第15話 バフォメットの蠢動

「バフォメット君、話が違うんじゃないのお」


 とある料亭の一室。

 スーツの男が猪口を舐めながら言う。

 脂ぎった禿頭にたるんだ頬。

 運動不足に見えるが、日焼けはしている。

 間堺町議員のひとりで、近々にも県議会に打って出ようと噂の男だった。


「い、いえ、とんでもありません。この程度のことは想定内の些事に過ぎませんよ」


 紫檀の座卓の向かいには、ヤギ頭の獣人が正座している。

 過日、間上田まかみだ家で水崎ミコに嫌味を言ったメイオーアグリカルチャーのバフォメットだった。

 汗腺もないのに額にハンカチを当て、恐縮した風を装っている。


「些事、些事ねえ。例のアイガモゴーレム……だったかな。あれがあったらスライム駆除剤なんていらないんじゃないかねえ。コストも安くて環境負荷もない。ここからメイオーさんが巻き返せる気がしないんだけどねえ」


 議員の男はねちっこい口調で話しながら、芋虫のような指でシガレットケースから煙草をつまみ出し、大儀そうに咥えた。

 バフォメットが身を乗り出し、デュポンのライターの火をかざす。

 男はたっぷり時間をかけて一口吸うと、バフォメットの顔面に向けて紫煙を吐き出した。


「僕としてはねえ、うん、農家さんの味方なわけよ。農家さんを助けるためにね、メイオーさんの駆除剤を導入しようとね、色々と骨を折ったわけよ。ほら、いいものだって言うからね」

「はっ、その節は誠にありがとうございます。農家を助けたいという先生の真摯なお気持ち、このバフォメットも改めて背筋が伸びる思いです」

「うんうん、そう言ってくれるとありがたいねえ。僕は、メイオーさんは同志だと思ってるのよ。この国の農業を救いたいというね、利益なんかじゃなく、大義のために汗をかける仲間だと思ってるんだよねえ」

「はっ、恐縮です」


 バフォメットは座卓に両手をついて頭を下げる。

 しかし、その奥歯はぎりぎりと音を立てて噛み締められていた。

 何が大義だ。

 スライム駆除剤の導入を議会に諮らせるために、どれだけの献金を搾り取ったと思っているのだ。


「だからねえ、僕としても忍びないなあとは思ってるんだよ。メイオーさんとは同志としてがんばっていきたいからね。しかしねえ、スライム駆除剤、これはもうダメだよ。全面的に優れたものが他で出ちゃったのに、無理やりねじ込むなんてことは大義に反する。農家さんのことを考えたらねえ、アイガモゴーレムの方になっちゃうじゃない。まあ、これは同志であるメイオーさんには、わざわざ言わなくてもわかってくれることだと思うけど」


 スライム駆除剤の推進からは手を引く、そう言っているのだ。


「し、しかし永田町の方では……」

「んん? 永田町が何か関係あるのかい? あんな都会に田んぼなんてないと思うんだけど」


 男のボスに当たる農林族議員をちらつかせたが、揺るがない。

 スライム駆除剤の売り込みは国家単位のプロジェクトなのだ。

 メイオーが本気を出せば、間堺などという田舎の町議員程度は軽くひねりつぶせる。

 そんな力関係はわかっているはずなのに、なぜこの男はここまで強気なのか。


「最近はすごいよねえ。SNSっていうのは選挙結果も左右しちゃうんだ。ほら、これ見てよ。こういうのをバズるって言うんだっけ?」


 男が差し出したスマホを見て、バフォメットは目を剥いた。

 そこにはアイガモゴーレム農法の視察に訪れる農林水産大臣の姿があったのだ。

 大臣は若輩だが、元総理大臣の息子で党内に隠然たる影響力を持つ。

 甘いマスクと軽妙な語りで国民の人気も高い。

 そんな彼が、アイガモゴーレムを絶賛する動画をSNSに投稿していた。

 動画の再生数はこうして見ている間にもうなぎのぼりに増えている。


「党として、今後はアイガモゴーレムで行くという判断になったわけですか」


 バフォメットは声を震わせた。

 現在の政局はきな臭く、解散総選挙も近いのではと言われている。

 アイガモゴーレムのようなわかりやすいマスコットは、選挙戦用の客寄せパンダとしてうってつけだろう。


「判断? 何のことだい? ただの雑談だよ、雑談。メイオーさんとは今後も同志として、一緒にがんばっていきたいからね。共に日本の農業をよくしていこうじゃないか。ね?」

「はっ、わたくしどもも粉骨砕身、先生のために微力を尽くしていく所存でございます」

「ははは、僕のためじゃないよ。日本の農家さんのために、ね。あれ、酒が進んでないじゃないか。ほら、遠慮なんかしないで。同志なんだからさ」

「ありがたく頂戴します」


 片手で差し出される銚子に猪口で応えながら、バフォメットは頭の芯で燃え上がる熱を必死で抑え込んでいた。

 冥府母国であれば、こんな無礼は絶対に許さない。

 いますぐこの醜い劣人族レッサーの腹を割き、内臓を吊るしてやるところだ。


 それほどの怒りをなんとか抑えていられるのは、ひとえに冥王への忠誠心。

 かの御方の野望を果たすまで、我ら魔族はどんな屈辱にも耐えてみせよう。

 そして、野望成せるその暁には、劣人族レッサーどもをすべて奴隷に落としてくれるのだ。


 バフォメットは舌なめずりをして、濁った瞳を男に向けた。


「アイガモゴーレム、素晴らしい製品ですね。額面通りならば農家の救世主です。……思わぬ欠陥でも見つからないことを祈っていますよ」

「欠陥?」

「いえ、ただの独り言です」


 男はバフォメットの態度を怪訝に思ったが、白い髭に隠された口元が邪悪に歪んでいることに気が付くことはなかった。

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