3.14 大悪魔ヴィェルディゴニ


「……いやぁ、どうもお見苦しいところを。改めましてどうも、警視庁の藤川浩志と申します」


 藤川管理官は人当たりのよい声で語ると、応接机に東京土産の菓子を置いた。




 藤川一行の来訪を告げるチャイムの後。

 僕らは池原の存在を秘匿するわけにもいかず、どう説明したものかと悩みながら藤川らを応接室へ案内した。


 部屋に入るや、警視庁の来客ではナンバーツーと思しき角張った顔の係官が池原に気づく。

 そして大慌てで後ろの部下へ叫んだ。「か、確保―っ!」とそれはもうドラマのように。

 僕としては手に余っていたから、池原の身柄はくれてやっても別に構わなかった。



 トロントした目で無抵抗の池原を連行し、警官が減ったところで、現在僕の眼前には四名のお客様。

 ソファに腰掛けるのは藤川管理官と、その右腕と思しき角張った係官。


 この二人は態度こそ丁寧で柔らかだが、目が笑っていない。

 心からの笑顔は目尻に皺が寄り眉が下がるのだが、この二人の笑顔にはそれがない。ただ口元だけで笑っている。

 嫌々握手もしたが、手は浅く握り返す力も弱い。

 握手の様態は親愛を反映する。


 この二人は僕に親しみや関心はもっていない。

 むしろ警戒が強い。

 しかしやたらと親しげな態度は示してくる。

 つまりこの二人は、僕を利用しに近づいてきた人種ということだ。


 まあ社会人の人間関係って基本そういうものだろう。

 こちらも彼らには、「使えるなら付き合う。使えなくなれば切り捨てる」以外の感覚は抱かない。

 あくまで本郷が例外中の例外なのである。


 藤川らの背後に控え立つ二名は、歴戦の兵士を思わせるような隙のない屈強な男だった。

 本郷と親しげに目で挨拶をしていたあたり、おそらくSATだろう。


「それにしてもすごいですねぇ。我々が手を焼く禍具をいちはやく回収したうえ、容疑者池原の身柄を押さえる手柄まで立ててしまうなんて。鷺ノ宮支局長はとても優秀でいらっしゃる。その歳で支局長という出世をなさるのも納得ですねぇ」


 鬱陶しいおべっかを受け取る僕は、藤川の言葉選びからその人となりを分析する。


 人が選ぶ言葉は、その前提となる思考や認知を示唆しやすい。

 「防犯カメラ作動中」と書かれたプレートを見ながら、「監視カメラあんのかよ」と無意識に言い換えて悪態づく人間の出自やら思想性が窺われるように。


 その後も続く藤川管理官の僕へのご機嫌とりの言葉を分析するに、どうやら彼は自身の出世欲と他者の栄進栄達への嫉妬が腹の底で渦巻きやすい人間のようだった。

 そして自分が仕事で結果を出すためなら、悪名高い魔法使いしかも圧倒的に年下の僕へもご機嫌伺いとゴマスリができる、目的のためなら多少のプライドなど捨てられる類の人間だ。


