第14話 いつもの貴方がいい

「しゃ、社長、泥棒がおります!」


 何の騒ぎだろう。

 かごめは布団の中でうっすらと目を開く。そしてその声の主が長谷川の者であることに気づいて、やっと脳が覚醒した。


 部屋の置時計に目を凝らすと、いつもの起床時間が過ぎてしまっていることを知った。昨晩は周が突然店にやってきて、使っていない布団を引っ張り出して……慣れないことをしてすっかり寝坊してしまったらしい。


 しかしまだ日も昇っていない時刻。かごめはさっさと着替えて、階下へ降りる。眠気の残る目で騒ぎの元へ駆けつけると、長谷川がしばらく使っていなかった丁稚部屋を指さしていた。


「ああ、そこは……」

「朝から大声出すなよ……。頭に響く」


 襖を開けて出てきたのは、盛大にあくびをする周だ。

 毎朝一階の掃除を担当している長谷川が何も知らずにいつも通り掃除をしようとして、眠っている周に遭遇したということだった。


「あ……周様?」


 長谷川はかごめが今まで聞いたことないような動揺の声を漏らした。

 そしてかごめもまた、見慣れない周の姿に口を閉じて目を瞬かせる。


 化粧をしていなかったのだ。白粉も叩かず、紅も引いていない。

 無論周は寝起きなのでそれはあたり前のことなのだが、かごめが周の素顔を見るのは初めてのことだった。いつもの妖艶で女性的な美しさはなく、今の周は中性的な顔の青年。


「⋯⋯何かご存じですね、社長」


 長谷川に目を眇められ、かごめは躊躇いがちに頷いた。








 かごめは冷える朝に温かい茶を啜りながら、目の前の長谷川の顔を窺った。昨晩の一部始終を知った長谷川は渋い顔をしている。


「どうなさるおつもりですか」

「どうもこうも、彼はうちの従業員の一人なんだし、見過ごすことなんてできない。空いている丁稚部屋があるんだし、しばらくはそこに寝泊まりさせてあげるつもり」

「……社長、おかしいとは思いませんか」


 奥の部屋にいる周に聞こえないよう、長谷川は声を潜めてかごめに尋ねた。かごめは首を傾げる。


「何がおかしいの?」

「周様は素性を明かされませんし、どんどん文目堂へ入り込んでいらっしゃいます。社長は周様のどこをどう信じていらっしゃるのですか」


 かごめはさすがに眉をひそめた。長谷川は周の何を疑っているのだろう。


「周が密偵か何かだと思ってるってこと? そんなわけないわ。だって昨晩あんな顔して……」

「あんな顔、とは?」


 長谷川の追及にかごめははっとして唇を噛み締めた。


(言えるわけない)


 周は今朝、長谷川を前にして何事もなかったように振る舞っていた。周はきっと昨晩のことを他人に話されたくないはずだ。


「と、ともかく周もあの恰好じゃ仕事ができないわ。今日は周の服を買いに行ってくる。ついでに市場調査もしてくるから、一日お店をよろしく頼むわね」


 かごめは取り繕うように言うと慌てて立ち上がった。長谷川の制止の声を無視して襖を開けると、借り物の質素な着物をまとった周がそこに立っていた。その顔に自信に満ちた笑みはなく、仮面を張り付けたように無表情だ。しかしその目の奥がわずかに動揺で揺らいだ。


 話を聞いていたのか、否か。かごめに訊く勇気はなく、振り切った笑みだけを向けた。


「周、今日は市場調査に行きましょう」







 平日とはいえ百貨店の林立する辺りは人が多い。

 かごめは周の手を引いて井倉屋二号店の前を早足で抜けると、少し先に見える赤坂屋を目指した。


「今日は私が全部払うから、周は気になったものなんでも言って。勉強代だから気にしないでちょうだい」


 かごめはあえて調子を上げた声色で、背後に周に声をかけた。

 返答はなし。


 仕方ない。

 かごめは赤煉瓦造りの百貨店の前で減速した。


 赤坂屋は井倉屋と並ぶ大店の一つだ。かごめは周が井倉屋にあまりいい思いをしていないことをしっかりと覚えていた。


 百貨店の入口は客を招き入れるように全開にされている。開店したばかりの店内は人通りの多かった外の通りと違って客がまばらで、それぞれゆっくりと買い物を楽しんでいた。


 人が増える昼前には撤収しよう。かごめは懐中時計で時刻を確認する。


(さて、周は大丈夫かしら)


