二着目 秋の煌めき:金木犀コレクション

第7話 元夫の襲来と宣戦布告

 文目堂あやめどうの一日は掃除から始まる。

 社長から下足番までまじりになって店内をきれいにする。次に周の指示でどの商品を売り出すかを決めていく。

 このやり方でここ一週間の売り上げは絶好調だった。


 かごめは竹箒を片手に、まだ太陽が高く昇り暑くなる前の軒先に出た。つまづきそうな小石を入り口から丁寧に掃いていく。


 そのとき「あのう」と控えめに声を掛けられた。立っていたのは、老齢の男性。


「ごめんなさい。まだ開店前で……」

「違うんです。うちは『黒鉄堂くろがねどう』という金物屋をやっていまして……このような」


 黒鉄堂は懐から手ぬぐいを取り出すと、かごめに中に包んであるものを開いてみせた。


 中から現れたのは金に輝く透かし彫りの帯留め。それから、猫の形をした立体的な耳飾りイヤリングや、細かい彫りの装飾が施された指輪。どれもこれも素晴らしい職人の技で作り込まれている。


「わあ、素敵です」


 かごめが目を輝かせると、黒鉄堂は腰低く会釈した。


「そう言っていただけてなによりです。それで、よろしければうちの商品を……五〇銭ほどで扱ってはいただけないでしょうか」

「え……いいんですか?」


 こんなに技術の高いものをそんな低額で任せてもらえるなんて。かごめが尋ねると、黒鉄堂はぜひぜひと頷く。


「ええ。これは真鍮しんちゅう性ですし、井倉屋さんからは古臭いと縁を切られてしまっていて……」

「そんな、もったいない! ぜひうちに任せてください。うちには心強い商品担当がいるんです」


 かごめが胸を張って告げると、店の中で畳の拭き掃除をしている周を呼びつけた。朝の弱い周は寝落ちかけていた目を瞬きさせて、顔を上げる。


「なに?」

「金物屋さんがうちで商品を使ってほしいって」


 かごめの紹介に黒鉄堂は周に頭を下げる。そして飾りを手ぬぐいから開いてみせた。


「一つ五〇銭ほどで……」

「うん、今日から扱おう」


 周の回答は早かった。黒鉄堂はあまりの即決に目を丸くする。


「よろしいのですか⁉」

「悩む必要なんてない。滅多に見ない技術力なのにこれだけ安いなんて、扱わない方が損だと思うけど」

「どうもありがとうございます……」


 周の審美眼でも、かごめと同じ決断を下していた。

 黒鉄堂は深々と頭を下げ、心の底から安堵したようにほっと息を吐く。

 しかしかごめには疑問だった。どうして文目堂うちを選んでくれたのか。どうしてここまで安価で取引を持ち掛けてきたのか。


「どうしてこんな安値で譲ってくださるんですか?」


 かごめは単刀直入に尋ねる。黒鉄堂はかごめの質問にためらったように首筋を掻くと、抑えた声量でぽつりと零した。


「文目堂さんは昔から情に厚いところだと聞いていたので、これを機にいくつか仕事を任せてもらえるのではないかと……」

「……」


(お父さまやお祖父じいさまたちのおかげだわ)


 かごめは歴代社長らが残したものをひしひしと感じた。恩をかければいずれ、恩となって返ってくる。祖父や父、それ以前の社長たちが大事にしてきたもののおかげで、今店が生き残ろうとしている。


 文目堂が、救われようとしている。

 これは何としてでも落としてはいけない信用だ。


 かごめは語調の弱くなる黒鉄堂を前に毅然と胸を張った。


「うちは目先だけの利益を求めて切って捨てたりなんてしません。ぜひ、うちに置かせてください」


 かごめのきっぱりとした宣言に、黒鉄堂は表情を和らげた。







 そうして置かれることとなった金物も、他の小物と揃って飛ぶように売れていった。周の着こなしの指南を受けにやってきた客へ、ショールとともに光物ひかりものを薦める。すると、客はどちらかを購入して帰っていくのだ。


 まさに絶好調、そんな矢先のこと。

 聞こえてきた土間を鳴らす靴音は、草履よりもずっと硬質で、いわゆる革靴によるものだった。


 珍しい客に店内がざわめき、せっせと体を動かしていたかごめも顔を上げて暖簾の方を見る。そして瞬時に顔を強張らせた。


 夏にもかかわらず紺のスーツにベストをきっちりと着込んだ二十代中盤ほどの男性が、表情いっぱいに厭味な笑みを湛えて立っていた。オールバックに固められた頭髪に反して、暑さに耐えかねたのかネクタイは緩められており、背後には数名の男性を従えてまるで乗り込みに来たかのよう。


 かごめは自身の存在を相手に気づかれる前に、衝立の奥へと姿を隠した。


(なんであの男が……)


 衝立の裏で整頓していた周は、突然逃げ込んできたかごめにぎょっとして顔をしかめる。


「何やってんのさ。仕事は?」

「今やってきた客に私がいることは絶対言わないで!」


 かごめの必死さに周は眉をひそめたが、いかにも胡散臭い張り付けたような笑顔の男性を見て、何かを察したようだった。


「ああ、あの趣味の悪い男、もしかしてかごめの昔の……」

「そう! だからお願い、黙っていて」

「はいはい」


 そう。今しがたやってきた男性の客は、文目堂を乗っ取ろうとしたかごめの元夫。松ヶ崎貿易会社の次期社長、松ヶ崎まつがざき幸太郎こうたろうだ。


「じゃあ、よろしく」


 周は無心で片づけていた仕事をおもむろにかごめに押し付けた。そしてかごめの代わりに店の方へ出て行く。


(ちょ、ちょっと何しに行くつもり……⁉)


