羊飼いの少女 #6

 降り始めた雨の中、アンバーがクロムに背負われて帰ってきたのを見て、村長と老婆は大変驚いた。

 ラーセンが、大事はないが、アンバーを寝かせる寝床を用意して欲しいと伝えると、老婆はあたふたと家に戻った。

 アンバーをおぶったクロムも、その後に続く。


 その場に残った村長に、ラーセンは小屋の近くで起こったことを手短に説明する。

 そして、アンバーを危ない目に合わせてしまったことを謝罪した。


「結果的に、大事なお孫さんを危険な目に合わせてしまい、申し訳なかった」

「いやいや、お話を聞く限りは、あの子の独断だったようじゃし、謝罪には及びませぬ」


 話を最後まで聞き終わった村長は、ラーセンにお辞儀をした。

 その後ろでは、荷車に載せたリーダーウルフを、オリーブがポンポンと叩いていた。


「村長さん、この子、どうしましょう?」

「とりあえずは、わしの家の庭に置いておいてもらえんかの。あとで、捌けるものを呼んでおくでの」

「わかりましたわ、村長さん」


 オリーブは、リーダーウルフを載せた荷車をガラガラと押していった。

 村長とラーセンは、その姿を目で追う。

 やがて、村長の家の軒先を曲がり、オリーブが見えなくなったところで、村長はもう一度ラーセンに向き直した。


「色々お話ししたいこともあるが、疲れておられるじゃろう。まずは体を休められよ」

「助かる」

「今後のことについては、食事の時に話をさせてもらえんじゃろうか」

「了解した」

「アンバーにも、聞きたい話があるでの」


 そういうと、二人も家へと歩き出した。

 雨は、少し激しさを増し始めた。


 寝床に寝かされたアンバーは、夢を見ていた。

 大好きだった魔法使いのおじいさんが、そばにいた。

 おじいさんは杖を取り出すと、地面に魔法陣を描いた。

 すると、みるみる草が生え、そして花が咲いた。

 アンバーが喜んで、パチパチと手を打つと、おじいさんはさらに魔法を描く。

 今度は、羊や牧羊犬が現れた。

 アンバーは、羊たちに歩き寄ると、その体を抱きしめた。

 ふと振り向くと、おじいさんはアンバーを置いて歩き出していた。


「待って、おじい!」


 アンバーはそう言って、おじいさんを追いかけようとする。

 しかしなぜか足が動かない。


「待って!」


 もう一度呼びかけると、おじいさんは足を止めて振り向いた。

 そして、何かを告げるように口を動かす。

 しかし、なんと言っているかはアンバーには聞こえなかった。


「何、おじい、聞こえないよ。どこにいっちゃうの」


 遠ざかる魔法使いのおじいさんの背中を見て、泣き出しそうになったアンバーは、ハッと目を覚ました。

 目の前には、心配そうな顔で覗き混んでいるクロムの顔があった。


「アンバーちゃん、目を覚ましたのねー!」


 たまらずぎゅっと抱きつくクロム。

 涙目になりながら、アンバーの無事を確認するが、そのアンバーは手足をジタバタさせている。


「クロちゃん。そのままアンバーちゃんを抱いていると、せっかく目が覚めたのに、そのでっかい胸の中でまた眠っちゃうわよ。永遠にね」


 オリーブの笑えないジョークを聞いて、クロムはハッと手をあげる。

 そして、息苦しくてぼうっとなっているアンバーの目を見て話しかける。


「今日は本当にありがとう。あそこにアンバーちゃんがきてくれなかったら、私、どうなっていたことか」

「いえ、それほどのことは」

「それよりも、あの魔法、すごかったなあ。あれはどういう魔法なの」

「あれは……」