 かごめは店の中央で足を止めて振り返った。周は静かな目でガラスケースの中を見下ろしている。


「それがいいの?」


 かごめは周の視線の先を辿りながら、やけに無口な周の機嫌を窺う。

 周が目に留めていたのは、男物の縦縞の紬。


「似合うと思う?」


 周は抑揚のない声でかごめにそう尋ねた。かごめはぴたりと動きを止めて、周の顔を見る。

 ガラスケースを見下ろす周の顔は真剣そのものだった。


「わ、私は……そういう周もいいと思うわ」

「そっか」


 周は店員に声をかけようとしたが、声を出す前に口を閉じる。そしてそっとガラスケースから離れた。


「ねえ、周。しばらく別行動しましょう。そうすればお互いゆっくり商品を見れるし」


 かごめは猫背になった周の背中に声をかける。周は小さく「うん」とだけ返事をすると、客の中に身を隠すがごとくどこかへ歩いて行った。


 一人にしてよかったのだろうか。かごめは思う。

 周はかなり憔悴しているようだった。やっぱり今朝の様子は取り繕っていただけなのだ。


(当たり前よ)


 周は自分の趣味を『病気』だと言われて、挙句部屋のものをすべて捨てられてしまったのだから。きっと胸の中にあるものをすべて、消されてしまったような気分だろう。


 かごめはその計り知れない苦痛に、他人のことながら耐え切れなくなった。

 口と態度が悪くても、出会ったころの周が帰ってきてほしい。


 そう思った瞬間、かごめははたと思い立った。思い立ったが早く、かごめは店内のショーケースをぐるりと見て回る。違う、一階にはない。


 エレベーターを待つ時間すら惜しく、階段を上って二階へと足を運ぶ。そうしてうろうろと見漁っているうちに、やっと見つけた。


「すみません。これに似た商品はありますか?」


 かごめはガラスケースの奥に立つ店員に尋ねかけた。







「いた」


 かごめは入り口に立っていた周を見つけると声をかけた。


「何か気になるものはあった?」

「特にないかな。⋯⋯かごめは? やけに嬉しそうだけど」

「わ、わかる?」


 周に勘付かれてかごめは声が上ずる。かごめはいそいそと袂を探ると、マチのある小さな紙袋を取り出した。


「どうぞ。開けてみて」


 かごめは紙袋を周に押し付ける。

 周はにやにやと笑みの収まらないかごめを一瞥すると、訝しげに紙袋の口を開いた。


 袋の中に手を入れて購入したものを掴んだ瞬間、周の目が見開かれる。

 出てきたのは硬質な銀色に輝く髪飾りだった。彫りが施されている直線的な造形デザインが特徴的なものだ。


「貴方の髪の長さだと簪は使えないでしょう?」

「これって⋯⋯」

「そう。貴方に初めて出会って、私に着こなしの魅力を教えてくれたとき、私の髪に銀色の簪を挿してくれたでしょ?」


 かごめは周に向かって手を差し出した。周は手の中の銀色の髪飾りをかごめに渡す。かごめは慣れない手つきで、周の耳の上に付けてあげた。


「これだとちぐはぐだよ」


 周は頭の飾りに指を伸ばしながら、呆れ笑いを漏らす。


「そうね。でも私着こなし音痴だから、どんな着物を合わせて、どんな化粧をすればいいかわからないの」


 かごめの言葉に周ははっと顔を上げた。かごめは笑っていたが、真剣なまなざしをしていた。

 周は手に取りかけた男性物の紬をふと思い出す。


(俺はかごめに俺自身を求められてる)


 周は自分の手を見下ろした。どうして自分を軽んじる人に忖度をする必要があったのだろう。


(俺は馬鹿だ)


「……はは。仕方ないな」


 かごめは周の表情にはっきりとした笑みが戻ったのを見た。周は腕を組み、前を向く。その目には自信の光が戻っていた。


「かごめがお金を出してくれるって言うのは嘘じゃないよね」

「もちろん」

「じゃあ、この髪飾りに似合う最高の着こなしを見せてやるよ」


 周は肩で風を切って赤坂屋へと入っていく。


「……ええ!」


 かごめは周の伸びた背中を追った。

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