第9話 金木犀の使い方は多種多様
かごめは姿見の向こうで、輝いている耳飾りを見つめながら何度も執拗に触れていた。耳たぶにかかる重みと、少し背伸びしたように見える雰囲気は、まだかごめには慣れない。
「かごめ、もうすぐ開店時間だけどまだ着替え終わってないのか?」
襖の向こうから問われてかごめは慌てて答えた。
「す、すぐ行くわ!」
最後にもう一度、耳飾りが無事か確認する。仕事中に落としてしまいそうだ。
後ろ髪を引かれる思いでかごめは姿見から離れた。
今日から三週間、かごめの仕事は徹底的にこの『秋の煌めき:金木犀コレクション』を宣伝することだ。予約を勝ち取った分だけ売り上げにつながる。重要な仕事だった。
かごめはまだ昼は夏の残る気候に、着物の暑苦しさを感じながらも
かごめのまとう着物は、紺地に黄色のもやがかかったように見える
まるで漆器の
遅れて暖簾をくぐって出てきた周もまた、耳の上に金木犀の髪飾りを留めていた。今回作った髪飾りは大きめで、髪の短い人なら周のように使えるし、長い人なら髪を編み込んでリボンの代わりに使うのもいい。
かごめが出来上がった飾りに見惚れていると、周はかごめの隣で立ち止まって口を開いた。
「なんで金木犀の案を選んだんだ?」
「え?」
「俺はいつも見た目重視で考える。確かに『これにすべきだ』って推したのは俺だけど、でも立体感のある透かし彫りは手間がかかるし、避けた方が無難だっただろ。他にも紅葉とか、赤とんぼとかもあったわけだし」
周の疑問に、かごめは少し遠くから漂ってくる甘すぎないささやかな香りを感じながら答える。
「ほら、金木犀の香りがするでしょ?」
周はかごめの視線の先を辿った。少し離れたいくつかの家屋の庭に大きな金木犀が植わっている。
「花は虫と違って女性にとって親しみやすいし、毎年秋にはどこの化粧品屋も金木犀の香りがする商品を売ってるわ。練り香水とか、香油とか。私にとって金木犀は秋とお洒落を繋いでいる印象があったの」
「なるほどね。よく見てるわけだ」
「貴方が金木犀にしようって言ったのも、きっと無意識にそれを知ってたからだ、って私は思ってるけどね」
「……ま、俺もそんなところだろうと思うよ」
周はビラを片腕に乗せると、会話を簡単に切り上げて配り始めた。周は高級感ある艶やかな鼠色につつじ色の縞柄の銘仙を新橋色の帯で締めていて、それもまた毒々しい美しさがある。
かごめは町に漂い始めた早めの金木犀の香りを感じながら、道行く人にビラを差し出した。
「素敵な耳飾りだわ。視線が吸い込まれる」
濃い口紅にすっきりとしたまとめ髪。周を彷彿とさせるハイカラ具合だが、彼女の方が幾分か景色に馴染んだ格好をしている。
「ありがとうございます。少し見ていかれますか?」
「そうね。それからこの……着こなし指南というものも受けてみたいわ」
(すでに素敵な格好をしているのに?)
