第8話 備えの道
戦が終わって三日。
村にはまだ、沈んだ空気が漂っていた。
畑に立つ者の顔も、鍬を振るう腕も重い。
笑い声は消え、子供たちでさえ大声を出さなくなった。
村のあちこちに「死」の影が残っている。
――勝ったはずなのに。
その勝利が、かえって人々の胸に苦い思いを刻んでいた。
◆ ◆ ◆
「殿……」
村の古老が、静かに声を掛けてきた。
白髪を結んだその顔は、深い皺に覆われている。
彼の背後には数人の村人が立ち、皆、不安そうにこちらを見ていた。
「この先、どうなさるおつもりで……」
問いは単純だが、重かった。
戦で敵を退けたが、それで終わりではない。
負けた側は必ず報復を考える。もっと大きな力を呼び寄せる可能性もある。
「このままでは、次は村ごと焼かれるやもしれません……」
古老の声は震えていた。
その恐れは、俺自身も痛いほど分かっていた。
◆ ◆ ◆
「――備えを固める」
俺は答えた。
村人たちが息を呑むのが分かった。
「畑を守るための柵を築く。堀を掘り、敵が易々と攻め込めぬようにする」
村人たちは顔を見合わせた。
柵や堀など、この辺りの農村では聞いたこともない防備だ。
だが、戦国の世で生き残るには、それが必要だった。
「それに、兵も鍛える。槍を持たせただけでは死ぬばかりだ。陣形を組み、合図で動けるようにしなければならない」
俺は未来の知識を思い出す。
農兵を束ねて組織化すること、それが強さを生む。
戦国大名たちが力を伸ばした理由も、そこにある。
「……殿、村の者にそんなことができましょうか」
古老が眉をひそめた。
疑いではなく、純粋な不安の声。
俺は頷いた。
「できるさ。俺たちはもう、戦を知った。血を流すことも、仲間を失うことも。あれを無駄にしないためにも、強くならねばならぬ」
藤吉の亡骸を思い浮かべながら、言葉を重ねた。
村人たちの顔に、少しずつだが決意の色が灯っていく。
◆ ◆ ◆
翌日から、村は動き出した。
まずは柵作りだ。
森から木を切り出し、太い幹を運び出す。
斧を振るう音が朝から夕方まで響き渡った。
「もっと深く掘れ! 敵が飛び越せぬようにな!」
俺は声を張り上げ、若者たちに指示を出す。
彼らの顔には疲れが滲んでいる。だが、あの戦を経験したことで「守る」という意思が固くなっていた。
堀を掘り、土を盛って土塁とする。
その上に木の柵を並べる。
簡素ではあるが、村が丸裸であるのとは雲泥の差だ。
◆ ◆ ◆
並行して訓練も始めた。
村人たちに槍を持たせ、列を組ませる。
初めは足並みも合わず、笑いが漏れた。
だが俺は叱らず、何度も繰り返させた。
「合図を聞け! 笛が鳴ったら前へ進め!」
「槍は突け! 振り回すな! 突くだけでいい!」
やがて列が整い、動きがそろい始める。
「ただの農民の集まり」が、少しずつ「兵」の形になっていく。
その変化を見て、胸の奥が熱くなった。
藤吉、お前が生きていたら笑っただろうな――と。
◆ ◆ ◆
村の女や子供も黙ってはいなかった。
女たちは布を裂き、包帯を作り、干し草を集めて寝床を整える。
子供たちは小さな手で土を運び、柵作りを手伝った。
村全体が一つの体のように動いている。
その光景に、俺は未来への確かな希望を感じた。
◆ ◆ ◆
夕暮れ、広場に戻ると、古老が近づいてきた。
「……殿。村がこれほど一つになったのは、わしも初めて見ます」
古老の目が赤いのは、涙のせいだろう。
「皆、殿の言葉に従っております。……これならば、戦国の世でも、生きてゆけるやもしれませぬ」
その言葉に、俺は小さく笑った。
「生き残るだけでは足りぬ。いずれは他の村をも従え、この地を守り抜かねばならん」
古老は驚いたように目を見開いた。
「他の村を……?」
「ああ。この国は、弱き村から食い潰される。だが、力を合わせれば領地となり、国となる」
その先にあるものを、俺は知っている。
群雄割拠の世を勝ち抜いた者が「天下人」と呼ばれることを。
だが、今はまだ語るべき時ではない。
まずは村を守り、次に周囲を固めることからだ。
◆ ◆ ◆
夜。
柵が立ち並ぶ村を見渡しながら、俺は深く息を吐いた。
これでまだ足りない。
矢を放つ弓兵、火を操る技術、鉄を鍛える鍛冶――やるべきことは山ほどある。
だが一歩を踏み出せた。
藤吉の死を無駄にしないために。
そして、この村が「戦国を生き残る場所」となるために。
星が瞬く夜空を仰ぎ、心の中で呟いた。
――これが俺の「備えの道」だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます