駆け引き(カタリーナ視点)
何が起こったのか理解ができなかった。したくなかった。どうやって家まで帰ってきたのかすら覚えていない。
別にあんな男には微塵も興味なんてありませんし、仕方なく本当に仕方なく、形だけのお付き合いをして差し上げるつもりでしたのに……。
何故このわたくしが振られたような感じにならないといけませんのッ!!!
ここまで虚仮にされたのは生まれて初……いえ、二度目でしたわね……。
こうなったら以前のように常坂院にも模擬戦を申し込んでクラスから追放……いいえ、そんな程度では気が収まるはずもありませんわ。
そもそもあれだけわたくしに傾倒しておきながら、そのわたくしからの誘いを断るだなんてどういう了見ですの!
既に鬼の娘とお付き合いしていて、筋を通す為?
それならわたくしのファンクラブを作ろうとする時点でアウトでしょうに!
わからない。常坂院が何を考えているのかさっぱりわかりませんわ!
「ハアアアアァァァーーーーーシッッィ!」
雑念を振り払うように全力で【ランスチャージ】を打ち込み、離れ際に【フレイム】で追撃を入れつつ距離を取り直す。一連の攻撃を受けた木人形は一瞬でボロボロになりましたが、駄目、駄目ですわ。こんな腑抜けた攻撃ではあの娘には通用しない。
「まだやっておったのかリナ。食事はきちんと摂らねばならんぞ」
「おじいさま……すみません。もうすぐ終わりますから」
「…………負けたか?」
「はい。完膚なきまでに」
おじいさまはそれから何も仰らずにその場にドカリと座り込み、そのまま黙ってわたくしの訓練をじっと見続ける。
何も言わず、何も聞かない。わたくしには慰めの言葉など必要ないとおじいさまは分かってらっしゃるから。
言い訳などしない。負けたまま終わる事などあり得ませんし、勝てぬならば勝てるようになるまで努力するだけの事ですわ。
これまでわたくしはそうやって成長してきましたし、幼い頃は自分より成長の早い子供に負けた事だって一度や二度ではありません。
けれど諦めず自らを向上させ続け、最終的には全てに打ち勝ってきたから今のわたくしがある。当然今回も必ず乗り越えてみせますわ。
けれど、そうですわね。常坂院に関しては、男の考えは男に聞くのが一番かもしれませんわ。
「おじいさま。一つお聞きしたいのですが、容姿をこれでもかと褒め称えた男が、その褒め称えた相手からの誘いを断る心境とはどういったものでしょうか?」
「……恐らくは怖いのだろう。高嶺の花ほど手に取るのは躊躇うものだ」
高嶺の花。なるほど、そういう事でしたか。自身がわたくしに釣り合う男ではないと理解しているからこそ、わたくしの誘いには乗れないと。
鬼の娘の件があったせいで、少々短絡的になっていたかもしれませんわね。
答えがわかってしまえばなんという事はない。むしろ常坂院はしっかりと身の程をわきまえる事ができる男ではありませんか。
そういった殊勝な態度を心掛けるのであれば、鬼の娘を打ち負かした後も、手元に置いて差し上げるのもやぶさかではありませんわ。
しかしそれはそれで困りましたわね。わたくしに釣り合う自信が持てるまでは誘いに乗れないという事であれば、最低でもAクラス序列二位は必要でしょうし、いくら今年の主席とはいえ、彼がそれを成すのを待っていれば、いつになるかもわかりませんもの。
仕方がありません。明日もう一度声を掛けて差し上げましょう。今度はもう少し軽い感じで、よろしければわたくしの側使えにして差し上げましょうかと問えば喜んで受け入れる事でしょう。
―――★
そう思っていましたのに……。
前日遅くまで特訓しすぎて疲労感が抜けきれませんでしたので、午前中はゆっくりと湯に浸かりリフレッシュしてから学園に登校してみれば、常坂院は教室内に見当たりませんでした。
クラスメイトに聞いてみれば、Bクラスに居るとの情報を得ましたので向かってみたところ、栗毛のポニーテールの女とそれはもうイチャイチャしながらお弁当を食べているではありませんか。
…………なるほど。
常坂院。あなた増長しましたわね?
