常坂院シエナ(シエナ視点)

 トカゲ共に群がられ角を折られたのは痛恨の極み。けれど戦いに身を置く以上そんな事も起こりうると納得しておった。全てはわらわの未熟故の出来事。だが角が折れた以上わらわの寿命は残り僅か。


 最早種族を率いる役目も、子を産み次代に繋ぐ役目も叶わぬ。お歳を召した父様と母様には酷だが、頑張って励み新しい子を作ってもらうより他……。


 いや、考えても詮無き事。今わらわが考えるべきは鬼らしく潔く戦場で散る自身の最後のみ。


 そう考え、派手な散り際を民兵に見せつけようと無謀な突撃を繰り返し、これまで以上に戦場の最前線で戦った。だがわらわは死ねなんだ。


 運悪く折れた角に矢が刺さり、意識を失ってしまったところを奴隷契約で縛られ、派手な最後どころか自死する事もできぬようになり、こうして生き恥を晒している始末。


 日々零れ落ちていく生命力。身体が動くうちに今一度戦場での死に場所を求めたい。それが今のわらわの存在理由の全てなのだから。



 ―――★



「いい加減にしろよテメェ。客を睨みつけるんじゃねぇ。愛想よくしろって何度言やぁわかるんだ!」


 客に買われ外にさえ出られれば、戦場に出るチャンスは必ず来るはず。そう信じているからこそプライドを投げ捨てて、奴隷商である主が言うように愛想よくアピールしている。それでもなかなかわらわを買おうとする人族は現れない。


「睨んでなどおらぬ。わらわが命令に逆らえぬのはあるじたるヌシがよく知っておるであろう」


 人族というのはどうにも気概が足りずいかん。種族として格上である鬼族に怯んでしまう故に、わらわのアピールを威嚇と捉えてしまうようだ。


「クソがっ! 角無しの愛想も悪けりゃ眼つきも悪い鬼ババアなんて誰が買うんだよ。今日の客なんて仕入れ値ギリギリの300万でも高けぇって抜かしやがったんだぞ」


 なんと失礼な男だ。成長が早く寿命が短い事を加味しても間違いなくわらわより年上、仮に鬼族であれば100歳は過ぎていそうな男が臆面もなく30歳のわらわをババア呼ばわりとは。奴隷紋さえなければこの場で四肢を引き千切ぎるところなのだが。


 その時は本気でそう思っていた。次の町へ移動する際に久しぶりに水浴びする事が許され、湖に近づき湖面に映った自身の姿を見るまでは……。


 頭では理解はしていた。けれどまさかここまで早いとも思っていなかった。湖面に映るわらわの姿は既に母様より年上に見えた。もう余り時間はないのかも……。


 …………いや、大丈夫。まだ大丈夫。仕方あるまい。次の町ではもう少し頑張って客に愛想を振りくとしよう。わらわは毎日何十もの鬼から求愛されていた。本気になればわらわの魅力が伝わらぬわけがない。



 ―――★



「おい、クソババア。今日からテメェは200万だ。おかげでこっちは大赤字だ」


 だい、じょうぶ……。価格が安くなるという事は売れやすくなるという事。気持ちを切らしてはいかん。必ずチャンスはくるはず。



 ―――★



「……今からテメェは100万だ。飯も最低ランクに落とす」


 人族を長く観察していてわかった事があった。人族と鬼族は違う種族なのだと。そんな当たり前の事にわらわは今更ながら気付いた。


 人族は武力ではなく財力を重視する。力があれば財など後からいくらでも稼げるのだから、正直言って人族の価値観は意味がわからぬ。


 だがそれこそが人族の階級を決める大きな要素。そして財力のある男は若い女を求める。そちらはまだ理解できる。若いほど子孫を残すのに有利なのだから。それでも鬼の価値観であれば力がある中で若い女といった優先順位だ。


