第34話 これはざまぁなのだろうのか

   ◇Sideテオシアーゼ・フィン・スーケンベルエ


 人は追い詰められれば弱者であろうと時として強者に牙を剥く。

 テオシアーゼはその事を理解していた。故に弱者を挑発――精神的に追い詰める際にはその者が突然こちらに襲い掛かって来る事を常に想定していた。勿論弱者に出来る事などたかが知れているのだが、弱者によって自らの服に泥を付けられる事さえも気に食わない。

 だから、コイカの一挙手一投足、更には魔力の揺らぎにさえ注意を払っていた。スキルを発動する時。肉体強化をする時。感覚を研ぎ澄ませて相手の魔力を知覚していれば、それが揺らぐのが分かる。分かったのならこちらの肉体強化をして相手の攻撃を躱せば良い。

 そう思っていた。

 そのテオシアーゼの腹にコイカの拳がめり込んでいた。


(反応が、できませんでしたわーーーーーーーーっ!!!!! 一体どうして!!?! こいつは、そんなに速いんですの!!?! 有り得ない、わたくしが認識できないほどに速いなんてーーーーーーっ!!!!! それにクソ痛いですわーーーーー!!!!)


 心の内で散々喚き散らし、テオシアーゼは痛みで身体を折った。

 しかしテオシアーゼは拳が腹を打つ直前に肉体強化によって耐久性を向上させており、重傷を免れた。これはほぼ無意識の行為であり、テオシアーゼの培ってきた戦闘センスによって為せる業と言えた。


「お嬢様!?」


 隣でマードが驚いた声を発した。コイカの挙動に注意を払っていたのはテオシアーゼ本人だけではなかった。彼女の侍女であるマードもまた、自らが仕える者の危機に警戒をしていた。もしコイカがテオシアーゼに対して何か危害を加える素振りを見せたならば、二人の間に割って入ってテオシアーゼの身を守る心積もりだった。しかし、彼女もまた反応出来ていなかった。

 それほどまでにコイカの腹パンは速かった。


「よくも、お嬢様にっ!」


 マードは敵意を剝き出しにし、コイカへと向かった――否。向かおうとはしたのだが、その一歩を踏み出す事すら出来なかった。

 コイカはどこからか細長いものを取り出し、それをマードへと巻き付けた。すると、マードはその場に倒れ伏せ、そこから動けなくなった。

鎮重鎖ヘヴィー・スネイク』。

 魔力を流す事によって重量を増す魔道具の鎖だ。授業で崖登りなどをする際にも用いる魔道具である。

 マードの表情から必死にそれを振り解こうとしているのが伝わって来たが、『鎮重鎖ヘヴィー・スネイク』による拘束は硬かった。


(いや……でも『鎮重鎖ヘヴィー・スネイク』って別に振り解けないほど重くはならない筈ですわ……!!!)


鎮重鎖ヘヴィー・スネイク』の重量は使用する魔力の量に比例して増加する。例えば100メズルの魔力を用いた時と1000メズルの魔力を用いた時では単純に計算して後者の方が前者の10倍重くなる。しかし通常、例えば1000メズルの魔力を『鎮重鎖ヘヴィー・スネイク』に流した場合の重量は、1000メズルの魔力による肉体強化によって容易に振り解ける筈である。


(何か別の魔法を用いていますのーーーーー!!?!?! それとも――こいつは!!!?!!?)


 けれどこいつの魔力値は寧ろ凡人以下だった筈――テオシアーゼのその思考は中断させられた。

 テオシアーゼの襟をコイカが掴んで自らの方に引き寄せた。


「あのさぁ」


 コイカの表情それ自体は澄ましていたのだが、瞳の闇は禍々しかった。


「ひいっ!!!!」

「別にさあ、みはるんに対して庶民とか雑魚とか、豚とか言うのはいいよ? あと群馬県の事も。

 ――でもさ、私言ったよね? 私はみはるんのお嫁さんだって。それだっていうのに、みはるんが私以外の人と結婚するなんて話をするっていうのは、あまりにも非常識じゃない? そんな話されたら流石に看過出来なくない? お嫁さんとして」


