第12話 新たな商売仲間

 翌日、文目堂には多くの若い女性客が押し寄せた。


 皆口を揃えて「女神の耳飾りをください」というものだから、何も知らない従業員たちはもちろん困惑した。というのも金獅館での『天国と地獄』の初日公演について書かれた新聞記事で、峰岸歌劇団の中でひときわ人気のある河出かわで清子せいこが舞台上で身に着けていた耳飾りを「女神の耳飾り」と称して紹介していたのだ。


 そして愛好者ペラゴロらはその熱狂っぷりで商品の出どころを朝一番で突き止めてきた。


 かごめも周も愛好者たちがこぞって買いに来ることは予想していたが、まさかここまで早いとは思わなかったのだ。耳飾りの在庫が無くなれば熱も冷めるかと思われたが、代わりに別の装飾を購入して来年の復刻を待つ声を残して去って行った。


 かごめは女優の影響力をひしひしと肌で感じた。


(まさかここまで貢献してくださるなんて……あの衣装係の方には足を向けて寝られないわ……)


 昼が過ぎ、ようやっと客足が落ち着いてきたところで、かごめは店の裏に引っ込んだ。


 さて、今月もそろばんをはじく日がやってきたのだ。かごめは気を引き締めて帳簿を開く。

 松ヶ崎幸太郎の嘲笑うような顔が脳裏によぎりつつも、かごめは丁寧に計算を合わせていく。パチパチ、と軽快な音が響くうちに、かごめの頬は緩んでいった。

 最後に帳簿へ書き込まれたのは目が覚めるような桁の数字。

 売上額は過去最大。先代社長の時代の全盛期すら軽く超えている。松ヶ崎が買収のために用意していただろう予算などでは間に合わないだろう。


 休憩に入ってきた周を見つけると、かごめは慌てて呼び止めた。


「聞いてちょうだい、今月の売り上げは最高潮よ!」

「うわ、商売人の顔になってるよ、社長」


 周は呆れながらも帳簿を覗き込むと、ふっと息を漏らす。


「へえ、これは俺も予想以上だったね」

「今なら何でもできそうな気がするわ!」

「じゃあ、二つ目の作戦だ。もっと格上の貿易会社と取引を始めて」


 かごめが晴れ晴れとした表情で天を仰いだとき、周はそう言った。かごめは伸びをぴたりと止めて、周の顔を見る。


「……それは松ヶ崎への当てつけ?」

「地団駄踏むあいつの姿を想像するとせいせいするね。……まあ、それはそうとして、貿易会社と提携を組んで損はないよ。海外の生地や商品を手に入れることもできるし、和洋折衷を掲げている文目堂うちがやって悪いことはない」


 周は一瞬悪い顔をしたが、すぐに腕を組んで冷静に告げた。

 今や大店はどこでも贔屓の貿易会社と手を組んでいる。革のベルトや蛇革の商品など、和洋の組み合わせによって売れている商品が文目堂にはいくつかあった。


 この機会を逃しては経営者の恥だ。

 かごめはぐっと拳を握り締めた。そうとなればやるべきは提携する貿易会社募集の広告を打ち出すこと。


「そうね、周の言うとおりだわ。早速今から新聞社に行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 かごめは意気揚々として店を飛び出していった。







 翌日の軒先には物々しい黒いスーツ姿の男性たちがぞろぞろと集まっていた。


 前日の夕刊と今朝の朝刊に急遽広告を差し込んでもらっただけだというのに、ここまで人を呼び寄せるとは思っていなかった。かごめは文目堂の話題沸騰っぷりを感じながら、客の入店を邪魔しないように脇に避けてもらう。


 女性客らは何事だと、スーツ姿の男性の列を横目で気にしながら店内へ足を運んでいた。


 かごめは滅多に使わない、商談に使われる奥の間でそわそわとしながら足を畳んで待っていた。隣に座る周はやけに落ち着いた様子で、かごめはさらに高まる緊張に深呼吸をする。


 ついに長谷川が初めの候補者を連れてきた。

 まずは中折れ帽にツイードのスーツという、少し西洋かぶれした四十代ほどの男性だった。座卓を挟んで彼はゆっくりと腰を下ろす。そして長谷川もかごめを挟んで周の反対側に正座した。


 男性は懐から名刺を取り出すと、迷わず長谷川の前に差し出す。


大栄商会だいえいしょうかい田所たどころと申します」


 長谷川は困ったように眉を下げると、その名刺を受け取らずかごめを手で示す。


「ご足労いただきありがとうございます。ですが、私は社長ではないのです」


 男性は目を丸くすると、年端も行かない娘へ一瞥した。こんな若い娘が店を取りまとめているなんて思いもよらなかったのだろう。


「文目堂社長の遠藤かごめです」


 男性は慌てて名刺を引っ込めると、かごめへ差し出し直した。かごめは作り笑いを見せながらそれを受け取る。


 しかしかごめの心中は次の商談相手のことを考えていた。下調べの浅い相手と手を組んでいい未来が見えない。

 話題は互いの利益の話へと進む。互いが提供できるもの、守るべき約束事項、義務的に話を動かし、一区切りついたところで長谷川が商談の終わりを匂わせた。


 長谷川が送り届ける合間に、かごめはやけに疲れた息を吐き出した。


「まだ一人目だよ」


 周がさらりと言うが、かごめは緊張よりも別の意味で体が強張っていた。


「だってさっきの人、私が社長だって知らなかったところまでは百歩譲って許容するとして、その後もずーっと長谷川に向かって話を続けるのよ。たまに思い出したように私の顔を見て。最悪よ!」

「商談相手の社長が誰かもわからない時点で大問題だけどね」


 憤慨するかごめに周はあきれた様子で言う。

 全くその通りだ。最初の一人からこの調子とは先が思いやられる。


(もしかして八割方こんな人ばっかりだったりして)


 そしてかごめの予想は大当たりだった。


(こんな予想当たってほしくなかった……!)