 とはいえそれに今更気付いたところでわらわにはどうしようもない。そもそも人族の男が求めるのはより若い女。今のわらわはもう既に女としての価値はない。


 皴とシミだらけになった身体を濡れた布で拭く度に、嫌でもそれを自覚させられる。


 鬼というのは勝手なもので、それがもう手に入らなくなったと自覚した途端、女としての幸せ、子を産む未来を軽視していた自身に腹が立ってくる。


 けれどまだ鬼としての力は僅かながら残ってる。

 むしろわらわにはそれしか残っていない。


 戦場にさえ出られれば、わらわに付けられた価格以上の働きはできる。女ではなく戦士を求める客と出会えさえすればチャンスはまだある。


「すみませーん。この角の折れた鬼族の、おいくらですか?」


 ぎゅっと拳を握りしめ、そんな事を考えている時に間の抜けた声が聞こえた。

 角の折れた鬼族はわらわしかいない。角無しのどころか他の鬼族すらここでは見たことはない。けれど女の子と言ったのだから、わらわの事ではないはず……。


 よくわからないまま訝しげに声がした方を見ると、その少年はじっとこっちを見ていた。


 ――まさか本当にわらわの事なのか?


 最近はババアどころかゴミだのカスだのと呼ばれていたので、女の子と呼ばれた事に戸惑ってしまう。


「いらっしゃいませ、お客様。こちら貴重な鬼族ですので価格は時価となっております。すぐに調べてまいりますが……ちなみにご予算はいかほどでしょうか?」


「240万。これ以上は持ち合わせがない」


 わらわが動揺している間にも商談は進んでいく。現在の主である奴隷商から勧められずにわらわの値段を聞いたのはこの少年が初めてだ。

 ここで買ってもらえれば……。




「調べてまいりましたがこちらの奴隷は現在300万となっております。――ですが! お客様は随分とこちらの奴隷をお気に召したご様子。そこでご提案なのですが、身なりからしてお客様は高貴なお方なのは想像に難くありません。ここはお客様を信用して、残り60万Gを後払いでの契約も可能ですがいかがでしょうか?」


 そんなわらわの縋るような気持ちを足蹴にするように、奴隷商は少年に吹っ掛けた。馬鹿な。わらわの価格は100万と言っていたのに、少年の持っている240万どころか300万で売ろうとするなんて……。そんな事をして買ってくれなくなったらどうしてくれる!


 わらわの値段は今100万だと叫びたいが、主に対する利敵行為は奴隷契約で縛られている為できぬ。


 買って、買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って


 だからもうわらわには祈る事しかできない。お願い。わらわを買ってくれ、買って……ください。


「それなら宝石込みで支払うよ」


 信じられぬほどあっさりと願いは通じ、少年はそこらの干し肉を買うような気軽さでわらわの購入を決めてくれた。



 えっ……本当に!?



 あれほど買って欲しいと願っておきながら、いざ買ってもらえる事が決まると、高すぎる価格に今のわらわはこの少年に、相応しいものを返せるのだろうかと不安になってくる。


「僕の名前は常坂院世界。これからよろしくねシエナ」


 新しい主の名は常坂院世界だな。覚えた。それはいい。だが主は何故わらわの名を知っている? その名は奴隷商にすら呼ばれなくなって久しいものだ。


「……何故わらわの名を知っておられるのですか?」


 機嫌を損ねキャンセルされたりせぬよう、わらわは低姿勢で主に問うた。


「君は有名だからね。そんな事よりまずはこれを飲んでくれるかな」


 何やら少し考え込んだ後に新たな主は、透明な液体の入った小瓶を手渡してきた。わらわがこれは何かと尋ねると、何でもない物のようにエリクサーだと言う主。


 何の冗談だろうか。わらわとてエリクサーの噂ぐらいは聞いた事がある。あらゆる万病を治す奇跡の薬。ただしその価値は1本で城が3つ建つと言われておる。


 父様はいつか必ず手に入れると豪語していた。そして母様はそんな物は実在しない。ホラ話よと笑い飛ばしていた。


「奴隷に拒否権はありませぬ。飲めと仰られるなら飲みますが……」


「いや、僕は君を奴隷として買ったわけじゃないよ。隣で守ってほしいんだ」


 ――――?????


