第16話
翌朝、裏庭で早朝の澄み切った新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みます。そのまま上半身を反らし空を見上げると、なんだか淀んだ紫色に染まっています。この辺ではいつものことらしいのでもう気にしていません。が、青空だったらもっと気持ち良かっただろうと思わずにはいられません。
朝っぱらからなんだか微妙な心境になってしまいましたが、とりあえず正面にある大木を見据えます。何の木なのかはわかりませんが、ここに生えているということは恐らく立派な木なのでしょう。立派な木がどんな木を指すのかはわたしにもよくわかっていませんが、多分樹齢は数百年くらいだと思います。実際どうなのかはよくわかりませんけど、多分そんな感じがします。
「えいっ!」
掛け声とともに、力を込めた手刀で幹を叩きました。
「いったぁい!」
が、木には全くダメージを与えることはできませんでした。当たり前だと言われれば当たり前なのかもしれませんが、ステータスが上昇する代わりにとんでもなくまずい野菜を文字通り死にそうになるほど食べたのですから、ヒビくらいは入っても良いんじゃないですかと思わず声に出してクレームをつけたくなります。
「朝から精が出るな」
わたしが痛みに悶絶していると、どこからともなく魔王様が姿を見せてそう言いました。
……え?
「ど、どうして魔王様がここに……?」
あまりにも唐突すぎて疑問符が遅れて脳内に走ってきました。それと無言で小さな袋を渡されたので中身をこっそり隙間から覗いてみると、美味しそうなチョコレートが入っていました。これは是非とも溶けないうちに食べないといけませんね。
「バカンスを終えて帰ってきたのだよ。それと今の魔王は朕ではなく、そなたであるぞ」
「は、はい。そうですね」
気づけばもう明日には勇者が来てしまうようですし、いい加減わたしが魔王なのだと自覚しなければいけませんよね。そうですよね。
「この木を切ろうとしていたのか?」
魔王様はたった今わたしが叩いた木をぺしぺしと拳で感触を確かめながら尋ねてきました。
「はい……ですけどやっぱり難しそうで……」
「闇雲に力を込めても切れないのは自明だ。重要なのはいかに力を的確な場所に、的確な時機に当てられるか、それに限る」
わたしが落ち込みながら話すと、元魔王様は大木の周りをぐるぐる回りながら説明を始めました。
「肝心なのは単に腕力の強弱ではない。対象の弱点を見定めて、いかに有効な攻撃を繰り出せるかなのだ」
「は、はい」
「対象をよく観察し、力の伝わる部分を見つけるのだ。それを見極められたのならば、対象が拳に触れた瞬間に全力で――!」
元魔王様はそう言い、木の幹を手刀で思いっきり殴りつけました。そして――。
「ぐあああああああああああああ!」
思いっきり悶絶しました。
「なるほど、この木は切れない! 斧が必要だな! いい感じに切れる斧を持ってくるぞ!」
そしてこう結論付け、右手をさすりながら魔王城の中へ入っていきました。
……腰を痛めているただのおじさんにしか見えない情けない後ろ姿を見て、スリマ様が内心見下していた理由が今、何となくわかったような気がしました。
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