 テオシアーゼが感じていたのは、奈落に呑み込まれるような恐怖だった。

 自分よりも強大な存在から圧倒的な力を突き付けられる重圧。自分は踏み潰されればすぐに死んでしまう虫けらでしかなかったのだと知り、自らの弱さに絶望した。


「ねえ聞いてる!?」

「はっ! はいぃ……!!! その件につきましては、本当に、わたくしが短慮で、ご気分を害するような発言をしてしまいまして、本当に申し訳ありませんでしたわ……! あと一応グンマケン? の事も謝っておきますわ……!」


 庶民に対して自らの非を認め謝罪するなどこの上無い屈辱である。しかし、今のテオシアーゼには屈辱を感じるだけの余裕すらなかった。ただ恐怖の奴隷となって、自分が助かる為に惜しみなく謝罪をしていた。


「お嬢様っ……」


 マードは非常に複雑な表情をしていた。彼女の内にも色々な感情がある事だろう。そして相変わらず魔道具による拘束から逃れる事が出来ないようだった。


「それとさあ、私とみはるんの子どもっていったら絶対可愛いじゃん。そう思うよねぇ?」

「は、はいぃ……ええ、宝石のように可愛い子だと思いますわ……」

「名前、決めてあるんだ。恋春こはるっていうの」

「と……とっても良いお名前ですわね! こう、何ていうか……あの、とっても愛くるしい感じの名前だと思いますわ!」

「けれど、二人目以降の子の名前はまだ決まってないんだ。何か良い案ある?」

「へ!? ……いきなり言われましても……えっと……えっとォ……」

「無いの? 思い付かないの?」

「い、いえ……そうですわ! クリュウムというのはいかがでしょう!」

「どういう由来?」

「えと、北方の極寒領域でのみ採掘される特殊な金属の名前ですわ! とても希少で、けれど高性能の魔道具を作る際に必要になる金属ですの! クリュウムは金属でありながら宝石のような美しさを持ち、採掘される時には何故か花のような形状をしていて、そういった事からお二人の可憐なお子様に相応しい名前ではないかと思いましたの……!」

「ふーん、そうなんだ。良い意味なのは分かったけど何だか語感がいまいちかな。

 そうだ、私たちの名前の候補、100個考えて提出してくれる? 期限は一週間後ね」

「ひゃっ……!? いえ、分かりましたわ!」

「それぞれの名前についてその意味や由来を500文字以上で書いてね。参考文献はカッコ内に数字を振って、レポートの末尾にその数字、著者名、その後に括弧で出版年、書籍タイトル、出版社、参考にしたページ番号を記述してね」

「ごひゃくもじ……!? 参考文献……!?」

「出来ないの?」

「いえ、出来ないとは言っていませんわ! 提出期限は、一週間後の……23時59分まででよろしいですわよね!?」

「いや、その時間は消灯後だし、夕食までには渡して欲しいかな。というわけで19時丁度までに提出ね」

「そんなぁ……!」

「出来なかったら、承知しないから」


 コイカのその言葉がテオシアーゼの中で何度もリフレインした。承知しない。承知しないというのは一体何をされるという事なのだろうか――。

 コイカは襟を掴んでいた手を離した。そしてマードに巻き付けていた『鎮重鎖ヘヴィー・スネイク』を回収した。

 彼女は踵を返しながら言った。


「それじゃあよろしくね」


 コイカはその場から去って行った。


「あ、あぁ……」


 彼女の背中が見えなくなってもテオシアーゼを苛む恐怖は軽くならなかった。緊張の糸は未だにぴんと張り詰めていて――。

 それがぷつり、と切れた。


「あ――」


 テオシアーゼは自らの内腿から足にかけて、嫌な生温かさを感じた。

 細かく震えていた脚から力が抜けて、テオシアーゼは自分が作った水溜まりの上に座り込んだ。

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