揺れるワンピース

かさあら

揺れるワンピース

「僕じゃない誰かとでいいから、幸せになってください」


 あなたのその言葉が、しつこく頭に残っていた。

 「ツピーツピー」叫ぶシジュウカラの声が、助けを呼んでいるように聞こえた。自宅の前にある四角いコンクリートの塊。よく考えると用途は分からない。尻の方の布地を両手で押さえて、そこへ腰かける。じゅ、と脳内で音がする熱さに、声を上げて腰を跳ね上げた。持っていたハンドタオルを2つ折りに畳んで敷き、今度こそ腰を落とす。足を伸ばすと、裾からだらしなく足首の毛がぴょこぴょこ覗いた。


「あれえ、誰かと思った」


 お向かいのおばさんが犬を連れて歩み寄る。「まあね」と愛想よく笑い、手を振った。別に、髪を長く伸ばしたわけでも、久々にこの家に帰ってきたわけでもない。足から横に垂れて砂利につきかけている布地を手繰り寄せ、腿の上でまとめる。

 あの日。メンズサイズのワイシャツで、太ももを隠そうと裾を引っ張っていた。そんな私に「これ、地雷かもしれないけど」と保険をかけて、あなたは言った。


「性別聞いてもいい?」


 全てわかったうえで、そう聞いてくれたあの日から、あなたとでなければ幸せにはなれない。その宝物を、何度も突き離したのは私だ。嫌われているような気がして、耐えられなくて別れを告げた。離れていると、好かれているような気がして、再会を求めた。繰り返す度、信用を失ったようで再会しづらくなっていった。「僕じゃない誰かとでいいから、幸せになってください」それが、私を思っての言葉なのか、離れたいと言い切れなかっただけの言葉なのか、今でも分からない。それが分からない自分が、人間でないように思える。


「ただいま、待っていてくれたの?」


 少し遠くから男に声をかけられる。立ち上がって、ワンピースの裾を揺らした。ハンドタオルについた砂を払って歩き出す。これが、あなたのいう幸せでしょうか。いま、あなたの願いをかなえられていますか。シジュウカラの鳴き声は、いつの間にか消えていた。


「ワンピース、似合ってるね。かわいい」


この男は、地雷だって簡単に踏んでみせる。反射的にこぶしで横腹を小突いた。楽だから着ているだけであって、決しておしゃれではない。でも、楽という利点を採れるようになったことが、あの日との違いだ。あなたとでない誰かといると、あなたとでない私に出会うことができる。あなたがいなくて初めて得られる幸せを、いつも探している。

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