 クロムにそう聞かれて、アンバーはさっきの夢の内容を少し思い出していた。


「あれは、おじいに教えてもらった、生き物の動きを制限する魔法」

「はー、そんな魔法がこの世にはあるんだ。勉強になるなぁ。ねえねえ、あの杖はアンバーちゃんのもの?」

「うん、おじいからもらった」

「すごい大きいけど、どうやって……あ痛!」


 矢継ぎ早に質問をしようとしていたクロムの脳天に、オリーブが手刀を食らわせる。


「痛ーい。何するんですか、オリーブさん」

「アンバーちゃん、疲れているでしょう。そんな時に質問するんじゃないの」

「だって、オリーブさん。仲良くなったら質問してもいいって」

「質問していい時っていうのがあるの」


 またも理不尽なことを言われたと思って不貞腐れているクロムの手を引くと、オリーブはアンバーに声をかけた。


「疲れているところ、ごめんねぇ。ゆっくり休んでちょうだい」


 そういうと、オリーブはクロムを連れて部屋を出た。

 二人と入れ違いに、老婆が部屋に入ってきた。

 老婆はゆっくりと歩くと、先ほどまでアンバーを介抱していたクロムが座っていた丸いすに座った。

 そして、アンバーの手を握ってにっこりと微笑んだ。

 アンバーは、少し俯きながら老婆に話し始めた。


「さっき、夢を見てた」

「はい」

「夢の中で、魔法使いのおじいが出てきた」

「おや、懐かしい」

「おじいは、花を咲かせたり、羊たちを出してくれたりしたの。でも、気がついたら、私から離れていっちゃったの」

「おや」

「ねえ、おじいはなんで、この村を出ていっちゃったの?」


 さっきの夢を思い出して、また少しアンバーは涙目になる。

 そんなアンバーの頭を、老婆は優しく撫でてあげた。

 そして、当時を懐かしむかのように目をつぶり、そしてアンバーの質問に答える。


「きっと、魔法使い様には、何かやらなければならないことが、できたんでしょうねぇ。でも、きっとアンバーのことはまだ好きでいると思いますよ」

「そうかなあ」

「ええ、きっと」


 老婆にそう言われて、アンバーは少し気持ちが落ち着いてきた。

 その時、アンバーのお腹が、くぅ、と鳴る。

 思わず、顔を赤らめるアンバー。

 老婆は、もうすぐ夕食を作るので、しばらく部屋で待っているといいと伝えた。

 そして老婆が部屋を出て、アンバーは一人になった。


 アンバーは、部屋に隅に立てかけてある大きな魔法の杖を手に取った。

 これは、魔法使いのおじいさんが、アンバーが八つの時に渡してくれたものだ。

 今でも随分と大きいが、当時のアンバーには明らかに大きすぎた。

 それでも、大好きなおじいさんがくれた魔法の杖は、格好の遊び道具になった。

 少し大きくなると、おじいさんは色々と魔法の使い方を教えてくれた。

 楽しかった時、悲しかった時、この杖はいつもアンバーの隣にいた。


 そのおじいさんが村を出てからは、滅多なことでは魔法を使うことは無くなった。

 このまま羊飼いとして、この村でずっと暮らしていくんだと思っていた。

 しかし今日、クロムたちが魔物に襲われているのを見て、助けなければという気持ちが湧き上がり、アンバーに再び魔法を使う機会を与えた。

 その時の高揚した気分は、今でも胸の中に感じることができる。


(わたし、魔法を使うのが好き。だから、おじいに会って、また魔法を教えてもらいたい)


 期せずして、胸中にしまい込んでいた魔法への思いが、溢れ出てしまったアンバー。

 今までは、一人では何もできないと思って諦めていた、思い。


(でも、みんなと一緒なら、もしかして……)


