羊飼いの少女 #4

 クロムがアンバーと、少し仲良くなれた日の次の朝。

 昨日と同じように早起きをしたクロムは、身支度をすると朝の散歩に出かけた。

 羊小屋では、アンバーが羊に水をあげている。

 クロムは、アンバーがこちらに気付いたところを見計らって、声をかけた。


「おはよう、アンバーちゃん」

「おはよう、ございます、クロムさん」


 相変わらず口数は少ないが、昨日までと違って緊張している雰囲気は、アンバーにはなかった。

 挨拶をするとアンバーは山の方を眺めた。

 昨日と違い、青空は見えず、代わりに黒っぽい雲が空を覆っていた。

 風も心なしか、昨日より強く吹いているようだ。


「今日は天気が悪そうだけど、羊たちは連れていくの?」

「雨が降らなければ……」

「そっかあ。今日は師匠と一緒に、昨日教えてもらった小屋に行くの。だから一緒に行けなくて残念」


 クロムがあの小屋に行くと聞いて、アンバーはちょっと表情を曇らせる。


「あれ、アンバーちゃん。何か気になった?」

「あ、いえ。なんでも。でも気をつけてくださいね」

「ありがとう。魔獣が出るとも聞いたんだけど、私たち魔法が使えるから、多分大丈夫」

「そう、ですか」


 何かちょっと伝えたいことがあるようなアンバーだったが、すぐに思い過ごしだろうと自分に言い聞かせて、ニコリとクロムに笑いかけた。

 その笑顔がたまらなく可愛く思えたクロムは、思わずギュッと抱きしめそうになって、しかしすんでのところで思いとどまる。

 代わりに腕にこぶしを作りつつ、まかせて、というアピールをする。

 そして、アンバーと並んで家に帰っていった。


 朝食は、黒パンに魚の燻製。それにピクルスなどの野菜の付け合わせ。

 クロムは、こんな街から離れた小さな村なのに、色々と美味しい食事が出てくることに、感心していた。

 それが顔に出ていたのか、老婆がクロムに話しかけた。


「美味しいかえ」

「ええ、とっても」

「何せ、こげな小さな村の食事だでの。街で美味しいもん食べとるみなさんのお口に合うもんかと、少し心配しておったんじゃ」

「そんなことありませんよ。とても美味しいです」


 クロムがとても美味しそうに燻製を口にすると、珍しくラーセンも話に入ってくる。


「確かに。これほど街から離れたところで、このような豊かな食事が食べられるのは、驚きだ」

「これも、魔法使い様に教えてもらった、知識だでよ」


 老婆はそういうと、魔法使いが保存の効く調理方法を色々教えてくれたことを、説明する。

 その話を聞くだけでも、ここに住んでいた魔法使いは、村のために魔法だけではなく、さまざまな知識を提供していたことが窺われた。

 クロムはふとアンバーの方を振り返る。

 アンバーは、少し懐かしげに、そしてほんの少し得意げに、老婆の話す魔法使いの話を聞いていた。


 食事を終えると、アンバーは山に出かける準備を始める。

 村長がアンバーに、天気が崩れそうな時は早めに帰ってくるようにと諭す。

 アンバーは無言でうなづくと、家を出ていった。


「さーて、私たちも、出かける準備をしましょ」


 オリーブの掛け声で、クロムたちも出かける準備を始める。

 普段持ち歩いている荷物に加えて、簡単な雨具も魔法のカバンの中に突っ込んでおく。

 そして、万一のために少しの干し肉も入れておく。

 こんなものでも、万一山の中で迷ってしまった時に、生死を分つこともあるのだ。


「クロちゃん、ケーキはだめよう」


 オリーブは、旅の最初のタイミングで、クロムが魔法のカバンにケーキを入れたことを揶揄する。


「もう、いつまでそれ引っ張るんですか?」

「習慣とは、繰り返しいうことで定着するのよ」

「もう、ベッタリ張り付いてますよ」

「どうかしらねえ」


 そんな二人のじゃれ合いをしばらく見ていたラーセンは、カバンを背にしょうと、出かけるぞ、と首で外を指し示す。

 三人は、毎朝アンバーが山に行くときに使う道を辿りつつ、魔法使いが住んでいた小屋に向かって進み始めた。


「そういえばクロちゃん。アンバーちゃんから魔法の話を聞いたのよねぇ」


 歩きながら、クロムはアンバーから話しかけれた。


「ええ。アンバーちゃん、その魔法使いの人から魔法を教えてもらったって、言ってたわ」

「それって、どんな魔法か聞いた?」

「ううん、聞いてない」

「もう、使えないわねえ」