わたくしから誘いを受けるほどの価値が自分にはあると勘違いし、驕り高ぶった結果、手を出すには恐れ多いわたくしからは逃げたものの、手近で安易であるBクラスの女に手を出すに至ったと。
所詮はその程度の男でしたか。
――と思いましたが……今完全にこちらを見ましたわよね。なのに慌てるどころか目を逸らし気付かぬ振りをした?
これはもしかすると増長どころか……。
まさかこの男、このわたくしと駆け引きをしているつもりなのでは?
―――★
「むっ、どうしたんじゃリナ。遅れて登校すると言っておったのに」
「おじいさま。早急に調べて頂きたい男がおります。暗部に渡りをつけてくださいませ」
回りくどい事は一旦中止です。そもそも他種族と強い関りがある人間がAクラスに居ること自体が懸念事項なのですから、まず一度徹底的に調査するのが当然の流れでしたわ。
わたくしに傾倒しているのであれば、人類への裏切りの可能性はないと除外しておりましたけど、駆け引きを試みるような狡猾な男であるのなら、それも確実とは言い切れないでしょう。
本当に一方的に懸想されているだけならそれでよし。違えば個人的な雪辱を果たすよりも優先すべき事がありますもの。そこを見誤るほどわたくしは無思慮ではありませんわ。
何かしら利用されていたり、人類にとって悪影響な関係性が見て取れたのなら、その時は暗部が黙っていないでしょう。
―――★
少なくとも数日は掛かると思っていましたが、その日の夜には暗部が報告に戻ってきました。これだけ早くに結論が出たという事は、わたくしの懸念が的中してしまったのだと思っていたのですが……。
彼らから齎された内容はわたくしだけでなく、おじいさまにとっても衝撃的なものでした。
「申し訳ございませんセヴィニェ様。暗部はこの件から手を引かせて頂くとの結論に達しました」
「なんだと……。それはつまり、孫の前でこのわしの顔を潰してでも優先すべき事があるという事か……」
俄には信じがたい話ですが、僅か数時間の調査で、諜報のプロでもある彼らが撤退せざるを得ない何かがあったということに他なりません。
「はい。常坂院世界はあまりにも危険です。彼は人族の英雄となるかもしれない存在です。逆に言えば万が一敵に回してしまうような事態となれば、人類にとって途方もない脅威となります。敵対行動と取られかねない行為は自重するべきとの結論です」
英雄? ……脅威? ……常坂院世界が?
あのぽけーとした常坂院世界が英雄となるかもしれない存在ですって?
何の冗談ですのと言いたい気分ですが、クロヴィス隊長の鬼気迫る表情を見ていると、それが冗談の類でない事くらいは嫌でもわかりますわ。けれど……。
「念の為確認したいのですが、脅威なのは本当に常坂院なのですか? 鬼の娘の方ではなく?」
「常坂院の方です。もちろん鬼の娘の武力は、事前にお嬢様からお聞きしていた通り、いえ、正直に申し上げれば想定していたよりも遥かにとてつもないものでした。しかし常坂院は人の理解すら超えています」
それはつまり、わたくしを圧倒するほどであったと警告した鬼の娘の武力を軽く考えていたという事ですわよね。つまりわたくしを圧倒するのは難しくないと思われている?
……まあいいですわ。今さら文句を言ったところで結果は変わりませんし。
それよりも今は常坂院の事ですわ。人の理解を超えた力とは……。
つまりあの鬼の娘より強いという事ですの?
率直に言って信じられませんわ。あの娘の理不尽ともいえる武力はわたくしが一番よく知っている。絶望すら感じさせるあれを上回る武力とはいったいどれほどのものなのか、想像すらできませんもの……。
「常坂院世界とはそれほどの男か。どのような戦い方だったのだ?」
「戦っておりません。恥ずかしながら我らは全員、鬼の娘の前になすすべもなく惨敗致しましたので」
はっ?
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