第14話 迫りくる邪悪

 レイはミナトを見送った後、実は単身後から警察省本部に来ていた。ミナトの実技試験を見物しようと楽しみにしていたからだ。


 筆記試験中は特にすることがない為、暇潰しにでもと古びた蛍光灯がチカチカと点滅している人気のない廊下を歩いていた。


 すると、横から聞き覚えのある低い声の女に名を呼ばれた。


「巡査か…」


 ニキータだ。ニキータもこの会場に来ていたのだ。近くの自動販売機で買っただろう缶コーヒーを片手に持って暇そうに腰を下ろしていた。


 そんな中レイは堂々と足を組んで茶色いロビーチェアに座るニキータにずっと不思議に思っていた素朴な質問をした。


「係長…どうして…。ミナトの試験を見に来てくれたんですか?」


 ニキータは缶を開けそっぽを向き温くなったコーヒーを流し込んだ。


「ふんっ。あのガキが試験に落ちてピーピー泣き喚く瞬間を見に来てやっただけだ。別に、私はあのガキが受かると思って推薦してない。あのレベルだったら3種ですら落ちる。たった1週間で何ができた?どうせあのオツムの弱そうなガキだ。テキストもほとんど手を付けていないだろう。それに、正直に言う。あの能力に突出しているものは何もない。自分でコントロールもできない業が、実技試験を通るとでも?…それに、仮に実技が駄目でも筆記で取れると思っているか?問題は4択とはいえ、やることは大人と同じ。あいつはまだ子供だ。ただの子供に何ができる!」


「じゃあ不合格前提で推薦したんですか!何故、そんな事しなくてはならないんですか!?」


「ああいう調子に乗っているやつは多少痛い目に合わせたほうがいい。現実知れって話さ…」


「…そんなあ!…で、でも、俺は見たんです。ミナトは力を持ってるんです!信じてください!きっとこれからの警察省の力になるはずです」


 警察省の力が必要なのは何故か。簡単だ。ライバル関係に当たる政府公認新捜査組織”公的安全情報局”。通称”情報局”が20年ほど前に統合政府の手によって設立し、それから捜査権力を掌握しつつある情勢にあった。


 年々、警察省に所属する専属能力者は減りつつある。人材は情報局に吸い取られ、揚げ句の果てには警察省から情報局へ栄転する者も少なくない。簡単に説明すれば警察省の人員不足だ。


「その能力とやらも試験官たちの前で見せなければ無いに等しい。それに、あんな調子に乗りやすい子供、成長したって足手まといになって怪我するか、運が悪ければ死ぬだけだ。そもそも第3種能力者なんざ名前だけの雑用係だからな。じゃあ巡査、逆に質問だ。…前々から疑問だったが、何故あいつにそこまでこだわる」


「それは…」


 レイはこの3文字以上言葉が出てこなかった。何故誘ったのか。なんとなくと言えば、なんとなくだったのかもしれない。


 言葉に詰まりただ立ち尽くすレイを横にニキータは悠々と去っていった。


※ ※


 試験終了後、試験室から重い足を引きずって出る花之木と僕の2人は深い深いため息をついた。


「私、全然ダメだったよ…」


「全然分かんねえ…。僕も1問もわかる問題がなかった…」


「いや、1問もわからなかったはないかな」


「え…?」


 いや、大丈夫。大丈夫だ須藤ミナト!ここから実技で高評価をもらえれば筆記が解けなくとも合格する!まあ、そんなの問題が解けなかった僕への慰めでしかないけど。


 だけど、花之木に大丈夫かな。先ほどからすごく顔色が悪い。試験中、僕は花之木の2席隣りに座っていたが、途中から彼女の様子がおかしかった。右手でペンをずっと回して、苛ついていたのか左手で机をカリカリと爪で削っていた。


 そんなに専属能力者になりたいんだろうか。だけど、穏やかな花之木があんな顔をするなんて。その表情はどこか、背後に取り付く亡霊に操られているみたいだった。


「ささっ、切り替え切り替えっ!」


 僕は根性を入れ直し頬を両手でパンパンと叩き目を覚まさせた。


 けれど、横にいる花之木は遥か宇宙の彼方から彗星がこの地球に衝突する人類最後の日のような顔をしていた。


「おい、花之木。大丈夫か?さっきからずっと顔色悪いけど」


「えっ、そう?わ、私、喉乾いてるのかも。試験中も汗ばっかり出ちゃって…」


「そうか、あんまり無理すんなよ。じゃあ下の自動販売機で水でも買ってきたらどうだ?」


「あ、うん。じゃあ…。ありがたくそうさせてもらおうかな?」


 すると、廊下の端に覚えのある狐のような目つきをした女が腕を組んで立っていた。


「て、ババアッ!」


 げ、戸越のババアか。何でこんな所まで来てるんだ。仕事じゃないのかよ。僕はまたキツい口調で嫌味を言われるかもしれないと考えると、気分の悪そうな花之木より先にゲロを吐きそうだ。 僕も花之木と一緒に水買いに行ってこようかな。