 主は何を言って……。本気か? いや、だが人族が鬼族の求愛方法を知るはずも……しかし主はわらわの事を知っていたし、それに奴隷として買ったわけじゃないとも……。


 鬼族の求愛は多くの場合、弱い者が強い者に対して行う。求愛された方はそれを受け入れてやっても良いし、自分よりも強い異性を求めるのならば当然断る。鬼の国にわらわより強い男は居なかった為、わらわから告白したいような相手は存在せず、逆にわらわは毎日多くの鬼から求愛されていた。


 そんな求愛する際のお決まりのセリフが『庇護してください』や『側にいて守ってほしい』等だ。鬼の求愛とは弱者が強者に庇護を求める意味合いも強いので、大抵似たような告白となる。


 だからこれはもう何千回聞いたセリフかわからないほど聞いたセリフだ。さすがのわらわもまさか人族からこのセリフを聞くとは思っておらなんだが。


 確かに今のわらわでもこの人族の少年よりは遥かに強いだろう。求愛の習わしからすれば適切なセリフだ。わらわの事を知っていたのだから鬼の習わしも知っているとみるのが普通……。


 ……何をまじめに考え込んでいる。このエリクサーとやらと同じで、からかっているだけに決まっている。そもそも小瓶の中身はどう見たってただの水。


 ああ、そうか。奴隷が本当に何でも言う事を聞くのかテストしておるのか。確かに人族の少年からすれば、鬼族のわらわが命令に逆らうような事があれば怖くて仕方あるまい。


 そう結論付けたわらわは小瓶を一息に飲み干した。



 ――――――――――瞬間。



 身体中が焼けるような熱を帯びる。膝が笑い立っていられなくなり、同時に頭に強烈な違和感。



 まるで身体を一から作り直しているように、全身が痙攣を起こしそれは始まった。



 額の角に下から押されるような鈍い痛みが走り…………。


 ――――信じられない事に新しい角が生えてきている!?


 同時に身体中から変色した汗が流れ出て、皮膚が強く引っ張られる感覚。


「あっ……あっ、うぐぅ……う、そ……あぅぁぁ!?」


 数十秒の苦悶の末、身体の震えは止まり、四つん這いとなったまま息を整えるわらわの視線の先には、折れた角が二つに割れ転がっている。


 恐る恐る額に手を伸ばすと、もう二度と感じる事ができないと思っていた感触が手に伝わる。


 それだけではない。伸ばした手には張りがあり、肌の皴やシミも消えている。更には腹に刻まれた忌々しい奴隷紋までもが綺麗さっぱり消えている。


「まさか、先ほどの液体は本当にエリクサー……」


 目が合うと主はニコリと微笑んだ。まるで何でもない事をしたかのように。


 もはや疑う余地もない。

 ただの奴隷にエリクサーなどというとんでもない物を与えるわけがない。つまり主は本当にわらわに求愛したのだろう。


 それもエリクサーという形で最高の財力を見せた上で。


 人族を長く観察してきたわらわにはわかる。それは人族の男として最上の誠意に違いなく、奴隷紋も消してもらったわらわは奴隷としてではなく、一人の女として真摯に応える必要がある。


 鬼のしきたりで言えば、本来は求愛した弱い方が相手を様付けで呼ぶので、求愛を受けるのであれば今後はシエナ様と呼ばせるのが常識。


 けれどそもそもわらわは奴隷として買われたわけで、その後に求愛されたとはいえエリクサーの件もあるので非常に複雑な関係性……。


 悩んでいても仕方がない。それにここは人族の国。人族は婚姻すると苗字を合わせ名前で呼び合うのが慣例のはず。そして連れ合いの男に対して女は恭しく従う。


 それらを総合して考えれば、わらわもシエナと呼ばれているのだから求愛を受け入れる返事としてはこうであるべきなのだろう。


「これから末永くよろしくお願いします。世界」


 連れ合いとなった世界を見ているだけで自然と愛情が溢れ出し、思わず世界の腕を取る。

 数時間前まで売れ残りの奴隷であったわらわは、この瞬間常坂院世界の妻、常坂院シエナとして身も心も生まれ変わった。


 まさに奇跡のような一日だった。

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