 そんな葛藤をしていると、階下から、料理ができたという声が聞こえてきた。

 呼ばれるがままに階段を降りると、アンバー以外のメンバーは全てテーブルの周りを囲むように座っていた。


「アンバーちゃん、私の隣に座らない?」


 クロムがアンバーに声をかける。

 アンバーは、おずおずとクロムの隣に座った。


「あれ、アンバーちゃん。なんで魔法の杖を持ってきたの?」

「えっ?」


 クロムの問いかけにアンバーは驚いて自分の手元を見る。

 そこには、魔法の杖が握られていた。

 思わず杖を持つ手がぎゅっと強くなり、そして顔を赤くする。


「あ、こ、これは、何か考え事を、していたら、つい」

「あはは、しっかりしていそうなアンバーちゃんでも、そういうことあるんだ」

「クロちゃんは、しょっちゅうぼーっとして失敗してますけどね」

「オリーブさん、うるさい」


 クロムとオリーブが、いつもの掛け合いを始める。

 そんな二人のやり取りを、村長は咳払いをして中断させる。

 斜向かいに座ったアンバーに目を向け、村長は話し出す。


「アンバー、今日はウルフに襲われたみなさんを、助けられたとか」

「は、はい」

「その時に、魔法を使ったとも聞いたが」

「使いました」

「そうか、魔法は上手に使えたか」

「久しぶりだったけれど、上手に使えました」


 村長は、そうかそうか、という表情でアンバーが答えるのを見ていた。

 そして、ずいっとアンバーを覗き込むようにして、最後の質問をする。


「おばあから、魔法使い様の夢を見たと聞いたが、もう一度会いたいか?」


 えっ、とアンバーは驚き、村長の顔を見直した。

 なんでそんなことを聞くんだろう。

 アンバーは、村長が何を考えているのか分からなかった。

 だから、自分の素直な気持ちを答えることにした。


「はい。もう一度会いたいです」


 村長は、その答えを聞くと、老婆を見た。

 老婆は、にっこりとただ笑ってうなづいた。

 老婆の意思を確認した村長は、ラーセンに声をかける。


「お聞きの通りですじゃ。もしよろしければ、皆様の旅にアンバーを連れていっていただき、魔法使い様とお会いできる機会を、作ってはもらえんじゃろうか?」


 突然話題を振られたラーセンだが、あらかじめ予期していたかのように答える。


「ああ、問題ない。俺としても、その魔法使いとは、一度会って話がしてみたい」


 アンバーが驚いたように、村長と、そして老婆を見る。

 二人はニコニコと、アンバーの様子を見ていた。


「でも、私がいなくなっちゃって、大丈夫? 羊の世話とか、いろいろ」

「心配せんでも大丈夫じゃ。手伝ってくれる村の人が、何人かおるでのう」

「アンバーや。魔法使い様も、大きくなったら村を出よ、と言われておられたんよ」


 アンバーの質問に、村長と老婆は心配いらないと答えた。

 クロムが、アンバーがどんな返事をするのかと、心配そうに見ている。

 アンバーは少し考えたのちに、ラーセンに向かって頭を下げる。


「ふ、ふつつか者ですが、よろしく、お願いします」


 その返事を聞いたクロムは、またしてもアンバーに抱きつく。

 手足をバタバタさせるアンバーを救出するために、オリーブが再度手刀を繰り出す。

 うぉ、っと変な声を出すと、アンバーを抱えていた手を解き、その手でクロムは頭を抱えた。


「今日はアンバーの門出となるめでたい日。たくさん食べて、たくさん飲んで下さい」


 そういうと、村長はさあさあという感じで、クロムたちに食事を促す。

 クロムは、出された食事を美味しそうに食べ始める。

 オリーブは、そんなクロムを見物しながら、前菜をつまむ。

 ラーセンは、お酒を飲みながら、村長と話をしている。

 こんな個性的なメンバーと一緒に旅ができるのかと思うと、アンバーから思わず笑みがこぼれる。

 そのこぼれた笑みを、老婆は喜んでみていた。


 二度目の宴が終わった翌朝は、雨がすっかり上がっていた。

 太陽に照らされた山の背からは、アンバーの旅立ちを祝福するかのように、うっすらと虹が出ている。


「アンバーちゃん、出発するよー」

「はい」


 すっかり旅支度を整えたクロムが、アンバーに呼びかけた。

 村長と老婆の二人と話していたアンバーは、振り向いて返事をする。

 老婆は、両手を開いて、おいでとアンバーをうながす。

 誘われるようにアンバーは、老婆に体を預けると、老婆はぎゅっとアンバーを抱きしめた。


「体には、十分気をつけてな」

「はい」

「みなさんに迷惑をかけんよう、頑張るんじゃぞ」

「はい」


 老婆と村長が変わるがわるアンバーに声をかける。

 十分に別れを惜しんだアンバーは、老婆から離れると、魔法の杖を持ち直して二人の前にたった。

 そして深々とお辞儀をして、挨拶をする。


「今まで育ててくれて、ありがとう」


 そういうと、さっと振り向きクロムの元へ走り出した。

 並んで歩く四人を見て、村長と老婆は、少し早めのアンバーの独り立ちを喜びつつも、ほんの少しの寂しさも感じていた。

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