「過ぎた評価ですよ。今回の件も、おたくの本郷巡査の手柄です」


 僕は、僕の背後に立ってひかえる本郷を一瞥する。


 いや、冷静に考えたらあんたが立つべきは僕の後ろじゃなくて藤川の側でしょうが。

 やはり本郷の感性はすこしずれていた。


「それにしても、なぜあなたがた魔法使いも池原を追っておいでで?」


 何気ないフリを装う質問だが、問う藤川の目は部外者の僕がどこまで知っているのかを探る目をしていた。


 正直に答えてしまうと、本郷が僕に口を滑らせたことが露見する。

 それはさすがに不味いので、僕も脳の処理能力の一部をウソに割く羽目になる。


 ウソをつくと、ウソのために余計な脳のリソースを割かなければならない。

 ウソをつくためには、一貫性のある話を組むために記憶を複線化して、かつ話題が進むたびに整合性を保持するストーリーを捏造しなければならないからだ。

 そのうえ、相手にウソがバレていないか逐次モニタリングをおこなう必要もある。

 ここまですれば当然、認知的負荷が加速度的に高まる。

 そんなことをやってれば当然、限界がある人間の脳の処理能力は悲鳴をあげ、相手の観察や次の一手への思考が劣化する。


 ゆえにウソをつくことは、自分の思考力を下げる諸刃の剣だ。

 相手と騙し合いをする際は、ウソとうまくつきあわなければならないのである。


「京都に流出した禍具を探っていたら流出元として池原の名が上がりました。私が彼を確保し尋問したら、自分が警官であると明かしました。私に語ったのは、流出した禍具の出処は警視庁の保管庫だということ、自分は冤罪だということ、真犯人は市木という監察だということ。我々魔法連盟も、信憑性が高いと考えています」


 カマをかけながら僕は、藤川とその横の係官の動きを観察していた。


 二人の示す〇.五秒以下の微表情は眦を下げた安堵。

 しかしすぐそのあとに、眉を中央に寄せて唇を巻き込んだ痛打を示す表情に変わる。

 あたかもそれは、警察の醜聞を外に知られてしまったことを痛むように。


 二人の反応は予想外のものだった。

 そんな僕を他所に、もはや誤魔化すのも賢明でないと判断したのか藤川が頷く。


「誠に遺憾ながら仰るとおりです。我々の身内から横領犯が出てしまったようです。現在事態の収拾につとめて、今も私がこうしてあちこち出張ってるわけでしてぇ。できればどうか、このことは内密にお願いできませんかぁ?」


 これといって特徴のない藤川の目に、狐のような色が滲む。


「いかに崇高な理念をもつ組織であれ、その規模が大きくなると良からぬ輩が紛れこむのも常のこと。『オクマサマイノセント・イービル』のような常軌を逸したものを盗む者まで出るとは。警察の方のご心労お察しいたします」


「お気遣いどうもぉ。ほんとああいったものは高くで売れますからね。欲望に負け手を出す者もいます。ですがそうした不埒者をのさばらせておくわけにも我々はいかんのでぇ」


「ええ、わかります。内部紀律と監査は重要ですね」


 かく言う僕も監査と懲戒の対象になりかけなのだが。


「市民の平和と信頼のためにも、見過ごすわけにはいきません。つきましては協定に基づき、京都での捜査に鷺ノ宮支局長殿のお力をぜひお借りしたいんですけどねぇ」


 ……やっぱりこう来たか。

 本郷が上手く僕を利用できていると見て、ゴマスリ上手の藤川も僕を利用する気満々である。

 だが、悪いが利用させてもらうのはこっちだ。


「可能な範囲でしたら。我々魔法連盟は政府の内部事情には首を突っ込まないのがポリシーです。本件は政治的に微妙な事案となりますので、実行行動はそちらにお譲りします」


 僕らは互いの腹を隠し、表面的な笑顔とともに嫌々握手を交わす。

 これが駆け引きというものである。


「御心配り痛み入ります。それでまずお聞きしたいのは市木宗輔の件なんですけどねぇ」

「……私がその男に関して握る情報は少ないです。前提として市木氏がどんな人間か教えてもらえませんか?」


 藤川の隣の角張顔の係官が懐から写真を出す。


「市木宗輔、三四歳。元々機動隊にいましたが、怪我で公安に転属などして、今年監察に入ってきたばかりの男です。警察組織への忠誠心が何より大事にされる部署で、まさかこんなあってはならないことが起こるとは」


 写真に写るのは怜悧そうな眼鏡。

 どこかで見たような顔の男だ。

 僕に考える間も与えず、カクカク係官の話は続く。


「我々も市木の情報を集めてるんですが、なにぶん市木も公安にいたためこちらの捜査手法にも精通しておりなかなか捕捉できません。容疑者の出没情報を集めて、現在池原や流出禍具を追っていることや、契約悪魔の特徴まではどうにか突き止められたのですが……」


