13.例えば魚たち。あれは宇宙の星たち。
薄暗い通路に小さな水槽の青白い光が映える。彼と二人で来た水族館。彼は水槽の前で立ち止まり解説のプレートを熱心に読んでいる。
毎回それを続けるのでちっとも前に進まない。葉月はそんな真面目で少し融通の効かない年上の彼を可愛らしく思う。大学のサークルを通して仲良くなった彼は、初め堅物過ぎて面白味のない男だと思った。
いつも手には文庫本をもち、話し方や話す内容の知識の密度にオタクという言葉がピッタリとはまった。同じ読書好きなので会話は増えていった。初めは引き気味に聞いていた葉月も彼の真面目で誠実な性格を理解した。その不器用さが可愛らしく思えてきた。
何度か二人で出かける機会も増えた。そうすると気づく。彼の見ている視点の面白さ、解釈の仕方の特異性に。この日の水族館のデートでも印象的な考えを披露してくれた。
「宇宙に似てる?海の中が?」
巨大な水槽の前、水槽の明かりが二人の影を横並びに伸ばす。葉月は彼の唐突な物言いに思わず聞き返した。
「そう、うん。ほら例えば魚たち。あれは宇宙の星たち。
無数に存在し、空間を漂っている。蛍光灯や太陽の違いはあるけど照明に照らされて光輝いてる。うん。」
彼は自分の考えを肯定するように「うん。」と言う。その口癖が耳に残る。
水槽の前は親子連れやほかのカップルで賑わっている。葉月と彼はそんな周りの騒がしさとは関係なく落ち着いた二人の世界をつくっている。
葉月は彼の考えに自分の意見をぶつける。彼自身、宇宙と海中の共通性など思いつきで話してるに過ぎない。葉月はそう思いつつも彼が自分の意見にどう返すか興味があった。
「でも、魚たちは動き回ってる。星たちはその場にとどまったまま。
静と動。それだと全然、真逆じゃない?」
葉月の意見に彼は微笑を浮かべ、顎をなでる。そして、答える。
「確かに、うん。
でも、それは僕たちの時間感覚での見え方じゃないかな、うん。
宇宙は今も広がり動いている。流星だってあるし、長い目で見れば星たちだって〝動〟なんだよ。
少なくとも完全な〝静〟じゃないよ、うん。」
ふふ、と思わず笑ってしまう。葉月は呆れたように言う。
「そうね。随分長い目で見れば星たちも動いてる。うん。」
無意識に口癖が写る。「じゃあ、他には?」と言うと彼は「ん?」と聞き返した。葉月はちゃんと質問に変える。
「他にはないの?宇宙と海中の共通性。最初の言い方なら他にもあるんでしょ?教えて」
彼の目線が水槽の中の小魚の群れを追う。うん。肯定なのか口癖なのかわからないそれを口にして彼は語る。
「他にもいくつかあるよ。まずは浮遊感。宇宙は無重力だし海中には水の浮力がある。あとは、暗さ。光の届かない海底は宇宙のように真っ暗でしょ?うん。」
葉月は納得とも呆れともとれる感情がでる。よくまあそんなことを考えつくものだと感心もする。葉月の考えをよそに彼の考察は続く。
彼は水槽に近づく。そのガラスに手を触れ夜空を見上げるように水中を見渡す。そして語り始める。
「それに、宇宙も海底も謎に満ちている。
宇宙はもちろん、謎とロマンの象徴だよ。それと同様、海底も謎だらけだ。
海底は地球上にありながら、その生態系も地形もほとんど解明されていない。
地形に関しては月や火星の方が詳しくわかってるくらいだよ。
海底生物だって、深海や海底火山周辺は独自の進化を遂げた未発見の生物が存在しているはずだよ。
それこそ僕たちの想像するエイリアンに近い外見かもしれない、うん。」
早くなった口調に彼の興奮が伝わってくる。葉月はそんな彼を愛おしく思う。同じ光景を眺めているのに広がる彼の世界観。自分と違う景色が見えている。それが少し羨ましい。
「あとは、」と彼が最後の共通点を述べる。葉月はそっと耳を傾ける。
「息ができない。」
ふっ。葉月は思わず吹き出す。あまりにも当たり前な意見に笑ってしまう。思わず彼の横顔を見る。彼はふざけた様子もなく表情は真剣だ。
大真面目な彼に顔を背け、にやけてしまう。葉月は笑いをこらえ、続きを促す。彼は不思議そうに葉月の顔を一瞥し水槽に視線を戻す。そして続ける。
「宇宙も、海の中も呼吸ができない。これも、立派な共通点だよ、うん。
もしも、宇宙や海の中で呼吸ができたらどうなっていたんだろう。
海の中で呼吸ができたら、人々は魚たちと友達になっていたかもしれない。犬の代わりにイルカを散歩したりしてさ。」
その光景を想像し、葉月は思わず微笑む。イルカに名前をつけて、芸を覚えさせて散歩をする。なんと素敵な日常だろう。
子供が二人の後ろを走っていく。水族館は賑やかだが、相変わらず二人の世界は穏やかに時間が流れる。彼は言う。
「人間の歴史は戦争の歴史。要は土地の奪い合いの歴史だ。
海の中で呼吸ができてそこで暮らせたのなら。地球上の7割は海。その土地を生活圏として使えるのなら歴史も大きく変わると思うんだよ。」
葉月は彼の頭の中にある物語に興味が湧く。一方で、感性の差に距離を感じ切なくなる。それでも葉月は隣で彼の見えている世界の話を、ずっと聞いていたいと思った。
突然、アナウンスが耳に入る。葉月は、はっとし、辺りを見回す。賑わう新幹線の中。葉月は昔のことを思いだし夢心地になっていた。
スマホで時刻表を確認する。先程のアナウンスが目的地を告げるものだと理解する。隣で窓にへばりつく担当作家に次で降りることを報告する。
葉月は、新幹線が停車するのを座席に深く腰をかけ待った。窓から見える空の青さがあの日の水槽の青さと重なった。
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