 来る人来る人、文目堂の話題性だけで首を突っ込んできた会社ばかりで、これでは野次馬と何も変わりはしない。かごめが社長だと知らない人が六割。さらには文目堂を侮るような態度を取る人が三割。残りの一割は情熱だけで売り込みに来た文目堂の愛好者ファンのような弱小会社の人間だった。


 黒鉄堂や花菱とはわけが違う。ものづくりは品質がいいからと言って売れるとは限らない。それは昔の文目堂と同じだ。


 しかし貿易会社は規模がそのまま価値に直結する。

 かごめは今の相手が最後の一人だと、長谷川に告げられた瞬間落胆するしかなかった。


「嘘でしょ……?」

「残念ながら。大きな貿易会社はすでに大店と手を組んでいるところばかりです」


 かごめが脱力して座卓に突っ伏したそのとき、従業員の女性が奥の間へ駆け込んできた。


「あの、文目堂うちと商談がしたいとおっしゃる方がいらっしゃっていて……」


 かごめは正直やる気をなくしていたが、周と長谷川に両側から見つめられて気だるげに上体を起こす。


「わかった、今日は一旦その人で最後ね。連れてきて頂戴」


 そうして案内されて部屋に入ってきたのは、まだ三十にも届かなそうな丸メガネの青年だった。顔には濃い隈があって表情も頼りなく、背広も少しよれている。

 これまでの恰幅のいい社長たちと比べると、明らかに見劣りした。

 かごめが期待できなさそうだ、と隠れてため息をつきかけたその時、彼は懐から出した名刺をかごめに差し出した。


「お初にお目にかかります。諏訪商事の諏訪すわ智彦ともひこと申します」


 そしてかごめに会釈すると、続いて長谷川、周へと頭を下げる。

 かごめは気づけば背筋を伸ばして座り直していた。

(何、この人……。今までの人たちと全然違う)


「単刀直入に申し上げます。うちは大手のような資金力もなければ、大量の在庫もない。しかし足と目、そして繋ぐ手には自身があります」


 男性はへたれた革鞄から一冊の雑誌を取り出す。表紙に『FAD』と書かれたそれは、海外のファッション誌だった。


「この雑誌は先月、巴里パリで発行されたものになります。現在はすでに巴里市場に出回っていますが、入手したのは販売前、向こうの取引相手からです」


 販売前の雑誌を入手させてもらえるほどの信頼がある。それはかなりの強みだ。

「向こうではアールデコと呼ばれる幾何学模様が流行し、日本に到来していることはご存じでしょう」

「ええ、はい」


 かごめは表紙の文字を追いながらも相槌を打つ。


「実は巴里もまた、日本の様式スタイルに感化されているのです。着物を彷彿とさせるゆったりとした袖の服などが流行に組み込まれようとしています。そう言った傾向の中で、文目堂さんにおすすめしたいのはこれらの生地です」


 男性はさらに鞄の中から小さな布切れを取り出した。織り目がよく見えるやわらかい綿織物、ウールに似ているが光沢がよりはっきりと出ているもの、そして縮緬らしきもの。


「これらは順にモスリン、カシミヤ、クレープと呼ばれております。クレープに関しては日本における縮緬と同じです。つまりこれらの生地を使った商品を並べていただくことで、和洋折衷に目がない文目堂さんの客層に刺さるのではないかと考えました」


 かごめはいつの間にか身を乗り出して、彼の演説を聞きこんでいた。

 諏訪は文目堂が欲しているものを的確に分析したうえで売り込みに来ている。モスリンなどの生地が手元にあったのは運がよかっただけなのだろうが、顔に酷い隈を作った上に少し出遅れてやってきた理由がよく分かった。


 きちんと調べたうえで分析して乗り込んできたのだ。


(本気で商売しに来てるんだわ)


「へえ、あんたよくわかってんじゃん。この雑誌貰ってもいい?」


 周が片側の口角をにやりと持ち上げると、雑誌を指さした。


「どうぞ。差し上げるつもりでお持ちしましたので」


 周は諏訪から雑誌を受け取ると、ぺらぺらと中をめくる。そして興味深そうに読み始めながら、口を開いた。


「ところで、こういう生地はいつ届く?」

「ご契約をいただければ、二か月後には確実に」

「かごめ、これで襟巻マフラーとか羽織を作れば売れるよ」


 かごめは周のささやきに頷く。

 かごめは彼に成功の兆しを見ていた。大手でなくても、彼はすでに海外の会社と手を組んでいる。この実績は何にも代えがたいものだ。


「……ぜひ、諏訪商事さんとお仕事させて下さい」


 かごめが差し出した手は、しかと握り返された。







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