「ちなみに、市木氏が契約したと思しき悪魔とは?」

「警察署内部での一件と大阪での件を見るに、どうも真っ白な直剣と鎧、獅子のような腕に馬みたいな足だとか。名前はたしか……ああ、『ヴィェルディゴニ』と」


 その音を聞いた瞬間、世界から音が消えた。


 皮膚の下で、蟻が這うような怖気が走る。

 血が途端に沸騰し熱をもつ。

 そして噛み締めた歯が砕けたと錯覚するばかりに顎が痛んだ。



「……何か、この悪魔についてご存知ですか支局長?」


「大悪魔ヴィェルディゴニ。

魔王キマリスに仕え、宰相まで上り詰めた裏切者です。あれは宰相の地位を利用して自国内で内紛を起こさせ、主君を裏切り王位簒奪を試みました。結局、クーデターは失敗し、奴は内乱罪に問われ逃亡。当然、キマリスの所領とその同盟国から永久入国禁止処分を喰らっています。

その性格を端的に言い表すならば、筋金入りの権力への執着者にして内紛内乱の愛好者。四半世紀前に地上こちらに召喚された際も、アフリカ某国の政府の要職について、裏で国内の各部族に不和と相互猜疑をもたらしました。結果、アフリカへ二〇年にわたる内戦をもたらしました。厄介にして最低最悪の悪魔です」


 語る僕の声は、さぞ殺気立っているんだろう。

 本郷とSATたちが一瞬身構えていた。


「その本性は残忍。嗜虐的で快楽主義。

己が愉悦のためなら、国中の権力者たちに猜疑をばら撒き、無辜の民を苦しめる内乱内紛すら嬉々として起こす狡猾な悪魔にして一流の錬金術師です。

用いる魔法は精神を汚染する陰湿な呪詛。水面下で不和と疑心を起こさせ戦時に暴発させることを得意とします。

奴自身は直接的な戦闘向きの悪魔ではない。けれどさりとて腹心の部下をもつほど他者を信頼するタマでもない。そのため脆弱な肉体を強化するべく、かつては仕えた魔王キマリスの宝物庫から厄介な宝剣と鎧を盗みました」


「それが敵の主たる兵装、ということで理解してよいのでしょうか」


 SATの男が前のめりに問うてくる。

 僕は深く頷く。


「職工の手よりも器用に振るわれ、剣豪よりも豪壮に鉄を断つ浮動剣『イグズバル』。禍具としての等級は甲三種。

水銀よりも滑らかで、しかし鋼鉄よりも硬く、羽毛より軽やかな鎧は『ミシュレント』。物理のみならずあらゆる毒物、生物兵器、呪詛への防御も可能。等級は甲一種。

戦車を両断し、擲弾すらものともしない矛と盾を、あれは己が肉に取り込んでいます」


 別の隊員が手をあげ問う。


「使う魔法は?」

テライグニス空気アリアアクアに関してはいずれも適性ナシ、使うとしても階梯二位が限度です。元々あれは錬金術を司る悪魔で、魔法に関しても王国では解析を主として任された研究者にすぎません。

魔法の解析と改竄は得意ですが、自身が使役する一般魔法は戦闘に耐えるレベルではありません。

ですが問題はヴィェルディゴニの血脈が承嗣する、変種の精神干渉呪詛です」


 傾聴する隊員らの顔は緊迫でこわばっていた。


「我々が解析し命名した変種呪詛『猜疑の霧ダウト・マーマー』は階梯にして五位。対精神汚染能力が低い行為主体の精神を蝕み、猜疑の闇に陥れる効果があります。あなた方非魔法人があの黒霧を一息でも肺に入れれば、たちまち心を狂わされ、あらゆるものへ猜疑の念を抱かずにいられなくなるでしょう。その時、たとえ隣に立つ者が同じ釜の飯を食った仲間でも、次の瞬間には自分を裏切り貶めようとする敵にしか見えなくなります」


