「最後の警告だ、ヘン。」教師の声は冷たい。

「今すぐ席に戻るか、出ていくかだ。」


ヘンの拳は震えていた。冷たい汗が首筋を伝う。

叫びたい、これは幻じゃないと訴えたい。

だが――決断する前に。


――バン!

教室のドアが吹き飛び、壁に叩きつけられる。


二人の異様な男が立っていた。

ヘンの血の気が引く。


教師が激昂して前へ出る。

「誰だお前ら! 授業を邪魔するな! さっさと出て行け!」


だが男の一人――短髪の無表情な男が教師の頭を片手で掴み、そのまま潰した。


骨の砕ける音。

血が床に飛び散る。

崩れ落ちる無残な死体。


一瞬の静寂。

そして爆発する悲鳴。


逃げようとする生徒たちを、もう一人の長髪の男が影のように切り裂いた。

あっという間に数人が肉片となる。


短髪の男が声を上げた。

「静かに。」


その一言に、全員が凍りつく。


「余計な殺しは望まない。だが――逃げれば殺す。叫べば殺す。逆らえば……殺す。」

彼は微笑んだ。

「さあ、遊ぼうじゃないか。」


短髪の男は生徒たちを見渡す。

「退屈してたんだ。だからゲームを考えた。――お前たちは一人を選べ。その者には最悪の死を与える。」


凍りつく空気。

「5分以内に選ばなければ……全員死ぬ。」


誰も動かない。沈黙。

そして――声が上がる。


「ヘン。」


振り返ると、クラスメイトが指を差していた。

「ヘン。」

また一人。

また一人。


次々と名前が繰り返される。

「ヘン。」

「ヘン!」

「ヘン!」


群衆心理。皆が彼を犠牲にしようとしていた。


短髪の男が笑う。

「誰がヘンだ?」


無数の指が彼を指す。

地面が崩れ落ちるような感覚。


「おやおや…人気者じゃないか。」


頭が真っ白になる。体は自分のものではないように。

そして――裏切りの刃。


クリスタル。

震え、涙を浮かべながら呟いた。

「……ヘン。」


心臓を貫かれる。

隣で不良が笑った。

「いい気味だ。さっさと死ねよ。」


教室は敵意で満ちた。罵声、笑い声、侮辱。


「クソッ! 死んでしまえ! お前らなんか死んで当然だ!」

「黙れ、カス!」


怒号が渦巻く。

短髪の男がヘンを引きずり上げ、まるで人形のように持ち上げる。

「来い。余計な真似はするな。」


震える体。だがそれは恐怖ではなく――怒りだった。

燃え上がる憎悪が、出口を必死に探していた。


短髪の男が笑う。

「フェーズ3の始まりだ。」


暗闇の奥で、金属音が響いた。


【まだ4,354人生き残っている。】

そして、本当の悪夢は今始まったばかりだった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る