「だって、根掘り葉掘り聞かない方がいいって言ったのは、オリーブさんですよ」

「もう仲良くなったんでしょ」


 全くオリーブは理不尽だ。

 そんなことを思いながら、クロムはアンバーの持っていた杖を思い出していた。

 アンバーには明らかに大きすぎる杖。

 あの杖を使って、アンバーはどんな魔法を使うのだろうか。

 クロムは、この滞在中にアンバーが魔法を使うところが見られればいいのになあ、と思っていた。


 しばらく歩くと、クロムは見覚えのある場所にやってきた。


「ここです。昨日アンバーちゃんに教えてもらったところは。ほら、あっちに小屋が見えますよ」


 そう指差すと、その先には小さいけれども、しっかりとした作りの小屋が、遠くに見えていた。

 ラーセンは、村長に教えてもらった小屋や周りの特徴と、今見えているものを比較する。

 そして、おそらくあの小屋が、目的地だと結論づける。

 一行は、山道を外れ、遠くに見える小屋の方へ歩き始めた。

 ゴツゴツとした岩肌は歩きづらく、ラーセンは時々足を取られて転びそうになる。

 しかし、なんとか小屋の近くまでたどり着いた。


「さて、入り口はどこかなー」


 クロムは、ひと足さきに小屋の前に駆け寄ると、小屋全体を見渡した。

 小屋はどうやら、丸木を組み立てて作られているようだ。

 小屋の屋根には煙突があった。

 煙突の下にある窓からは、かまどらしきものも見える。

 左手には、一段高いウッドデッキがある。

 クロムがそのデッキに上ると、しっかりとした扉がそこにあった。


「師匠ー。扉がありましたけど、入って大丈夫ですか?」


 クロムの問いかけに、ラーセンはしばし考えたのち、頷く。

 それを見たクロムは、扉に手をかけて開けようとする。

 しかし、長年使われていなかったせいか、あるいは別の理由か、扉は固く閉ざされて開かなかった。


「あれー、開かないなあ」


 クロムは扉を押したり引いたりして、なんとか開けようと試みる。

 そんなクロムをじっと見ていた二人だが、堪えきれないように笑い始めた。

 二人の笑い声に気がついたクロムが、振り返って二人に問いかける。


「え、え、何か変なこと、しました?」


 クロムの問いかけに、ラーセンはやれやれという感じで頭をかく。

 代わりにオリーブが、答えを伝える。


「クロちゃーん、ここってどなたが住んでいたおうちでしたっけ?」

「それは、昔この村に住んでいた魔法使いが…… あっ!」

「魔法使いが、自分の家の扉に鍵をかけないわけ、ないでしょ」


 何かに気がついたクロムが、扉の取手に目をこらす。

 するとそこに、魔具で作られた鍵がかけられていることに気づいた。


「魔法の鍵がかかってますー」

「はい、正解」

「師匠ー、開錠の方法は聞いてますかー」


 ラーセンは、答える代わりに、魔法の杖で小さな魔法陣を描く。

 そしてその魔法陣を発動させると、魔法陣から小さな光が飛び出して、クロムが開けようとしていた扉に移動する。

 そして取手につけられていた魔法の鍵に触れると、魔法の鍵はパチっと小さな音を立てて壊れてしまった。


「それじゃあ、入るか」

「はい、ラーセンさん」


 ラーセンとオリーブが通り過ぎるのを見ていたクロムが、ハッと気がついた。


「師匠。開錠の仕方を知っているということは、鍵がかかっていることはわかっていたんじゃ……」

「伝える前に駆け出してしまったからな。言いそびれてしまった」

「慌てる乞食はなんとやら、よ、クロちゃん」

「うるさいなあ、もう」


 すっかり機嫌を悪くしてしまったクロムを見て、流石にラーセンも悪いと思ったのか、一番乗りの栄誉をクロムに渡すことにした。


「その奥の部屋、見てもらえないか」

「はぁい」


 気乗りしないまま部屋の扉を開けたクロムだったが、目に飛び込んできた部屋の風景を見て、ハッと表情を変える。

 綺麗に整えられた机の上に、整然と並べられたノートが置かれている。

 机の前には、本棚があり、さまざまな魔法の本が、その種類や大きさごとに立てかけられていた。

 これらの机や本棚の様子を見るだけでも、几帳面で丁寧に魔法を扱う魔法使いであることが伝わってくる。

 何かとものが散らかってしまうクロムにとって、このような几帳面な性格の魔法使いは、無条件に尊敬の対象になってしまうのだ。