「それは嫌なくらい、乱戦において無類の強さを発揮する魔法ですな」

「ええ。とりわけあなた方SAT、集団戦法と連携を軸に据える戦闘集団には致命的です。一人でも霧に呑まれれば、作戦の瓦解と乱戦が始まります」


「……大阪で市木を急襲した部隊が謎の同志討ちで壊滅し、全員病院送りにされた件がこれでようやく合点がいきましたねぇ」


 藤川管理官の渋い声が漏れる。

 僕は思わず鼻で笑った。


「それはまたなんとも、を加えてもらいましたね。アフリカでは、ヴィエルディゴニはただの娯楽のために村一つを『猜疑の霧ダウト・マーマー』で覆い、村人たちに共食いをさせてましたよ。霧が晴れたあとに残ったのは、隣人に食い散らかされた無辜の村人の死体だけでした」


 SATの隊員たちから引き攣った笑いがこぼれた。


「鷺ノ宮支局長殿、それは随分と、ええ随分と、我々が想定するより厄介な敵ですよ」


「ご安心を。対策を打てばどうにかなります。霧は私が手配する特殊な防詛マスクで防御できます。あれ自身が使う低級な魔法も、防具を固めていれば防げます。取り込んだ剣と鎧については、かつて討伐にはいたらなかったといえ我々が力の大部分を削ぎました。剣は行使できる本数が減り、鎧も厚さはおそらく三割以下まで削っています。我々があれだけの損壊を与えたのだ、たかが数年で全盛期の力を取り戻せるはずがない」


 僕は紅蓮の殺意をひた隠し、SATに微笑んだ。


「ですが。あれが契約を履行し契約者の魂をとり込んで力を蓄え、人の身を得て自由となれば今度は何をしでかすかわかりません。まあこれまでの行動から碌でもないことをするのだけは確実でしょうが。魔法連盟の法規上、あの悪魔には契約自由の原則が適用されません。警視庁の皆さんも我々の慣例に従い即刻、抹殺手続きに移行なさることをお勧めします」


 僕の言葉に一瞬、藤川の顔にまた安堵の微表情が浮かぶ。

 しかし人命尊重の警察の本分・建前を思い出してか、難色を示すそぶりも見せる。

 ここが交渉処だと僕は畳み掛ける。


「まあ。犯罪者一人を生捕りにするために、真面目な警官四名を殉職させるという高潔な職業倫理は私も嫌いじゃないですがね。魔法使いだって尊敬しますよ、殉職者は」


 生捕りと殺害では明らかに危険度が違う。

 それが悪魔なら格別。


 臨席する四名の警官の数を数え、僕は微笑んだ。

 脂汗に濡れたSATが問う。


「仮に、仮に殺害するとしたら、支局長殿ならどうやって殺害されますか?」

「鎧と剣を顕現させていない、人間の姿であるときに奇襲して蜂の巣にしますかね。まだ半分は人間である不完全な機を逃さず、召喚者ごと悪魔を殺します」


「な……!? 待て珠厨音、ここは日本だぞ、それはさすがに――」

「警視庁が池原氏を確保したことを市木氏はまだ知らないでしょう。私がみなさんの立場なら、池原氏の偽情報をエサに誘き出して、戦闘体勢に入る隙も与えず最大火力で仕留めます」


 本郷を遮り、僕は続ける。

 藤川管理官がゆっくりと口を開く。


「召喚者の倫理観は悪魔を拘束できますか? それとも悪魔の言いなりですか?」

「召喚者の対魔・対呪詛抵抗力と精神力によります。ですがあの悪魔は精神を汚染することを本分としていますから、アレの呪詛と甘言に抗しうるなんて期待しない方がいい」


 藤川はたっぷりの沈黙ののち、やがて頷いた。


「上からもそういうことも「想定しておけ」と言われてます。ご協力お願いできますかねぇ」


 悪魔討伐のための火力を出せる駒を得た僕は微笑み、確約した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る