 かごめは周の行動にうろたえるも、声が出せずに衝立の裏でひたすら見守る。


(何事もなければいいけど……)


 松ヶ崎はきょろきょろと店内を見回し、明らかにかごめを探していた。そこへ、真っ先に来客の正体に気づいた長谷川が声をかける。


「お久しぶりでございます、松ヶ崎様。本日はいかがいたしましたか」

「いやぁ、最近文目堂の景気が随分いいと小耳に挟みまして」


 松ヶ崎の視線はまだかごめを探している。

 かごめは離婚したあの日、もう金輪際関わらないでほしいと言った。そして彼は約束通り、今日まではまったくの無関心だった。しかし今になってこうも粘着質に絡んでくるとは。


「ところで社長さんはどこです?」


 ついに松ヶ崎は尋ねた。


「社長は──」

「外出中だよ。残念だったね」


 かごめが体を強張らせたところに、周が長谷川の言葉を奪って答える。突然の見知らぬ乱入者に、松ヶ崎は一瞬表情の色を変えた。


「……おや、初めて見る顔だ。もしや噂の『奇術師』さんかな? そんな綺麗な顔をしていたとは」


 かごめは周が『奇術師』などと呼ばれているのを初めて知った。実際は違う呼び名で噂されているのを、あえて言い換えているだけかもしれないが……。


 周は侮蔑の意味が含まれた異名に頬をぴくりと震わせると、松ヶ崎に負けず劣らずの張り付けたような笑みで応戦した。


「いかにも。男性の着こなし指南も承っておりますが、いかがなさいますか?」


(周、敬語話せるんじゃないの……)


 かごめは周の様子に呆れながらも、続く口論を聞き届ける。


「ははっ、ご冗談を。今日は少し、忠告をしに来たんですよ」

「忠告?」


 周の眼の奥がずんと暗くなる。かごめもまた衝立にぴったりと張り付いて声を拾おうとした。


「ええ。文目堂がまだ潰れずにいられるのは、、とね」

「『誰かさん』? 失礼ですが、お客様の身元を知りませんので」

「私の父は松ヶ崎貿易会社の社長をやっております。……貴方ならご存じですよね?」


 周は張り付けていた笑みを一枚剥がした。電気が一筋走ったようなひりつきに、かごめは困惑する。


(どういうこと? あの男、周のことを知ってるの?)


「……」


 周はにまにまと嫌な笑みで見下ろす松ヶ崎を睨め上げる。しかし松ヶ崎はへらへらと笑った。


「おお怖い。そう睨むこともないでしょう」

「今日、ここにいらしたのはそれを伝えるためだけですか?」

「ええ。できればここの社長さんにもご挨拶したかったのですが、不在のようなので」

「本当に?」

「商人は嘘をつきませんよ。……利益にならない嘘はね」


 尋問にも似た、周の冷たい声が低く響く。

 けれど松ヶ崎は営業のために拵えられた笑顔で、会話を終えるための会釈をした。


「まあ、本当にそれだけですよ。今日はこの辺りでお暇させていただきます」


 最後まで松ヶ崎は笑みを崩さなかった。彼が一つ手を挙げるだけで、背後に控える社員らしき男性たちがぞろぞろと店を出て行く。


 周は彼らの背中を完全に見送ると、かごめが隠れてた衝立の裏につかつかと戻ってきた。そして羽織っていたショールを剥いで、勢い任せに畳へ叩きつける。

 周のこめかみに青筋が浮いていた。首筋に汗が浮いて、怒りと焦りの混じった荒々しい息を吐き出している。


「大丈夫? 厭味な男だけど、そんなに怒るほどじゃあ……」

「かごめ」

「な、なに?」


 低い声で名前を呼ばれて、かごめは思わず背筋を伸ばした。


「あの男、この店を潰すか吸収する気だよ」

「え? まあ、そうでしょうけど……松ヶ崎貿易会社の規模感は昔の文目堂と変わらないわよ。そこまで焦らなくても……」

「そんな生半可な状態で宣戦布告しに来るわけないだろ。……背後に強大な協力者がいる」


 周は怒りに任せて口悪く吐き捨てるように言った。


(周ってわりと店の力関係に敏感なのよね)


 それに出自が関わっているのか、否かはかごめの知ったところではないが、その勘は出鱈目でたらめではなさそうだ。かごめは表情を引き締めて、怒る周に向き直る。


「じゃあ、もっと集客力のある戦略を立てる必要があるってこと?」

「そう」

「でも急にそんなこと言われても……」


 あたふたするかごめを見て、周も心が落ち着いてきた。放られたショールを拾い上げて羽織り直す。赤く燃え上っていた瞳は、今青く静かに光っていた。


「今朝やってきた金物屋が活躍する機会だ。かごめはこの案を最高の形で売ってほしい」

「もう、思いついたの?」

「まあね。みんな光るものは大好きだ」

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