4.天界の皇子ソラ
「おじいちゃん!」とソラは答える。湊 天空(みなと そら)。これが少年の名である。この名は彼の父がつけてくれた。
顔も知らぬ父。ソラが物心ついたときにはすでに父は亡くなっていた。母に父の死因を聞くことはできないままである。
母は、本当に楽しそうに父との思い出を話す。そして、その死に触れようとするとき彼女の顔は切なく苦しそうな表情を見せる。少年にはそんな母にその先の話を話させることはできなかった。
「天空」と書いて「ソラ」と読む。父がどういう意味をこの名にこめたのか今となってはわからない。
しかし、父が書いた小説の中に……彼の父は作家だった。母と父は担当作家と編集者という関係から恋に発展した。
…わけではなかった。もともと大学の先輩(父)後輩(母)の間柄で付き合いがありお互いたまたま文芸の道に進んだだけである。
母は父の担当編集にはならなかったがいくらかアドバイスはおくっていたみたいだった。
ソラの父は、ベストセラー作家ではなかったが、他に仕事を兼業しながら三作の作品を世に出した。ジャンルは、ファンタジーが二作、ミステリーが一作。始めの二作は得意のファンタジーで勝負したが売れず、試行錯誤しながら新たなジャンル(ミステリー)に手を出した(結局それも売れなかった)。
さてそんなファンタジー作品の一作に天界が舞台として登場し、主人公を助ける天界の皇子ソラという清き心をもった青年が登場する。このキャラクターは父のお気に入りであり、息子に名付けたのだろうとその息子本人である少年は考えている。
母も始めにこの名を提示されたときに由来はそのキャラクターだろうと納得していた。彼女自身もその青年が好きだったため、その名を受け入れ採用した。
祖父は財布から小銭をとりだし、バスの停留所に置かれた自販機に入れる。ソラに好きなものを買うよう促す。ソラはペットボトルのリンゴジュースのボタンを押し出てきたそれを一口飲む。狭い車内に長時間いたためかそのジュースはいつもよりおいしく体に染み渡る気がした。
祖父は、近くに停めた自身の軽トラまで移動を始めていた。ペットボトルのふたを閉めながらソラはそれを追う。老人の足取りは軽く、黒く日焼けした顔と腕は健康的に見えた。少し、がに股気味なのと背中の曲がりが気になるがまだまだ元気に長生きするだろうと少年は考えた。
軽トラの車内は外の空気を圧縮したように暑くなっていた。日陰に停め、窓を少し開けてはいたが、日中の車内は熱がこもる。冷房の効きが良くないらしく、祖父は窓を全開にして車を発進させる。
途中まではバスの順路を逆走する形となったが、左に折れその道から外れていく。しばらく進むと車は舗装されていない道へと入っていく。道幅は狭まり対向車が来たらすれ違えないほどになる。森の中の一本道だ。
「おじいちゃんの家に行くんじゃないの?」
いつも通る舗装された道とは違うことに困惑しソラは尋ねた。
「森の神さんに祭る柴と花をお前を迎えに行くついでに用意したで、そこに行ってから帰る。なーに、寄り道にはならん。この道からでもウチには着く。」
軽トラの荷台にその柴と花があるのを確認して少年は納得する。山道で車は揺れ、ソラは必死に車内で体勢を整える。
一方の祖父は対向車など来ないと絶対の自信があるように速度をゆるめず運転する。
山道は両側が斜面になっていた。進行方向に対して左手が登り、右手が下り斜面となっている。右手の、崖に落ちれば命はないなとソラは思った。助手席側のソラからはその崖は木が生い茂り、底なしのように見えていた。
軽トラは、道路の途中で停車した。避難路でもない道の途中。祖父は中で待ってていいといいソラを残し車外に出た。
左手側の壁沿いに窪みがありソラが思うより小さな地蔵があった。いや、細長い半円形の石に地蔵のような凹凸のあるだけのものである。砂ぼこりをかぶりその前に花瓶が置かれてなければ何かを祭っているとは到底思えない。
もとあった枯れ木を捨て、用意した花と柴を挿す。祖父が作業している間、少年は周りの景色に目を凝らす。
木々たちが陽光をさえぎり日中でも辺りは薄暗い。だが、そのぶん昼間でも涼しく過ごしやすいとソラは感じた。その代わり、街の中よりセミの声は大きく夏を感じさせる。
祖父が、一連の作業を終えエンジンをかける。午後3時過ぎ、軽トラは悪路を抜け、民家の前に到着する。
それは、少年の見慣れた祖父母の家だった。
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