第10話 幸運なお客さま

 かごめは自力で一つ契約を取り付けてほくほくとしていた。その調子で文目堂の暖簾をくぐったところで、ふいに客と衝突する。


「も、申し訳ありません、お客さま。お怪我はありませんか?」

「あ、さっきのお嬢さんじゃない!」


 かごめは慌てて平謝りしたが、相手はまったく気にしない様子で、代わりに嬉々として声をかけてきた。


「貴女、ここの社長さんなんですって?」


 声の主は先ほどの舞台の衣装係をやっていると名乗った女性だった。店にやってきたときとは装いが変わっている。


(全体的に色がくすんでいるというか……すごく怪しげで雰囲気があるわ)


 黒檀こくたん色の着物には縦長のかすり模様が走っていて、簡素な柄の上を竜胆色の蛇柄が大胆に横断している。緋色の帯には黒で蜘蛛の巣が描かれていて、帯締めは蛇革。


 着物を緑を基調としただけで、さらに赤い口紅が一気に鮮やかに色気立って見えて、妖艶さに拍車をかけている。


 すっかり振り切っていた。


「指南してくれた子、最高だわ! うちの衣装係に引き抜きたいくらい」

「気に入ってくださったようでなによりですが、それは困ります……」

「あら、冗談に決まってるじゃない。あ、それと耳飾りと指飾りも購入させてもらったわ。女優たちの分の予約しておいたから、気に入ったら何かあるかもしれないわね。ともかく手元に届くのが楽しみだわ!」


 女性の小脇に抱えられた風呂敷からも帯用の畳紙たとうしが見えている。かなり豪遊したようだ。

 彼女は足取り軽やかなに、店を出て行った。


(ちょ、ちょっと待って。『女優たちの分の予約しておいたから』って……)


 気づいた事実に、かごめはそっと顔を上げる。そこには腕を組んで満足げに仁王立つ周がいた。


「着物一枚、帯二枚、それから帯締めと飾りの予約をたくさん。かごめがどこかに行ってる間に、俺が売り上げを上げておいたよ」

「すごい気に入られっぷりね。周にはこの調子で次もお願いしたいところけど、私も遊んできたわけじゃないの」


 かごめはいそいそと自身の着物の袂を探ると、紙袋を取り出した。紙袋には『花菱』と判子が押されている。


「花菱ってそこの通りの……」


 かごめから紙袋を受け取った周は開いて中を覗き込むと、目を瞠った。紙袋へ手を入れ取り出したのは、金木犀の香りの練り香水。


 周が状況を測りかねているうちに、さらにかごめは紙を一枚取り出した。それは短期間の事業協力に関する契約書だ。即席だが形式に則り、そしてもちろん店主に出て来て署名してもらったので有効だ。


「文目堂は花菱さんと手を組みます」


 かごめは胸を張って声高らかに宣言した。








 慌ただしい日々を過ごすうちに、並木の銀杏いちょうは黄色く色づき、紅葉もみじは真っ赤に染まっていた。町屋からほのかに漂っていた金木犀の香りは花菱の練り香水とともに町全体を秋色に染め上げて、一層季節を感じさせる。


 一方、客足の衰えない文目堂は『秋の煌めき:金木犀コレクション』を予約購入した客への商品受け渡し期間に突入し、数量限定で販売も行っていた。

 かごめはそんな賑やかな店内で手早く商品を包装していた。


「そういえば貴方、とてもいい香りね。金木犀?」


 気位の高そうな女性客はがま口を片手に、手を動かすかごめに向かって言った。


「あ、お分かりになりましたか?」

「ええ、先ほど着こなし指南してくださった方からも同じ香りがしたもの」


 周とかごめは同じ練り香水をつけている。勿論花菱の商品だ。かごめはこのやり方で正解だったと、二週間ほど前の自分を心の中で褒める。


「今、文目堂はそこの通りの花菱さんとコラボしておりまして、金木犀コレクションを購入してくださった方限定で、花菱さんの商品の割引券をお渡ししております」

「花菱さんとの話は噂で聞いてはいたけれど。金木犀コレクションって、さっき薦めてくださった帯留めのことかしら」


「はい。予約期間は終わりまして、今は数量限定で販売しております。帯留めの他にも私がつけている耳飾りや指輪、鼻緒の前坪飾りなどもあります!」

「前坪飾りは斬新ね。いくら?」


「ありがとうございます、五○銭になります」

「あら、じゃあいただこうかしら。あとでわたくしの草履に付けてくださる?」

「承りました。では割引券をお付けしておきますね!」


 女性客は自身の白い簡素な草履の鼻緒に金の装飾が輝いているのを見ると、少し浮足立った様子で草履に足を差し込んだ。そして嬉しそうに割引券を握り締め、花菱のある南へと姿を消す。


 かごめがその後姿を見送り、店内に戻ろうとしたそのとき、聞き覚えのある声に呼びかけられた。


「店長さん」


 振り返るとそこには舞台の衣装係と名乗っていたいつぞやの女性客が立っていた。

 耳には金木犀コレクションの耳飾りがきらめいていて、秋の風が吹く街並みによく生えている。そして相変わらず金木犀の練り香水をつけているらしく、いい香りが漂っていた。


「お久しぶりです!」

「久しぶりね。届いた飾りは女優たちに大好評よ」

「愛用頂きありがとうございます! 今日は何かお求めですか?」

「いえ、今日は別の用があって来たの」


 女性はたもとを探ると、細長いざらついた質の紙きれを二枚かごめに差し出した。

 紙には太い筆文字で『峰岸みねぎし歌劇団「天国と地獄」』と劇団名と演目名が、さらに白い布をまとったたくさんの女性が描かれている。


 峰岸歌劇団といえば若い男女に人気の大衆歌劇団だ。かごめは生まれてこの方一度も舞台を見たことがないが、以前から興味はあった。しかし役者に熱狂的な愛好者ペラゴロの印象が強く、敷居の高さを感じていたのだ。


 かごめはそっと女性の様子を窺う。


「見に来てくれない? あの素敵な指南役さんと一緒に。……忙しいなら無理にとは言わないけど」

「い……いいんですか⁉ ぜひ見に行かせていただきます!」

「楽しみにしていてね」


 役者と作品世界を引き立てるために選ばれた衣装は、周も見に行ってみたいと思うのではないだろうか。

 かごめは大切にその二枚の観劇券を受け取ると、描かれた白い衣装の女性たちに思いを馳せた。

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