「あの人?ミナトが言ってたおばさんって?ババアババアってずっと言っているからもっと年取ってる人かと思ってたんだけど、すごく綺麗な人だね。スタイル良いし」


「いやいや、よく見てみな。小ジワばっかりだから。それに、垂れ始めた乳丸出しのスーツ着てさぁ、恥ずかしくないのかっての。性格もドギツイから万年独身で…」


「丸聞こえだ…」


 老化に逆らえずそろそろ難聴も発症している年頃かと思っていたが、耳の方はまだ健康らしい。


「あぁ、聞こえるように言ってやってんだよーだっ!というか何でここにいるんだよ!」


「貴様の恥さらしな姿を見にわざわざ八王子からここまで来てやったんだ。感謝しろ」


「ちぇー。そーゆー嫌味っぽいところが鼻につくからいつまで経っても結婚できね〜んだよ!お・ば・さ・ん」


「しつこいぞ!彼氏の1人や2人くらいいたことぐらいあるっ!」


「さー、それはどうかなー。あんたが誰かと一緒に遊んだりするところ見たこと無いって言ってたよ。レイがねー!」


「巡査…余計なことを言いやがって…。もういい。知らん。勝手にしろ!」


 ババアを笑い転げそうになりながらからかってるとゲンコツを一発食らわされた。


「いたあっ!」


 作戦成功。そしてババアは、ここから消えてしまいたいという顔をしながら無言でスタスタと去っていった。


 そんな中、花之木は後ろでクスクスと笑っていた。その表情は柔らかで、天使みたいだ。


「ウフフフ…。ミナトとあの人って仲良いんだね。なんだか本当の親子みたい」


 仲が良いって彼女は言うが、どうだかな。仲が悪いの間違いだろう。


「そ、そんなわけねーだろ!気持ち悪いこと言うなよなー。寒気がするぜ」


「でも、こんなに笑ったの久しぶり。じゃあ私、水買ってくるね」


「おう。ここで待ってるぜ」




※ ※




 花之木は、仄暗い廊下の脇の自販機で100リョウの水を買い、ガブガブと、吐きそうなほどに勢いよく飲み干した。


 そんな花之木に背後から悪魔が近づいてくる。カツ、カツとゆっくりかつ堂々とこちらに近づいてくる。


「花之木…。来てやったぞ…」


 妖艶で大人っぽくもどこか無垢な子供のように幼く、そして男と捉える事もできるし女とも思えるこの中性的な声が耳元で囁いている。だが、重みがある。数々の戦場を駆け抜け人を何人も殺してきたような冷たい声。この人間を超越した声の持ち主が誰なのか花之木は瞬時に悟った。


「イライザ…様…!」


 イライザ。それは、世界的アンドロイド犯罪組織『亜人連合』の最高指導者であり創設者。また、世界最強のアンドロイド。


 高いカリスマ性で組織に従事するアンドロイドからは人気を誇っているが、その性格はまさに残虐非道。表舞台に素顔を表すことはほとんどなく、下っ端である花之木は顔も爪の先も髪の毛一本でさえ見たことない。そもそも流暢に重みのある言葉を使いこなすものだから勝手に人型だと錯覚しているが、そうであるのかすらも分からなかった。それにしてもこんな下っ端のために本人が直接来るものだとは思わないでいたので酷く胃が痛くなった。後ろからはとてつもない殺気を感じ身震い1つすら許されない。


 しようものなら、その瞬間首を斬られる。


「試験には受かるのか…?」


「は、はい。この調子でしたら、必ず受かります…」


 本当は受かる気が一切しない。正直に否定したい。ごめんなさいごめんなさいって、鼻水垂らしながら謝って。それで許されるんだったらいくらでも謝る。しかし、この方の前では”はい”か”できます”と言わなければ殺される。花之木は、それが言われなくとも醸し出す雰囲気ですぐ分かった。


「貴様の父親も”部屋”で助けてくれと毎日嘆いているぞ。この前は、爪を剥がされて泣き叫んでいた。早い所、助けてあげないとな。花之木…」


 花之木はイライザから漂う黒い恐怖の束縛に包み込まれ喉が石のように固まり一言も発せずにいた。そして、父が苦しんでいるというのにイライザへ立ち向かうことも、この試験に合格することすらできないやるせなさ。


 花之木はこの感情をどうすればいいのか分からなかった。


 過呼吸状態に陥りこの短期間で冷たい汗が何滴も膝に滴り落ちる。胃からとてつもない吐き気が襲う。指が思う様に動かず痙攣を起こす。


 すると、イライザは花之木の肩に氷の様に冷たく軽い手をそっと置いた。恐怖で後ろを振り返れない。生物的本能で殺されると察知した。


「”必ず”受かるんだろう?貴様の父親も楽しみにしているぞ…」


 そう花之木の耳元で息を吐くようにそっと囁くとそのまま薄い霧のように去っていった。しかし、決して後ろは振り返らなかった。


 この頃の花之木には、イライザが何者なのか。その暗部まで探りを入れる勇気はなかった。

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