第11話 『天国と地獄』の成功
夕焼けが終わり、空が藍色に染まり始める。
夕食時で人気の少ない道は徐々に人が増え、通りの奥では建物から漏れる光やガス灯の明かりで、これから訪れる夜に抗わんとする煌々とした光を放っていた。
かごめは人力車に揺られながら、きょろきょろと辺りを見回す。その様子に周は扇子でかごめの膝を叩いてたしなめた。
「はしたないよ。人力車は目立つんだから大人しくして」
周の恰好はいつもよりもずっと落ち着いていた。孔雀青の着物に赤錆色の薔薇柄が散らされた着物。その上からは大きな黒い外套を羽織っている。
かごめは夜を思わせる周の着こなしに非日常を覚えていた。
「で……でもなんだかどきどきしちゃって。周はこの辺まで人力車で来たことがあるの?」
「いいや? でも舞台なら見たことはある。今から見に行く六区オペラとは違って新劇だったけどね」
人力車は角を曲がる。
すると昼顔負けの明るさがかごめの顔を照ら上げた。建物に吊るされ、秋の夜風に揺らめいているのぼりには、さまざまな劇団の名称や演目名、著名な俳優の名前などが書かれている。
さらにはチンドン屋のラッパの音が建物に反響して響き渡っており、屋台の美味しそうな匂いが漂っていた。物珍しい夜の繁華街にかごめは人力車から身を乗り出す。
そうしているうちにかごめはずらりと並ぶ西洋建築のオペラ館の中に、ひときわ派手な建物を見つけた。入口に獅子の像が狛犬のように立ちはだかっているそこが、今宵かごめと周の目的である峰岸歌劇団の『天国と地獄』が上演される『
人力車が建物の近くで動きを止め、かごめは慣れない調子で何とか降りる。
人という人がぞろぞろと金獅館へ吸い込まれていく。かごめや周もそれに倣って、中へと足を踏み入れた。
かごめはごった返す入り口で人に揉まれながら、下足番に草履を渡し木札を貰う。熱狂的な
かごめは少し進んだ先に周の姿を見つけて、何とか人混みから抜け出した。
「貴方がその恰好を選んでいた理由が今やっと分かったわ」
かごめは橙地に白や黄色、薄青色で水玉模様が描かれた銘仙に、着物が汚れないように長羽織を着ていた。これでも十分周囲と比べて控えめだ。
そんな中で周の今日の黒を基調とした恰好は、ひときわ目立つと言って過言ではなかった。
「賑わっているって噂には聞いていたけど、俺もこれ程だとは思ってなかったよ。……で、席は二階?」
「ええ、そうみたい」
「ふうん、なかなかいい席だね」
二人揃って二階
かごめと周は招待券の通り、桟敷席の一番前の席に腰を下ろした。
周が懐中時計で時刻を確認したそのとき、騒がしい会場内にブザー音が鳴り響いた。客席の電気がふっと掻き消え、観客らは一瞬静まり返る。
その直後、舞台下から派手なオーケストラが観客を震わせた。
「待ってました!」
観客の掛け声が合図のように、舞台の幕が開く。
現れたのは西洋風の室内の
今まで見てこなかったことを後悔しながらも、かごめは鮮やかな背景の入れ替えに、さらに胸を躍らせる。
舞台上は一変して、青い空に足元には雲という
(天界ってことかしら……)
その狭間に、たくさんの白い布を纏った女優たちが姿を現した。
「あーあ、退屈だわ! 毎日
舞台中央に立つひと際豪華に白い布を重ね着した女性が通る声を響かせた瞬間、客席のあちこちから男女入り交じりの声が飛んだ。
「
「よっ、
熱狂的な愛好者たちの歓声を一身に浴びながら、河出清子と呼ばれた女優は長い髪を掻き上げる。そのとき、その耳につけられた何かが証明に照らされてひときわ輝いた。
かごめは思わず前のめりになって、思わず声を上げた。
「あっ、あの耳飾り!」
周も気づいたようだった。しかし周は驚くことなく、足を組んで構えている。
他の女優たちも順番に優雅な手つきで髪を梳いてゆく。その隙間から金色の耳飾りがきらめいていた。
「きれいです、ミサ様ー!」
女性の黄色い声も野太い声に負けず響く。
女神役の女優たちは皆揃って、文目堂の『秋の煌めき:金木犀コレクション』の商品を身に着けていた。白い衣装に金色の飾りが合わさると、それは真鍮ではなく本物の金に見える。
ついに舞台も最高潮を迎えた。
静かに響いていた音楽が徐々に大きくなり、女優たちが腕を組んで一列に並ぶ。疾走感のある音楽に合わせて、彼女たちは白い衣装を蹴り上げてラインダンスを見せた。裾の長い衣装から覗く裸足の指でもまた、飾りが輝いている。
「清子さーん!」
「日本一!」
観客の手拍子、掛け声、熱気と、舞台上の女優たちのはじけるような笑顔や踊り。そして音楽が一体になって、舞台を絶頂へと連れていった。
かごめは女優たちの体の上で艶やかに煌めく装飾に釘付けになっていた。
きっとこれは他の観客も同じ。
(これは……いけるわ)
かごめは熱気の渦に巻き込まれながら、袖の中で拳を握り締めた。
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