羊飼いの少女 #5

 ラーセンの見積もりでは、襲ってくるウルフは八匹ほど。

 リーダー格のウルフは、群れの後ろの方で戦況を眺めている。

 リーダーが吠えるたびに、四匹ずつのウルフが襲いかかってくる。


「慌てなくても大丈夫だ。引きつけてから、魔法を放て」


 ラーセンの指示に従って、クロムとオリーブは襲ってくるウルフに対応する。

 クロムは初級火魔法を、襲ってくる中で一番大きそうなウルフに向けて打つ。

 残りのウルフたちには、オリーブの初級水魔法が放たれる。

 ウルフたちは、至近距離で放たれた魔法に怯んで一旦引くが、リーダーの咆哮に合わせて再び襲ってくる。


「なかなか頑張るわね、ウルフちゃんたち」

「ああ。リーダーがいなければ、とうに逃げ出しているはずだ」


 魔獣との戦いの経験があるラーセンとオリーブは、比較的冷静に状況を把握できていた。

 しかしクロムは、防戦一方の状況に、少し疲労感を感じ始めていた。


「師匠。前にボアを倒す時に出してくれた古典魔法。あれって使えないんですか」


 クロムは、自身の初級火魔法に、ボアの心臓を貫く威力を付与してくれた、ラーセンの古典魔法について聞く。

 ラーセンは、新たに襲ってこようとしている、次のウルフの群れを見据えながら答える。


「使いたいのは山々なのだが、ウルフの数が多すぎる」

「どういうことですか」

「ウルフの群れは、仲間が倒されると、復讐心によって凶暴さが増す」

「ええっ!」

「だから、我々には敵わないという圧倒的な差を見せつけた上で、追い返すのが最も安全な対処方法なのだが……」

「なんですか」


 クロムの疑問に、オリーブが答える。


「あそこにいるリーダーが、撤退を許してくれないのよねえ、ウルフちゃんたちに」

「じゃあ、リーダーを狙えば……」

「それが、結構賢いのよね、あのリーダーのウルフちゃん。あたしたちの攻撃のギリギリ届かないところにいるのよう」

「じゃあ、手詰まりってことですか?」


 クロムが問いかけると、ラーセンとオリーブは、顔を見合わせる。


「そこまでピンチじゃないですよね、ラーセンさん」

「ああ、打開策がないわけではない」


 二人の表情にそれほど危機感がないことを見て、ややクロムは安心する。

 しかしだからと言って、次々に襲ってくるウルフに対峙していると、だんだんと気力が削がれくる。

 いつ、魔法を打ち損ねてしまうかもしれない。

 そう思うと、早くこの状況を解決したいとクロムは思い、重ねて尋ねる。


「じゃあ、その作戦を教えてください」


 ラーセンは、クロムを見る。

 魔獣との戦いに不慣れなクロムの表情に、少しずつ疲労感が出てくるのを見ると、あまり長引かせることはできないとラーセンは判断する。


「作戦はいくつかある。が、どれも大なり小なりリスクが伴う。どの作戦が使えそうか決めるので、あと少しだけ頑張ってくれ」

「期待してますよ、師匠」


 リーダーをなんとかしない限り、戦況を覆すことはできない。

 ラーセンは、そう見切っていた。

 しかし、襲ってくるウルフたちの間をぬって、リーダーに近づくのは容易なことではない。

 ウルフたちの動きを止めるためには、何をするべきか。


 そう考えていたラーセンの思考を、クロムの思わぬ言葉が遮った。


「アンバーちゃん!!」


 小屋の反対側から、アンバーが現れたのだ。

 手には大きな杖を持っている。


「なんでここに?!」

「雨が降るかもと思って、羊たちを連れて帰る途中、み、皆さんが襲われているが見えて……」

「私たちは大丈夫だから、アンバーちゃんは、来た道を戻って帰って…… て、アンバーちゃん、何を始めるの?」


 アンバーは、大きな魔法の杖を持つと、詠唱を始めた。

 その声は、普段のアンバーからは想像できないくらい深く、そして静かな声だった。

 声に合わせて、杖を振るうと、クロムたちを囲むように、シンプルな魔法陣が一つ描かれる。

 その中にさらに魔法陣を描くと、元の魔法陣が押し出されるように大きくなる。


「すごい。これがアンバーちゃんの魔法……」


 クロムが見とれているうちに、アンバーの描いた魔法陣は幾重にも重なり、襲ってくるウルフたちに届いていた。

 アンバーは詠唱をやめると、杖をデッキに、どん、と打ちつけた。

 それが、魔法陣を発動させる手順だった。

 まるで地面から光が立ち上ったかのように、地面に描かれたアンバーの魔法陣が白く光り出した。

 それに合わせ、クロムたちを襲っていたウルフたちが、苦しそうに地面にうずくまる。


「しばらくは、ウルフたちは動けません。リーダーを、お、お願いします」


 大きな杖を握りしめたまま、アーバンは、ラーセンに頼む。