かごめは思わず出かかった声を喉の奥に押し込んだ。にこりと微笑んで店内へと案内する。
「何か気になるものでもございましたか?」
「耳飾りを着物に合わせているのは初めて見てね。私、舞台女優の衣装係をやっているのよ。勉強させて貰ってもいいかしら」
暖簾をくぐったとき、不意にかごめの鼻腔を金木犀のよい香りが掠めた。かごめはふと振り返って、女性に尋ねる。
「練り香水ですか?」
「ええ、よくわかったわね。西洋風の香水も魅力的だけど、衣装を扱う人間には御法度。着物に染みができてしまうもの」
かごめは井倉屋もまた、化粧品事業と手を組んでいたことを思いだす。二号店では香水でも売っているのだろう。
「その練り香水、どこで購入されたんですか?」
「すぐそこの『
着こなし指南で売り上げに貢献してくれた客を満足げに見送っている周を、かごめは呼びつけた。周はかごめが連れている洒落た格好の客に目を留める。
「こちらのお客さん、舞台の衣装係さんなんですって。私の付けてる金木犀の耳飾りが気になってるみたいだわ。粗相の無いように、着こなし指南をよろしくね!」
まるで「全て任せた」と言わんばかりのかごめの語調の慌ただしさに、周は不可解そうに眉を曲げた。
「何を急いでるんだよ」
「絶好の機会が巡ってきたの! じゃあ私、行ってくるから!」
暖簾をくぐってかごめは飛び出すと、記憶を頼りに花菱の暖簾を探し始めた。
しばらく辺りを見回していると、花を模した菱紋が描かれた桃色の暖簾を見つける。
「ごめんください」
店に入ると目の前には木製のガラスケースが、店の背面には年季の入った薬箪笥があった。それ以外は店内は周がやってくる前の文目堂を思い出させるほど、閑古鳥が鳴いている。
奥から店の女将らしき、小皺の少ない中年の女性が出てくる。久々の来客に、ぱっと表情に花を咲かせた。
「いらっしゃいませ。何をお求めでしょうか」
「金木犀の練り香水があると聞いたんです」
かごめが女将にそう尋ねると、女将は手のひらに収まるくらいの平たいブリキの缶を取り出した。黄色い包み紙には簡素に金木犀の判子がされている。
「こちらですね。他にも香油や、顔を洗うたびに香る化粧石鹸、化粧前などに塗る
「金木犀の香りがする商品はこれだけですか?」
「え、ええ。金木犀の商品をお求めですか……?」
女将が香油など取り出すたびに、店内は秋の香りに包まれていく。日中はまだ少し暑さが残るが、夜の風はすでに秋だ。
かごめは鼻腔を満たすいい香りに心を落ち着けたところで、片手に握りしめて出てきたビラを女将に差し出した。
「私は文目堂の社長、遠藤かごめといいます。今、
こんな小娘が社長だとは露にも思わなかったのだろう。女将は気圧されるように身を仰け反らせる。
「少しだけでいいので、聞いてくださいませんか? もし別の方が経営されているなら、その方もご一緒に」
「ああ、それなら心配は要りませんよ。主人は店のことに興味がないようで、ここずっと私が切り盛りしているんですから。とはいえ、そろそろ店を畳まなくちゃいけなくなってきたんだけどねぇ」
「それは話が早いです」
かごめは手を合わせると、女将に一歩ずいと迫った。
「単刀直入に申し上げます。花菱さん、うちと手を組みましょう」
かごめの申し出に女将は目を丸くする。
「文目堂では金木犀を模したさまざまな飾りを、花菱さんでは金木犀の香りをした商品を売っている。この街を金木犀の季節にするんです」
「具体的にはどうする気なんです?」
「まず
さらに文目堂の一部の店員が金木犀の香りのするものをつけておく。お客さんは予約購入の期待と香りの相乗効果で待ちきれなくなっているはずです。
そこにすでに売り始められている商品の割引券が手に渡れば、使わないという選択肢はありません」
かごめの熱弁に女将は食いついて気もそぞろに相槌を打つ。
「すると花菱さんの客入り具合に気づいたお客さんたちが、今度は花菱さんに集まり始めます。そこで花菱さんには
「それだけでいいんですか?」
「はい。うちの売りは商品を一つ購入すれば無料になる着こなし指南です。私たちはそこへ誘導したいんです」
女将はガラスケースの上に乗せられた文目堂の
「花菱さんの商品は着物を扱う
花菱の女将はかごめの言葉にはっと顔を上げる。きっと彼女もまた、文目堂の経営の傾き具合から、現在地道に盛り返そうとしているということを知っているだろう。
かごめは握手の手を差し出す。女将は感慨深そうに頷くと、かごめの手を取った。
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