「すごいですよ。この魔法使いさん、すごい丁寧に魔法の研究をされていたみたいです」

「そうねえ、おばあさまの書斎を思い出すわあ」


 後から入ってきたオリーブも、クロムと同じような感想を持ったらしい。

 ラーセンは、部屋の入り口で内装を見渡しながら、もし何かあるとすればきっとこの部屋だろうとあたりをつける。

 そして二人に話しかけた。


「それじゃあ、この部屋にある資料を見せてもらおう。ここの主に敬意を持って、決して散らかさないように、丁寧に資料を調べてみてくれ」

「わかりました」


 三人は、この部屋にあるノートや書籍について、調べ始めた。


 本棚に収められた本は、だいぶ古いものばかりだった。

 そして、そこに書かれていたのは、古代魔法に関するものだった。

 特に近代魔法のみを学んできたクロムにとって、この古代魔法は特に新鮮に見えた。


 古代魔法。

 その歴史は古く、人が言葉を手に入れた時には、すでに使われていたらしい。

 地面に魔法陣を描くことで、その魔法陣の内側にいるものに効果を与えることができる。

 魔法陣そのものは、非常にシンプル。

 しかし、一度描いた魔法陣の内側にさらに魔法陣を描くことで、魔法陣を広げることができる。

 魔法陣の効果は、さまざまなものがある。

 草木が大きく育つよう、地面に活力を与えるもの。

 魔法陣の内側になる木材を、いい具合に乾燥させるもの。

 そして、魔法陣の内側にあるものの行動を抑えるような効果を持つもの。

 しかし、対象相手そのものを傷つけるような効果を持つ魔法陣は、古代魔法には存在しないようだった。


 ラーセンは、ノートを調べていた。

 そこには、古代魔法を、古典魔法や近代魔法の体系に組み入れるための理論について、いろいろ書かれていた。

 非常に高度な内容に、ラーセンはこの魔法使いの力量を垣間見ていた。

 そして、なぜ魔法の融合を目指していたのかという目的についても、思いを巡らせていた。


 部屋の中の資料をだいたい調べ終わった時には、昼を大分過ぎていた。

 調べ終わった終わった資料を、丁寧に元通りに戻していく。


「なんだか、古代魔法って、平和な魔法ですね」


 本に書かれた内容の要点を書き出しながら、クロムは感想を述べる。


「そうねえ、昔は今と違って、のんびりした時代だったのかしらねえ」


 オリーブも、同じような感想を持ったようだ。


「どうだろう。意外と普通に暮らすので精一杯で、だからこそ、まずは自分たちの暮らしを豊かにするための魔法が編み出されてきたというのが、真相かもしれんな」


 少し長く人生を過ごしてきたラーセンだけは、少し斜に構えた意見を述べる。


「もう、夢がないですね、師匠は」


 クロムは、現実主義のラーセンの意見を聞いて、少し頬を膨らませる。

 そんなクロムをオリーブが嗜めつつ、三人は小屋を出た。

 空の色は朝よりも暗く、そろそろ雨が降り始めてもおかしくないような状況だった。

 ラーセンが、施錠の魔法を使ってもう一度扉の鍵をかける。


 クロムがウッドデッキを降りようとした時に、オリーブがその手を掴んだ。


「クロちゃん、動かないで」

「えっ?」

「囲まれているようですわ、ラーセンさん」

「そのようだな」


 驚いたクロムが目を凝らすと、岩陰からいくつもの魔獣の気配がする。

 魔獣たちは、獲物に気づかれないように少しずつ距離を詰めてくる。


「これって、ウルフですよね。ラーセンさん」

「ああ、ウルフに違いない」


 三人は、各々の魔法の杖を手に持って、ウルフたちに対峙する。

 その時、ウルフたちの後ろにある少し大きな岩の上に、手前のウルフたちよりは一回り大きい魔獣の姿が現れた。


「まずいな、リーダーがいるのか」

「リーダー?」


 ラーセンの言葉に、あたりを警戒しつつクロムが尋ねる。


「ああ、ウルフの中にリーダーが一匹いるだけで、その群れは統率が取れたものになる」

「それって、もしかして……」

「大ピンチよ、クロちゃん」


 オリーブが、普段は見せたことのない真面目な表情で、答えた。


 ジリジリと間を詰めてくる、ウルフたち。

 その時、岩の上に立つウルフのリーダーが、遠吠えをした。

 咆哮に合わせて、ウルフたちはクロムたちに一斉に襲いかかった。

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