 ラーセンは、大した子だとアンバーを見ながら、返事をする。


「了解した。何か、リクエストはあるか?」

「あ、あの……」


 アンバーは、言いにくそうに少し言い淀んでから、答えた。


「け、毛皮が欲しいので、あまり痛めないように……」

「分かった」


 この状況で、倒した後のリーダーの毛皮に注文をつけるなんて、こう見えて意外と度胸があるな。

 ラーセンは、ますますアンバーのことを見直した。

 そして、まずはオリーブに指示を出す。


「オリーブ」

「はい」

「アンバーの近くで、彼女のサポートを。万が一動けるようになったウルフが襲ってきた時には、アンバーを守ってくれ」

「もちろんよう。こんな可愛いアンバーちゃんには、爪の一本も触れさせないわ」


 次はクロムだ。


「こちらはリーダーを倒すぞ」

「はい」

「二人でリーダーの近くまで近づく。合図をしたら初級火魔法だ。覚えているか、ボアの時の状況を」

「もちろんです」


 クロムとオリーブは、リーダーに向けて駆け出した。

 アンバーの魔法で動けなくなっているウルフの横を通り抜け、一直線にリーダーに向かっていく。

 走りながらクロムは、初級火魔法の魔法陣を描く。


「できました。いつでも打てます」

「こっちもだ。リーダーの動きをよく見ろ」

「はい」


 急にウルフたちが動かなくなり、リーダーは混乱していた。

 そして、こちらに近づいてくる人間を見て、冷静さも失う。

 この人間は倒さなければならない、そう思ったのか、リーダーはクロムたち目がけて突進してきた。


「来ました」

「ボアの時と同じだ。しっかり狙え」

「はい」


 クロムは、魔法の杖をリーダーに向けて、狙いを定める。


「今だ!」


 ラーセンの合図とともに、魔法陣を発動させる。

 クロムの描いた魔法陣に、ラーセンの描いた魔法陣が作用すると、ハルモニー効果により新たな魔法陣が現れる。

 新たな魔法陣から火矢が放たれると、次の瞬間にはその火矢はリーダーの心臓を貫いていた。

 何が起こったかわからないまま、リーダーは足をもつらせ、そしてクロムとラーセンの目の前に音を立てて倒れ込んだ。


「や、やった……」


 緊張の糸が切れたクロムが、その場にへたり込む。

 小屋の方から、オリーブの声が聞こえてきた。


「こちらはどうすればいいですかー」


 ラーセンは振り向くと、オリーブとアンバーの方へ歩き出した。


「魔法はもう解除しても大丈夫だ。ウルフたちを支配していたリーダーがいなくなったので、おそらくは逃げ出すはずだ」

「わかりましたー」


 オリーブがアンバーに説明すると、アンバーは軽く杖を二度叩いた。

 すると、地面に描かれた魔法陣は消え、ウルフたちは自由になる。

 ラーセンのいう通り、リーダーを失ったウルフたちは、散り散りに逃げ出していった。

 それを見届けたアンバーは、突然に疲労に襲われたかのように、気を失ってしまう。

 倒れ込むアンバーを、オリーブが危機一髪で抱え込む。

 その姿を見たクロムは、立ち上がって走り出す。

 ゆっくりと歩いているラーセンを追い越すと、アンバーの元でしゃがみ込む。


「アンバーちゃん、大丈夫?」

「心配ないわよう。多分、慣れない魔法を使ったのと、ウルフを見た恐怖で、一気に疲れが来ただけよ」

「だといいんだけれど」


 安堵の気持ちを浮かべたクロムに、ようやくラーセンが追いついた。


「ウルフたちも逃げ出したし、危険は無くなった。雨が降り始める前に、村に戻ろう」

「私が、アンバーちゃんをおんぶしていく」


 クロムは、せめてそれくらいはしたいと、アンバーをおぶる。

 アンバーは、吐息を立てて寝ていた。

 それを見て、ようやくクロムは安心した。


 ラーセンは、振り返ると遠くに倒れているリーダーを見た。


「さて、俺たちはあのリーダーを連れて帰るか」

「結構大きいわね」

「さっき、部屋の中から外を見たときに、物置小屋が見えた」

「なるほど、何か運べるものがあると、いいわね」

「ちょっと見てきてもらえるか? 俺はリーダーをここまで連れてこよう」

「はあい、任せて」


 物置小屋から出した手押しの荷車のようなものに、ラーセンとオリーブがリーダーの死体を載せるのを眺めながら、クロムは歩いていた。

 背中で寝息をたてるアンバーの重みを感じながら、山道の方へ戻っていく。

 山道では、羊たちと牧羊犬が、アンバーの帰りを待っていた。

 クロムに背負われたアンバーの姿を見た牧羊犬が、オーンと鳴いた。


 一行が村についたのと、ほぼ同じくらいに、雨が降り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る