第21話 約束の履行

 午後の授業も終わり、放課後となった。

 他の生徒たちの中には部活的なものに励む人たちも居たけれど、わたしにそんな体力は無く、寮に直帰した。

 そして、自室のベッドに寝転がる。


「あぁ~~~~」


 骨が抜けたような声を上げる。

 わたしは疲労困憊だった。色々やらされたし。


「で……何でいるの?」


 わたしは同じベッドに寝そべり、わたしに抱き着いている恋歌に問うた。


「え……? 自分の言った事忘れちゃったの? みはるん言ったじゃん、後でぎゅってしてくれるって(第18話参照)」

「そう……でしたね」


 そういえばそんな事を言ってしまった。


「まさか自分の言った事を反故にするなんて事、しないよね……?」

「ええ、しませんよ……?」


 自分で言ってしまった事だ。仕方無い。

 というわけでわたしは恋歌になすがままにされていた。


「お肌すべすべ……摩擦は考えないものとしていいね……F=maだよ……μ´なんて存在しない……」


 いや、流石に摩擦はあるのでは。現実は物理の問題みたいにはいかないんだよ。


「至高のかほり……肺腑がハッピーで満たされる……もうこれが無いと私やっていけないよ……」

「人の匂いを危ない薬みたいに言うのはやめて貰えないですかね」

「女の子っていうのは時として危ない人に惹かれるものなんだよ」

「わたしは危なくないよ……っていうか危ないのニュアンスが微妙に違うような……」

「ところでみはるん」

「なに」

「約束では、みはるんが私にぎゅってしてくれるって事になってたよね? けれどこれだと私がみはるんにぎゅってしてるだけなんだけど」

「別に一緒じゃないの……?」

「分かんないかぁ、この違いが」

「なんか腹立つ言い方だな……」


 なんかマウント取られてる感じだった。


「だって私だけがぎゅってしていると、私はみはるんの事を凄く愛してるのに、みはるんは私の事愛してくれないみたいじゃん……! そんなの悲しいよ……!」


 まさにその通りなんですけど。……とは思ったけれど言わないでおいた。


「仕方ないな……」


 わたしは恋歌の身体に腕を回した。確かに恋歌の主張する通り、わたしが恋歌を抱き締めると約束してしまった。約束したからにはそれをちゃんと守らないとという良心がわたしの中にはあった。……約束のこぎつけ方が割と卑劣だったので別に反故にしてしまっても良いのでは? という思いはあったけど。

 彼女の身体を包み込む。彼女の体温を腕と胸部で感じる。


「へうっ」


 と恋歌は小さく声を発した。


「これで、いいんでしょ」

「うん……ありがとう……生きてるって感じがする……」


 恋歌は感極まっている様子だった。そこまで喜ばなくても。


「大好き……好き……しゅき……」


 わたしの腕の中で恋歌がろれつを怪しくして呟いていた。顔を見れば林檎みたいに真っ赤だった。恋する乙女みたいな反応だな……恋する乙女か、そういえば。

 わたしから抱擁される事がそんなに嬉しいのか? やっぱり良く分からない。わたしにそんな魅力があるとは思えない。自虐的になっているわけではない。わたしにそこまでの魅力があったなら、わたしは前の世界でぼっちじゃなかった筈だ。友達の一人や二人くらい作れていただろう。

 釈然としない。

 けれど、恋歌はわたしに抱き締められて、心から喜んでいる。

 その様子が、何だか。


「可愛い……」


 わたしはそうぽつりと呟いてしまった。


「え――」


 先ほどから頬ずりをするように動いていた恋歌の身体が固まった。


「あ」


 しまった。


「い、今みはるんわたしの事可愛いって……」

「聞き間違いでは……?」


 わたしは顔を逸らした。


「そんな! わけ! ない! わたしがみはるんの言った事を聞き間違うなんて!」

「うう……」


 確かに聞き間違わなそうだな。


「分かったよ。確かに言ったよ。認めるよ。でもこの可愛いっていうのは、なんていうか、頭を撫でたら尻尾を振って喜んでる犬に対するような感情で……そう、あんたは犬だから! 勘違いしないで!」

「い、犬!」


 ショックを受ける恋歌。


「犬……でも、みはるんの犬っていうのはそれはそれで良いような……」


 けれど何だか変な悦びに浸っているような表情になった。「ハッハッ」っていう犬の息遣いじゃなくて、「ハァハァ」という変態の息遣いをしていた。犬は良くなかったかと自らの発言を後悔する。


「頭、撫でて? 私、犬だから!」


 追加で要求をされる始末。


「嫌だよ……」

「そんな事言わずに……お願い……!」


 うるうるとした目でこちらを見詰める恋歌。断り辛い……。


「しょうがないな……よしよし……」


 わたしは彼女の頭を撫でた。さらさらとした髪を指で感じる。


「えへへ……ワフッ! ワフッ! クゥーン(結構似てる)」

「かなり犬に寄せて犬の鳴き声の真似をするのはやめて欲しいかな」

「はい、やめます」


 やめてくれた。従順だな犬みたいに。

 やけにリアルな犬の鳴き真似はやめてくれたのでそのまま暫く頭を撫で続ける。彼女は嬉しそうで、尻尾を激しく振っているのが見えるかのようだった。やっぱり犬だな。


「あの、みはるん、頭を撫でて貰うのも嬉しいんだけど、でもやっぱりぎゅーもして欲しくて、『両方』って可能ですかね……? 技術的に不可能な事は無いと思うのでみはるんの意志の問題になるんだけど……」

「なにその微妙に圧のある頼み方は」

「だめかな……?」


 上目遣いで頼む恋歌。


「う……」


 何でだろう、こんな奴の頼み聞かなくちゃいけない道理は無いんだけど、なんだか断れない。

 彼女の望みを叶えてあげたい――そんな風に思ってしまう。


「三分、三分だけね……」


 わたしは彼女を抱き締め、それから頭を撫でた。


「えへへ……みはるん、好き……」


 恋歌はご満悦のようだった。

 わたしの腕の中に抱かれている恋歌。彼女から伝わって来る温もりは――。


 あれ……?


 なんだか、前にもこんな事があったような気がする。

 そんな筈はない。だって恋歌とはついこの前顔を合わせたばかりだ。だったら、他の人にしてあげた事をデシャヴした? ――いや、わたしには恋人はおろか友達も居なかったわけだし、こんな事を誰かにしてあげた事なんて無い筈だ。

 ただの錯覚だろう。そう結論付けるしかなかった。

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